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怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

2月21日 明らかな温度差4<送検の反応>

2013-02-20 20:27:02 | 事故後の動き
                               他人任せ

「気象注意報の発表を知らされていれば。訓練中止を申し入れたと思った」
 浜名湖でカッターボートが転覆し、豊橋市の女子中学生が死亡した事故。業務上過失致死容疑で書類送検された元校長について、運輸安全委はこうまとめた。
 両親が民事訴訟は和解が成立したものの、市は当初責任を認めなかった。取材した教育関係者は「学校は専門施設に行くということで、決断しなくていいと期待しているところがある」と言った。注意報を知らされる前に知ろうとはしなかったのか。自ら考え、行動に移す気はなかったのか。「他人任せ」の言葉が浮かんだ。
 書類送検の日、市教育長は「内容を確認していないので、コメントはできません」とだけ書面で発表した。
       ← 中日新聞



*****
突然の2/12書類送検を受けて、各トップの反応は大きく異なった。

静岡県知事:「極めて深刻」

静岡県教育長:「重く受け止め」

豊橋市教育長:「驚いた」、豊橋市長:「市の責任問題は解決済み」




*****
昨年の国交省運輸安全委員会事故調の静岡県教委と小プロへの勧告を受け、その報告発表が、昨日2/20にあった。

その発表に合わせ、静岡県教委課長が我が家に、報告内容の説明に来ていた。

国交省事故調のHPに掲載されたのを確認しつつ・・(ボーイングの事故調発表と重なり遅れる危惧から)



ほぼ1年前2012年1月国交省事故調査報告には、中学の責任はスルーされていたという苦い経験がある。

事故調の発表には、校長は「気象注意報の発表を知らされていれば、訓練中止を申し入れたと思った」とだけの記述で終始し、

       生徒の命まで施設任せにした学校の責任は皆無であった。





*****
昨晩は市教委の月命日の弔問があった。
(2/18市教委幹部から、山川先生の弔問は拒否されたという連絡を受けた。)



教育委員会との会話は、先日の書類送検の話が大部分であった。
遺族の私達以外、突然の送検の情報はもたらされず、静岡県警本部での記者発表の報を受け、
マスコミが各送検対象者や対象機関に取材申し入れをした状態だったらしい



実際に県警本部も検察から、2/12朝 突然送検GOサインが出て、急遽我が家に報告に来たという話であった








2月3日 市民報告会6<明らかになった法的責任>

2013-02-03 08:50:08 | 事故後の動き
昨日2/2の報告会では、事故に問題意識を持つ多くの方にお越し頂き、

                     様々な貴重な意見を頂くことができ、      誠にありがとうございました。





  2/3 朝日新聞社会面記事 →  






*****
報告会での菊地弁護士のレジュメを記す。(私が無断で字を部分的に大きくしています・・)    ↓  ↓  ↓



                     和解条項で明らかとなった豊橋市の法的責任

                                                                         菊 地 令 比 等


1 和解成立後の豊橋市長の記者会見の内容
2 責任と法的責任
 (1) 責任と言う言葉は,政治的責任,倫理的責任,道義的責任等,多義的に使われる。
   しかし,訴訟において問題となる責任は,法的責任である。
 (2) 責任と損害
   損害賠償請求訴訟においては,責任と損害が問題となる。
   責任とは,「・・・すべきだったのにしなかった」という安全配慮義務違反又は過失のこと。豊橋市の法的責任を問う訴状も,責任と損害の2本立てで書いている。
3 和解条項の「次の点について,被告豊橋市に責任があったことを認め」に書かれていることと,訴状の「被告豊橋市の責任」に書かれていることとの比較
(別紙参照)
4 法的責任の重みと今後の学校の課題
  法的責任以外の責任は,責任を取るか取らないか,責任を取る場合にどのように取るのかについての判断が個人や集団の自由に委ねられているが,法的責任の場合はそういうわけにはいかない。
  豊橋市教育委員会は,今後,安全対策や危機管理体制の構築及び運用について各学校任せの状況を放置することは許されず適切な指導助言を行うこと,学校は,実習実施の可否の判断について,学校が独自に安全性に関する検討し,その可否の判断をチェックすることなどが求められる。
  このようなことを行わないまま,今後実習などで同様の事故が起きれば,豊橋市は法的責任を問われるという点で,今回の和解において豊橋市の法的責任が認められた意義は大きい




