怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

9月29日  二つの市と県で揺れて

2011-09-29 10:32:55 | 事故後の動き
事故が起きた浜松市は、車で30分程の県境を越えた所にあった。
娘を郊外学習の野外活動に送り出してから、○○という地名の山奥にあるものと思っていた施設が、身近な○○だったことを初めて知った。

しかし、この県境に、目に見えない高い壁は存在しているなんて・・。 


15分間だけの娘の、硬くなってしまった遺体との対面。    司法解剖という親には耐えられない響き・・。


マスコミ対策から私達は、平穏に自宅に娘を連れて帰ってやることも許されず、隣県の県教委と所轄の警察署が準備したビジネスホテルで、娘の遺体の司法解剖が終わる翌日を待った。

着の身着のままの私達に、隣県の県教委がコンビニで着替え等を揃え、ホテル駐車場には、見張りの車が待機していた


         悪いことは何もしてない私達が、どうしてここまで隠れなくてはいけないのか?

隠れたホテルに次々と訪れる、事故関係者達。  深夜の校長、 翌日の民間委託施設関係者、 豊橋市教委。
土下座して「生徒が まだ残っている生徒がいる と言ったが、私には探し切れなかった。」と謝る民間委託施設所長。
反対に 「とんでもないことが起きてしまった」と謝り、私達が座るホテルのベットに腰かけ、親しげに私達に話しかける○○市教育長。

       「とんでもないことを起こしてしまった」じゃないの?

どこか自分達には責任がない と言いたげ・・   買った商品が不良商品だったと・・


親の私達は宝の娘を、学校に預けた! どこに連れて行こうが学校に任せたの!


お友達のお母さん同士だって、お友達のお子さんを連れて行って、「施設が悪かった」とは言わない。「私が連れて行ってごめん。」と謝るのが普通。

この見えない県境の壁は、多く存在していた。

 読む新聞も、見るテレビも違う隣県。それでうちに取材に押しかけるテレビ局も新聞社も 単純に2倍 取り上げられる記事の 見かたも、訴える視点も、 その報を受け取る豊橋市民と静岡県民も、微妙に異なっていた。   

 静岡県知事や豊橋市長に至るまで。
 
とりあえずホテルで探さねばならなかった、葬儀の豊橋市斎場の電話番号も、静岡県タウンページには豊橋市の掲載はあるはずもなかった。