6月18日によせて
だんだん過ごしやすい季節になるのがなぜか悲しくて、娘と過ごした日々から離れていくのが辛すぎて。もうすぐ6月18日が来ます。
恐いほどの悲しい現実、済まさねばならない雑事の多さ、延べ1千人の参列者という事故の日常からかけ離れた大きさの中、命について考え続ける日々でした。そこに多くの方がたのかけがえのない命が奪われた、3月11日の東日本大震災。
私のひとり娘は中1の12歳に、義務教育の野外活動の中ボート事故に遭い、なんの落ち度もなく命を落としました。その瞬間まで、「娘は生きていた」「生きたかった」はずです。
可愛い笑顔、優しい言葉、将来の夢。同じく、突然の災害に遭われた方がたを思うと言葉になりません。
人生をボロボロにされ、マスコミに追われ、文庫寄贈等の諸事。娘の死を無駄にしないよう、学校の校外学習の安全、再発防止を求め、署名活動、毎月の豊橋市教育委員会へのマニュアル作成、公表を求め続けた1年です。(教育界の閉鎖性、引率された先生方の心の弱さ、責任の取り方の無さに愕然とする日々でした。)
何度も泣き崩れそうになりながら、必死に前に進んできました。
そんな中、2年に進級しただろう娘が遺した国語のファイルが学校から返却されました。そこには「私にとってのお母さん」という娘の作文が。笑顔、友達、お母さんのテーマで考え、「いてくれてありがとう。」で締めくくられていました。
娘の命は消えてしまいましたけれども、私も娘に心の中で「いてくれてありがとう。」と叫び続けています。
今も娘の大切な友達の皆さんが、この1年ずっと娘の命を学校に問い続け、娘の写真の前で「ありがとう。」、ずっと友達だからねと言い続けて頂いています。
親の私にとって、お友達にとって、娘を知る温かい方がたにとって、今も娘は生き続けています。
突然愛する人を失くされた方々に、愛する人の苦しみにご自身までがのみ込まれることなく、愛する方を思い続けて差し上げて下さい。きれいごとの強がりを言うようですが、いつまでも続く悲しみの中、このことがこの1年で私が学んだことです。
娘が命あった時の輝きをずっと育て続けたい、輝かせてあげたい、と。
この6月18日を涙でなく笑顔で迎えたいです。
西野 友章 西野 光美
*****
上記文は事故が起きてから、ずっと私が命について問い続けてきた文面。
今日は娘の14歳の誕生日。
朝から娘の携帯に、登校前の生徒さんから、おめでとうコールが次々と届く。
娘もどんなにか嬉しいだろう。
どうか、この生徒さん達のように、
学校も教育委員会も、娘の命の前で、 真摯に 純粋に 向き合ってくれることを願ってやまない。
だんだん過ごしやすい季節になるのがなぜか悲しくて、娘と過ごした日々から離れていくのが辛すぎて。もうすぐ6月18日が来ます。
恐いほどの悲しい現実、済まさねばならない雑事の多さ、延べ1千人の参列者という事故の日常からかけ離れた大きさの中、命について考え続ける日々でした。そこに多くの方がたのかけがえのない命が奪われた、3月11日の東日本大震災。
私のひとり娘は中1の12歳に、義務教育の野外活動の中ボート事故に遭い、なんの落ち度もなく命を落としました。その瞬間まで、「娘は生きていた」「生きたかった」はずです。
可愛い笑顔、優しい言葉、将来の夢。同じく、突然の災害に遭われた方がたを思うと言葉になりません。
人生をボロボロにされ、マスコミに追われ、文庫寄贈等の諸事。娘の死を無駄にしないよう、学校の校外学習の安全、再発防止を求め、署名活動、毎月の豊橋市教育委員会へのマニュアル作成、公表を求め続けた1年です。(教育界の閉鎖性、引率された先生方の心の弱さ、責任の取り方の無さに愕然とする日々でした。)
何度も泣き崩れそうになりながら、必死に前に進んできました。
そんな中、2年に進級しただろう娘が遺した国語のファイルが学校から返却されました。そこには「私にとってのお母さん」という娘の作文が。笑顔、友達、お母さんのテーマで考え、「いてくれてありがとう。」で締めくくられていました。
娘の命は消えてしまいましたけれども、私も娘に心の中で「いてくれてありがとう。」と叫び続けています。
今も娘の大切な友達の皆さんが、この1年ずっと娘の命を学校に問い続け、娘の写真の前で「ありがとう。」、ずっと友達だからねと言い続けて頂いています。
親の私にとって、お友達にとって、娘を知る温かい方がたにとって、今も娘は生き続けています。
突然愛する人を失くされた方々に、愛する人の苦しみにご自身までがのみ込まれることなく、愛する方を思い続けて差し上げて下さい。きれいごとの強がりを言うようですが、いつまでも続く悲しみの中、このことがこの1年で私が学んだことです。
娘が命あった時の輝きをずっと育て続けたい、輝かせてあげたい、と。
この6月18日を涙でなく笑顔で迎えたいです。
西野 友章 西野 光美
*****
上記文は事故が起きてから、ずっと私が命について問い続けてきた文面。
今日は娘の14歳の誕生日。
朝から娘の携帯に、登校前の生徒さんから、おめでとうコールが次々と届く。
娘もどんなにか嬉しいだろう。
どうか、この生徒さん達のように、
学校も教育委員会も、娘の命の前で、 真摯に 純粋に 向き合ってくれることを願ってやまない。
メールは気に入ってくれましたか?
テンプレートのミッキーかわいいでしょ\(★´-`)人(´▽`★)/
今日はいい日にしてね*
これからもよろしくね┌|*゜ロ゜|人|゜ロ゜*|┐ナカマ!!
[ミ☆ HAPPY BIRTHDAY ☆彡]⌒ヾ(・ω-。)~♪
私は○○ちゃんとは事故の5日前の日曜日に初めて一緒に遊び、親しくなりました。ですから事故からしばらくは、「あの日曜日がなければ、自分がこんなに悲しむことはなかったのに」と過去を全て否定的にとらえていました。しかし、今では「○○ちゃんの最後の日曜日を一緒に過ごすことができた。1回限りの大切な思い出をラストチャンスで得ることができた。」と肯定的にとらえ直しています。
喜びがあったからこそ、悲しみがわいてくる。喜びは単独でも発現するが、悲しみは単独では発現しない。悲しみの裏には必ず喜びがある。その喜びを大切にしよう。今、私はそう思っています。
○○ちゃん、大切な思い出をありがとう。
これからも うちの娘と仲良くしてね。
なかなか ○○ちゃんとの約束は果たせないけど…気長にみてやって下さい。
お願いします。