(別紙)和解条項~一部抜粋
2 被告豊橋市は,本件事故の発生に関し,次の点について,被告豊橋市に責任があったことを認め,原告らに謝罪する。
 (1) 豊橋市教育委員会は,豊橋市立の小中学校(以下「各学校」という。)において実施する校外学習に関し,本件事故当時,校外学習における安全マニュアルを策定しておらず,そのため,各学校が校外学習の実施に伴って講ずるべき安全対策や危機管理体制の構築及び運用が各学校任せの状況になっており,安全対策や危機管理体制の構築及び運用について適切な指導助言を行う体制ができていなかったこと。
 (2) 豊橋市教育委員会は,各学校において実施する校外学習に関し,各学校の管理職に対する危機管理に関する研修や各学校で起きたインシデントに関する情報を各学校間で共有する体制を十分構築していなかったこと。
 (3) 本件実習に関し,学校は,本件実習を委託していた静岡県立三ケ日青年の家(以下「本件青年の家」という。)が作成したカッターボート訓練プログラムの具体的内容を個別的に分析し,その安全性チェックをしていなかったこと。
 (4) 本件実習に関し,学校は,指導員が乗船しない自主艇があることについてその危険性の認識を怠り,指導員の乗船を求めなかったこと。
 (5) 本件実習に関し,学校は,カッター訓練の安全性の懸念力の当日実施の可否の判断について,青年の家によるカッター訓練の実施の可否基準とそれに基づく可否の判断に全面的に依拠してしまい,学校が独自に安全性に関する検討をし,その可否の判断をチェックすることを怠っていたこと。
3 被告豊橋市は,本件事故発生時の初期対応に関し,次の点について,被告豊橋市に責任があったことを認め,原告らに謝罪する。
 (1) 施設・学校の活動本部において,消防・警察の救助本部との連絡・連携体制を十分構築できていなかったため,人員の確認が遅れることになり,また,様々な憶測や誤った情報が流れる事態になったこと。
 (2) 学校は,乗船者名簿の作成及びその管理運用についてのマニュアルの不備等により,本件事故発生の際,その名簿を有効に活用できなかったこと。

(別紙)訴状~一部要約の上抜粋
ア (教諭は)下見の際に,教員と生徒のみが乗船する自主艇のことも教諭らは聞いていた。この際に,所員から実施主体が,被告静岡県から被告実施会社に変わったことを伝えられたとき,安全面に疑問を持ち自主艇を拒んでいたら,花菜は救えたと考えられる。
ウ 出港前,本件校長は,天候に関して何らの調査もすることなく,教諭から「この程度の雨」であれば実施される旨の報告をうけて了承している。
しかし,昼過ぎから午後2時30分の出港までに雨量にも変化があり,それは,現場にいた本件校長及び教諭らであれば,分かったはずであるし,天候の変化を調べるべきであった。
したがって,本件校長及び教諭らにおいてハーバー出発前に,現況および予報について最終確認を行い,訓練中止を申し入れるべきであった。
キ 本件カッターに乗船した教諭は,舵の操作を行うのが初めてであり,曳航される際に,舵の操作がわからなくなった。
しかし,舵の経験がないのであれば,曳航の際,所長に舵取りができないことを伝えて,所員に舵取りを依頼していれば,カッターの転覆を回避することができた。
ク 本件青年の家が乗船者名簿を作成していれば,本件消防が,乗船者名簿を基に本件カッターから救助した生徒等の氏名を確認でき,早い段階で行方不明者に気づくことにより,より早期に本件カッターの船内捜索が実施されたはずであるとされている。
しかし,本件中学校が,事前に乗船者名簿を作成し本件青年の家に提出しておくのは,生徒を引率する責任を有するものとして当然の義務であり,これを行っていたら,乗船者名簿が事故後すぐに本件消防に交付され,早期に捜索,救助がなされることにより,花菜の死を回避し得たと考えられる。
ケ 本件カッターに乗船していた生徒は,(中略)教諭及び本件青年の家の所長に,花菜が行方不明であることを伝えている。
その時点で,教諭は本件消防等にその情報を明確に伝えるのみならず,最後まで花菜の救助を確認していたら,もっと早期に花菜は発見され,花菜の死を回避し得たと考えられる。





*****
上記和解文を受理した時、私と主人は、

主語が「学校は」「教諭は」と、

はっきりと彼らの責任を問う文
になっていることに涙した。


2月2日 市民報告会5<再発防止へ>

2013-02-02 08:24:55 | 事故後の動き
正しい事を順序立て、地道に理論付けて主張し、

正当性が認められていった、2年7ヶ月だった。


これが教育? これが学校?  の理不尽さ

受け身のままでは何も変わらない現状に、一歩一歩進めていった。


その努力が、

全面勝訴の和解文の民事訴訟勝ち取り、市長・教育長の謝罪、

章南中内の事故情報プレート設置、

そして昨晩示された卒業アルバム事故事実の記載、と認められていった。


かけがえのない娘の死から、感情論を抑え、

≪生徒の命を守る学校の責任≫を明確にしていった 2年7ヶ月だった。



今日主人は午後から、また一歩進めて、

再発防止の今後のため、多くの方の支援を受け、豊橋市での市民報告会をする。




                  ≪娘の命の意味≫を考えるために






*****
報告会での主人のレジュメを記す。(長いですが・・)  ↓   ↓  ↓

                                                2013年2月2日
                                               報告者:遺族 西野 友章
                            再発防止へのお願い

■ 和解成立の報告
▼  浜松市の浜名湖で2010年6月に起きたカッターボート転覆事故で、私の一人娘、花菜は亡くなりました。豊橋市立章南中学校の1年生でした。私たち両親は、2012年5月に、豊橋市や静岡県などを相手に損害賠償を求め提訴しました。主に豊橋市の責任を追及したこの訴訟は、市が責任を認め、県側が賠償金を支払うことで、終結しました。
(豊橋市と施設は昨年10月、静岡県は12月に和解成立)

▼ 裁判の経緯
この裁判は、 「豊橋市にどんな責任があったのか」、「学校は何をすべきだったのか」を明らかにし、責任者に謝罪させ、二度と繰り返さない取り組みをさせなければとの思いで起こしました。
事故は荒天の中、野外体験学習が実施される中で発生しました。この体験学習は学校が企画し、正課の授業として行われました。体験学習を実施したのは「静岡県立三ケ日青年の家」です。この青年の家は、東京の「小学館集英社プロダクション」が県から管理運営を委託されていました。
事故後、豊橋市教育委員会は一貫して「三ケ日青年の家」に一義的な過失責任があると主張していました。また佐原市長も「静岡の施設のプロに任せる中で、事故は起きた」との立場でした。
私は「子どものいのちを守るのは豊橋市。娘は授業中に先生の言われた通りにした結果、亡くなった。預かった生徒を保護者に返せなかったのは学校だ」と訴え続けてきました。 「学校の過失を明らかにしなければ事故の再発は防げない」と指摘し続けてきました。学校側の責任を問うために署名を集め、豊橋市議会に請願し、市長に謝罪を求め、提訴までの1年10ヶ月、手を尽くしてきました。しかし事故直後から市の対応は全く変わりませんでした。最終的には司法判断に委ねざるを得ませんでした。学校や市教委のやるべきことが明らかになった今、その動きに注目していかなければならないと思っています。

和解は成立したけれど
▼  私たち遺族が、学校や市教委、市議会や市長に訴え続けても、その責任について曖昧にし続けてきた豊橋市は、裁判所からの促しでようやく被告豊橋市の責任を指摘した和解条項案をそのまま受け入れました。市長が責任を認め遺族に謝罪したことを、学校や市教委がどのように受け止めているのか、和解から3か月経っても踏み込んだ対策がないことに不安を感じています。

▼ 和解直後の市の対応
和解成立後、生徒への安全配慮義務違反を認めるかについて、市の代理人は法的責任を否定しています。10月26日の読売新聞の中で、代理人弁護士は「原告の請求は損害賠償であり、市に賠償責任を課せられなかったことから法的責任は認められなかった」と述べています。問題の本質を何も理解していないのではと感じます。また遺族への謝罪についても、「報道を介して謝罪の意思を伝える」とし命を奪った側の不誠実さに不信感が高まりました。
▼ 市長謝罪の状況
市長が学校の過失を認め謝罪したことは、大変大きな意義があると考えています。しかし、私が市長に「これまで責任を否定していたが、どう変わったのか」と質問したところ、市長は「認識は変わっていない」を繰り返すだけでした。さらに質問を続けようとしましたが、学校教育課長に「以上で終わらせて頂きます」と予定より5分ほど早い時間に退席を促されました。この場面でも、市の責任の捉え方と不誠実な言動に、疑問ばかりが残りました。
私の不安
私は市長に「学校側の安全管理が不十分だったとの認識の上で、再発防止の取り組みを進めてほしい」と要望しました。それをどのように市長が受け止め、市教委がどのように各学校に展開させたのかわかりませんが、週に一度接している学校からは、和解条項を理解して、再発防止に取り組む必死さが伝わってきません。市教委は、学校任せの状態を裁判所から指摘されているにもかかわらず、訓示程度の話し合いしかしておらず、具体的な施策は未だ実施されていないようです。
私たち遺族に対する不誠実さが、二度と繰り返さない熱意と同じでないこと祈るばかりです。
■ このままではよくない
▼   『今後二度とこのような事故が起こることのないよう、生徒の生命及び身体の安全を守るのは、第一次的に各学校の教育職員であることを強く自覚し、各教育職員が生徒の安全に対する意識を高く持ち続けるために、研修等に努め、再発防止に向けて不断の努力を約する』 (和解条項より)

▼ 章南中学校ホームページより
平成22年6月18日、浜名湖で実施されたカッターとう漕実習中、カッターボートの転覆により本校1年生徒の尊い命を失いました。今後、二度とこのような事故が起こることのないよう、章南中学校は次のことを約束します。

(1) この事故を決して風化させることなく、本校に勤務する教職員に引き継ぎ、教育活動においては、生徒の生命を第一に考え、安心・安全に教育活動が展開されるよう努めていくこと。

(2) 学校行事、学校教育の場において、生徒の生命及び身体の安全を守るのは教職員自身であることを強く自覚し、安全管理に対する意識を高くもち続けること。

(3) 安全に対する研修等に努め、事故の再発防止に向けて努力を続けていくこと。

(4) 安全指針および安全対策マニュアル(以下に示す)を随時改訂するとともに、その実効的な運用に努力していくこと。


私は、この掲載を見て、章南中の教頭に「理念ばかりで独自の取り組みはないのですか」「表面的な取り繕いばかりのように感じます」と訴えました。 「努めていく、意識を高く持ち続ける、努力を続けていく、努力していく」など意識に訴えかけるものばかりで、具体的な取り組みが見えなかったからです市教育委員会の安全マニュアルにしても、効果の見えない、喚起を促す言葉ばかりで、「二度目はないんだ」という強い決意が感じられません。
▼ 浅い受け止め
浜名湖で起きたこの事故は、激しい雨が降り、白波が立ち始めている湖に、経験のない生徒と教員だけが乗ったカッターボートを出航することに、生徒を引率しているにもかかわらず、校長は何も判断をせず、教員は誰も中止を訴えなかった危機管理意識の希薄さが引き起こした事故であり、目の前で行方不明になっている生徒がいるにもかかわらず、その場を離れる先生の資質欠如そのものが招いた死亡事故なのです
そのことに対して司法が、学校の誤った行動を明確に指摘しているにもかかわらず、未だに自らの責任を少しでも小さく見せようと、そんな意識ばかりが優先されているように思えます。豊橋市においては、和解調書を「広報とよはし」に全文掲載のお願いをしても、スペースを理由に拒否し、ホームページへの掲載についても、拒み続けています。学校や市教委、豊橋市は、和解条項をどのように理解しているのか、受け止めが非常に浅いのではないかと感じます。

■ 二度と繰り返さない取り組みについて
▼  豊橋市の今の受け止めのままでは、また悲劇が繰り返されるのではないかと感じています。学校がやるべきことやらなかったために命を落とした事故に対して、司法も明確に豊橋市の責任を指摘しているにもかかわらず、豊橋市全体から強い覚悟と緊張感が伝わってきません。

現行の対策を見ても、和解条項を受けての具体的な取り組みが薄いと思います。
・約束を達成するための具体的な計画がない。(予算や研修、訓練などがない)
・効果の見えない施策ばかりで、こうあるべきだという理念のみ。
・市教委はどのように危機管理体制を構築するのか見えない。(情報共有なども含め) 
今後も、豊橋市教育委員会が野外教育を継続するのであれば、教員の資質向上は不可欠な課題だと思います。各学校任せにするのではなく、市教委の責任において指導していくべきです。
この事故は学校の危機管理の欠如が招いたと真摯に受け止めているのなら、例えば文科省が示しているように、「潜在的な危険を予知して、安全確保のための積極的な行動力や判断力を育成する」ことや、「引率者リーダーの迅速で的確な危険予知、適切な処置などが出来るようにする」を実行するために、予算を確保して、人選して、教員を育成し、結果を把握しながら新たな問題点を是正していく。それが不断の努力だと思います。「防ぎようのない事故だった」と考えている市教委からは、子どもの安全を必死で確保しようとする姿勢が伝わりません。
いつまで経っても当事者意識の薄い学校関係者の意識を変えるには、どうしたらいいのでしょうか。学校が守るべきいのちについて、もっともっと豊橋市全体の取り組みが必要だと感じています。
私たち遺族は、娘の死を無駄にしないためにも、事故が事件に変わらないように、この事故を経験した豊橋市全体に、「二度目はないんだ」ということを訴え続けていきます
■ ご報告
・市教委への質問の回答
・花菜の章南中卒業式について
・基金の計画
・HPの紹介 「浜名湖ボート転覆事故を考える」 http://www.always-kana.com/




1月30日 両手いっぱいの娘を残して2<卒業アルバムの反響>

2013-01-30 08:34:49 | 事故後の動き
              事故から2年7ヶ月  花菜一色の時間だった・・

                両手いっぱいに娘がいた形を残して・・




*****
昨日1/29主人は市教委に1/28に渡された 「和解文回答書」  を持って、
豊橋市役所 市政記者室に10時にいた。

予想外に 記者会見 の準備も整っていた。
和解文の回答書への記者達の質問に加え、

誠意のない中学の対応への質問に、
今直面している 「章南中卒業アルバム」の問題について話したと言う



卒業アルバムに、

章南中学の事故によって命を落とした、

娘の写真も記述もない事実



全記者に驚かれ、記者達はそのまま市役所内にある 「市教委 学校教育課」へ。
宮崎教育課長からの「章南中卒業アルバム」の対応 記者会見が、午後から急遽開かれる事態に。



常識ある人間ならば、

章南中卒業アルバムへの 当事者校が取った非常識な対応に

疑問の声が挙がるのも無理はない。




宮崎課長の記者会見を受け、夕方には我が家は電話取材の嵐。




                     あまりにも鈍感な章南中学

          卒業アルバムへの思わぬ反響の大きさに、驚いたのは私達だけではないはずだ。






*****
                   今日の朝日新聞社会面 ↓ ↓ ↓ 



                          卒業アルバムに
                        「花菜の事故も」

浜名湖転覆 遺族要望拒まれる


 2010年に浜名湖でボートが転覆して中学1年の女子生徒が死亡した事故で、通っていた中学校の卒業アルバムに事故のことを掲載するかで遺族と学校が対立している。掲載を求めている遺族に対して、学校側は「生徒のフラッシュバックを起こすかもしれない」と掲載しない考えだ。
 事故は、愛知県豊橋市立章南中学校の野外活動中に起きた。死亡した西野花菜さん(当時12)の両親が豊橋市などを提訴し、昨年10月、引率教員の責任も認める形で和解が成立した。
 市教育委員会によると、学校側が昨年12月、花菜さんが写っている入学式や教室での写真を卒業アルバムに掲載したいと両親に申し出た。
 両親は「事故のことや、裁判の和解文も載せてほしい」と求めたが、教員と保護者らによる検討委員会は「事故は触れない」と回答した。 父の友章さん(53)は「再発防止のために裁判まで起こしたのにいまだに学校が事故を隠そうとしているように思える」と話す。事故について掲載しない場合は「花菜の写真を使わないでほしい」と語る。
 アルバムを間に合わせるには2月1日までに結論を出す必要がある。市教委は29日、検討委員会で再度話し合うよう指導した。学校教育課の宮崎正道課長は「同級生らは一緒に卒業したいと願って、写真は掲載されるべきだ。事故の記録については学校でしっかり調整してもらう」と話した。





*****
今日1/30は、娘の同級生達の高校入学試験だ。







12月28日  静岡県5<訴訟終結>

2012-12-28 08:37:41 | 事故後の動き
12/26 主人は日課となっている公共のジムに行くように、13時半からの裁判に出掛けて行った。
静岡県教委との和解を視野にした弁論準備手続きのため、マスコミも静岡新聞高林記者の電話取材のみで緊張はなかった。

12/2 毎週続いている我が家への静岡側弔問に同席した静岡県教委現課長から、県議会承認の状況報告を受けている安心感もあった。

事故から2年半近く毎週弔問を続ける3人と、娘を亡くした私達の気持ちに共鳴した
お利口な静岡県教委 現課長は泣きながら言った。

        「 和解が終わりではないこと に気づきました。」 


12/26無事静岡県教委との和解成立を受け自宅に主人が戻った後、豊橋支局を管轄する名古屋本局?中日新聞記者からの想定外の取材申し込みがあった。

主人:「今日中と言われるなら、19時から来客(異動になったT先生達3人の弔問)があるため、20時からでしたら取材を受けます。」   ↓  ↓  ↓


12/27中日新聞▼


                  浜名湖転覆事故訴訟が終結                                                                                                  遺族と静岡県の和解成立

 浜松市の浜名湖で2010年6月、野外活動中のボートが転覆し、愛知県豊橋市章南中学校1年の西野花菜さん=当時(12)=が死亡した事故で、両親が静岡県などに損害賠償を求めた訴訟は26日、同県が賠償金を支払うことで名古屋地裁豊橋支部(田近年則裁判長)で和解が成立した。
 静岡県教委によると、賠償額は西野さんの両親と事前に合意している3,400万円。野外活動を実施した同県立三ケ日青年の家の管理運営会社「小学館集英社プロダクション」(東京)と連帯して払う。10月30日の県議会文教警察委員会で和解議案を可決していた。
 静岡県の安倍教育委員長は「事故で亡くなられた西野さんのご冥福をお祈りし、ご両親にあらためておわびしたい。今後も安全対策の徹底と再発防止に一層努めていきたい」とのコメントを出した。
 訴訟は10月、他の被告となっていた豊橋市が事故責任を認め和解。管理運営会社とも、損害賠償を支払うことで和解が成立しており、これで訴訟は終結した。
 西野さんの両親は今月18日、豊橋市の佐原光一市長あてに質問状を提出。再発防止に向けた市の取り組みについて、来年1月25日までの回答を求めている。 
 事故は10年6月18日午後、校外学習中の章南中学校1年生18人と教諭二人が乗るボートが荒天で操作不能となり、えい航中に転覆。生徒らは投げ出され、ボートの内側に閉じこめられた西野さんが亡くなった。




*****
12/20 豊橋市教委月命日弔問時の私と教育長のバトルトークの主因は次の二つだった。

1. 12/18の教育長謝罪内容への批判   2. 2年半経過しても弔問に来ない山川先生への批判

私:「 教育長は山川先生に謝罪の意識が無いはずがない と強くおっしゃられます。
でもいくら謝罪の気持ちがあっても、我が家に弔問にくるとか形として示してもらわなければ、私達には伝わりません!

結果として山川先生には、その先の再発防止も望めません!

私が山川先生の弔問にこだわるのは、
山川先生が娘と同じ転覆したボートに乗船して、学校主任という50代の責任ある立場 だったからです。

野外を引率し一緒に異動になったT先生始め3人は毎月弔問に来て、私と主人といろいろとお互いの状況を話します
山川先生とだけが、
事故のあった2010年6/18から時間が止まったまま、
一歩も前に進めていないのです!





*****
12/21 章南中月命日弔問時、卒業アルバムのPTA役員相談のため、出席できなかった教頭と3年学年主任を除く、
3年の先生達4人と主幹教諭に言った。

「 (お馬鹿な謝罪の意味が理解できない合川校長は

章南中での教育長謝罪で、事故が終わりになったと思っています。


           私達はこの謝罪が始まりだと思っています。


                事故から2年半、ようやく当事者校章南中が、再発防止に動きだす始まりです。 」

12月21日 未来へ3<市長に質問状・卒業アルバム>

2012-12-21 08:05:31 | 事故後の動き
              先日12/18は2年半前に命を絶たれた、娘の月命日だった。


事故から2年半が過ぎた12/18に、二つのことをした。

    (1)学校側の生徒への謝罪       (2)市長へ和解文の取り組みの質問状提出



***(2)市長へ和解文取り組みの質問状提出***

            12/19朝日新聞 → 

                            豊橋市長宛て
                    遺族が質問状

                                      ボート事故防止策で

 浜名湖ボート転覆事故で亡くなった西野花菜さん(当時12)の父友章さん(53)が18日、豊橋市役所を訪れ、市長宛ての質問状を出した。裁判の和解で市が約束した再発防止策について、現在までの取り組み状況をただしている。
 西野さんの両親は引率教員にも事故の責任があるとして市などを提訴。今年10月24日、 「市が再発防止に向けて不断の努力をする」との内容で市と和解した。
 質問状では①生徒の生命及び身体の安全を守るのは第1次的に学校の教職員だと自覚させるため、どんな取り組みをしているのか②教職員の研修計画と今後の体制―について、来年1月25日までの回答を求めている



                    ▼       ▼       ▼

平成24年12月18日
豊橋市長
佐原 光一 様

                                           西野 友章・光美


                        質 問 状

 日頃は、市民生活の向上や、暮らしの安全にご尽力くださり、深く感謝申し上げます。
さて、章南中学校外学習における浜名湖カッターボート転覆事故につきましては、平成24年10月24日に私たち遺族と和解が成立しました。そのなかで豊橋市は,各学校において,校外学習の実施に伴う安全管理体制及び危機管理体制等について,本和解の趣旨を踏まえた検証を十分行うとともに,今後二度とこのような事故が起こることのないよう,安全指針及び安全対応マニュアルの改定等の体制の整備と,その実効的な運用の確保に最大限努めるとともに,各学校における学校行事,学校教育の場において,生徒の生命及び身体の安全を守るのは,第一次的に教育職員であることを強く自覚し,意識を高く持ち続けるために,研修等に努め,再発防止に向けて不断の努力をすることを約束されました。
この再発防止のお約束を豊橋市長様から、私達遺族をはじめ市民の皆様にお約束頂いて2ヵ月近く経ちます。そこで、お約束いただいた豊橋市の各学校における校外学習の実施に伴う安全管理体制及び危機管理体制等の豊橋市の取り組み状況について知りたく、下記に質問させていただきます。お忙しい中とは存じますが、本質問のご回答期限を、平成25年1月25日までとさせて頂きたく、よろしくお願い致します。

<質問事項>
1.  学校行事、学校教育の場において、校外学習の実施に伴い、生徒の生命及び身体の安全を守るのは、第一次的に各学校の教職員であることを強く自覚させるために、どのような取り組みをしていますか。あるいは計画されていますか。

2.  各教育職員が、生徒の安全に対する意識を高く持ち続けるために、どのような研修を計画されていますか。また、再発防止に向けての不断の努力は、今後どのような体制で臨まれるのでしょうか。

以上、2項目について、ご回答のほど、よろしくお願い致します




*****
12/21金曜弔問

私はそろそろ、夏に話のあった卒業アルバムの、娘の写真掲載方法への回答がある頃だと、章南中に質問する気持ちでいた。

章南中主幹教諭:「卒業アルバムの花菜さんの写真2枚を、(作成途中のアルバムの箇所を指差し)こことここに載せたいのですが。」

私:「 載せる写真って?  私達は夏に教頭に、写真の載せ方を検討することをお願いしたんですよ

    なぜ娘が同級生と一緒に卒業できなかったかがわかるものにして下さい。

    大人になった同級生達が、あの残酷な事故を理解できるものにして下さいと。
  

    娘は交通事故死や、病死ではないんです。

    学校の事故によって 殺 さ れ た んです!  

    娘の写真掲載はお断りします。 
    娘が2010年4月に同級生と笑っている卒業アルバムを見て、
    私達が喜んで見れると思いますか? 」             

主人:「 順番が逆です。     
     どういう載せ方をするか を説明してもらい、どの写真にするかはその次です
    」

期待していたボート事故についての記述は、アルバムにはまるでなかった

普通の学校卒業アルバムにある、2010年 2011年 2012年 の世相が掲載されているだけであった。


*****
12/20市教委の月命日弔問

私:「今私達は、卒業アルバムへの娘の写真の載せ方について 章南中ともめています。

卒業アルバムは各学校の判断で作成されることを教育長に確かめ、章南中との卒業アルバムの見解の違いを説明した。

教育長:「 同じ事故の犠牲者でも、命を落とした西野さんの花菜ちゃんと、同級生とは雲泥の差がある。      
      アルバムを見る保護者も同じ感情だろう。
                 1  VS  94(同級生)       」

主人:「 章南中の卒業アルバムの内容は、市教育委員会に任せます。


*****
2011年11月 事故情報プレートを要望した時と同じだ

            一番大事なことが理解できない章南中

私の被害者意識が強すぎるのだろうか?   私は狂ってますか?   私は間違ってますか・・・

12月10日  未来へ(あしたへ) 1<曲のいきさつ>

2012-12-10 07:58:24 | 事故後の動き
                           

今回のいきさつ

 私は章南中学校で、平成22年度、23年度 非常勤講師として家庭科を教えていました。正規の職員と違い、授業の時間だけ行くのが私の仕事でした。
 本年度は、章南中学校の学級数増と支援学級ができ、正規の家庭科の先生の配置になり、私は今の3年生と一緒に卒業したかったですが、残ることができませんでした。

 家庭科は、週に1回しかない授業で、4月5月は何かと授業もつぶれて、当時花菜さんに数時間しか授業で教えることしができませんでしたが、運針のテストの時や、休み時間に接した時に、誰よりも丁寧で手先が器用で、ご家族にこれからいっぱいお料理を作ってあげたいと話してくれたことをはっきりと覚えています
 花菜さんの葬儀の際に、お父様と直接お話しする機会があり、その際私に、「生徒さんたちが悲しんでいるから、授業で楽しい話をいっぱいして、みんなを笑わせてあげてください。」と言われ、お友達の心配をされる、心優しい方だと強く思いました。そのお父様の気持ちに答えたく、授業を楽しく充実した時間にしようと2年間努力してきたつもりです。生徒に対して、授業内容以外でも、心配のあまり口うるさしことを言ってしまうことがあり、うまく思いが伝わらなかったこともあったと思います。

 私は大学の時に音楽サークルにいたので、音楽が大好きだった花菜さんにちなんで、「命の日」をもっと大切なものにしてほしいと思っていました。例えば生徒が書いた詩で歌を作ったりして、後々までも意思が引き継がれるような歌ができないかと常々思っていました 
 当時の生徒が3年生になり生徒会の中心になった時に発起して、みんなで詩を書き、いつでも歌いつがれるような歌を作ることは可能ではないかと考えていました。しかし3月も残すところ後1週間の所で、正規の職員が来ることが決定になり、私が章南にいられないことがわかりました。
 そこで、急遽私が歌を作り修了式の日に、全校生徒の前で、弾き語りをしました。こんな風に歌をつくることができるんだよという、メッセージを秘かに込めたつもりでした。
 章南を去った私は、もう何もするすべはないとあきらめていました。


 この夏に大学の時の音楽サークルの友達と同窓会があったときに、その話をしたら、時期がきたらできるかもしれないし、何かあったら手伝うよと言ってくれました。その友達は、現在プロのジャズピアニストで、作曲家のヤス・スギヤマさんです。

 
 その友人と、約1か月前に、もう生徒の詩を集めることはできないけど、私が詩を書いて作ってみようということになり、章南中の3年生に、花菜さんの分も輝いて生きていってほしいという願いを込めて詩を書き、メロディーや伴奏を考えていただきました。スギヤマさんから思い切ってレコーディングをしようと言われ、曲は打ち込みで、お仕事仲間の方に作成していただき、12月15日に上京し、友人のボイストレーナーの方に歌っていただきました。
 私が初めて書いた詩なので、だめな点も多々あると思います。
でも、多くの人に命の大切さを考えていただけるように一生懸命に考えました。
 たくさんの人にきいていただけるように、花菜さんへの思いと東日本大震災に共通する内容の詩にしました


 できることなら、もっとバイオリンなどの生の楽器を増やして、多くの人に聞いていただけるレベルまで作りあげたいと考えています。
 でも、この歌がご両親に不快な思いをさせてしまったり、気に入っていただけなかったら、表に出すことは考えていないので、今は未完成なものですが、一度きいていただきたく思い持ってきました。
 
                                                平野明子


        ↑     ↑     ↑
上記の文面とCDを持って、平野先生が来たのは、11月27日だった。
1週間前に突然平野先生からの電話が入り、今までうちに来たかったが、(2年半近く経ち)ようやくうちに来る気持ちが固まった、という内容だった。

毎週の金曜弔問に来る章南中先生の顔は知っているが、「家庭科の平野です。」と言われても、すぐには思い出さなかった。

ただ、
2010年6月に事故が起き、4月5月と娘が家庭科で運針を習い、途中になってしまったマルA評価の運針が中学から届き、綺麗に装丁された運針の台紙には、平野という名前と娘の様子を綴ったメモが残っていた
      

その台紙の先生が、今年よその中学に異動になり、うちに弔問に来るという。

11/27 19時に予約通り現れた平野先生。
うちの祭壇のある和室に座るなり、聴いてもらいたい曲があると言われ、祭壇の横に置いてあるオーディオデッキから、平野先生自作曲のCDを聴いた。
家庭科の先生からの、突然のCDを聴きながら、平野先生作詞の歌詞を読み、主人と私は涙が止まらなかった。

平野:手入れの必要な花壇などはありますが、
ずっと花菜さん(の生きた証)をみんなの中に残すには、花菜さんを唄った曲がいいかと思いまして。
本当なら、生徒に唄ってもらいたかったんですが


私:素晴らしい曲を頂き、ありがとうございます。
私はなぜ章南中の現場の先生達から、事故を風化させないようにする声が出てこないのか、とても不満でした。
ようやく平野先生から形として頂き、嬉しくて仕方がありません
12/18に章南中で教育長の謝罪の式が行われます。
急ですが、その式で平野先生の曲を流してもよいでしょうか

翌日早速平野先生は、作曲した東京のヤス・スギヤマさんに連絡を取り、ギターなら(当初はバイオリン)曲に組み込んで急いで12/18に間に合うよう完成できるという返事が入った。


*****
実は私も平野先生と同じように、時間が経っても形として残るものを考えていた。

12/4夕我が家に来た教頭に、花菜の樹(記念樹)を外から見れる場所に植樹して欲しいとお願いしたのであった。
12/7の金曜弔問に来た先生が、早速見せてくれた候補の樹の写真3点は「なんじゃもんじゃの木」を先頭に、私のイメージの花ではなかった。
桜ほど華やかではなく、新入生が入学して来て少し落ち着く4月末~5月に咲く花
その花が植樹された理由を話し継いてもれるように、私は ハナミズキを考えていた。
娘と6年間バイオリンとピアノのレッスンに通った町、娘が幼稚園年少まで過ごした町で、街路樹として咲いていた花 
花水木
。       


*****
2012年も12/16に浜名湖で行われる菜の花キャンドル。  
その時にも平野先生の「未来へ」の曲が流される話が進んでいる。

12月7日  同級生の前で娘に謝って下さい 5<同級生への謝罪>

2012-12-07 08:53:21 | 事故後の動き
今日の朝日新聞三河版 ▼


                   死亡女子生徒の同級生に謝罪へ
                              ボート事故、豊橋市教育長

 2010年6月の浜名湖ボート転覆事故から2年半になる今月18日、豊橋市の加藤正俊教育長が市立章南中学校を訪れ、事故にあった3年生94人に謝罪する。
 事故では、同1年生だった西野花菜さん(当時12)が水死。同時に湖面に投げ出された同級生もいる。市教育委員会によると、加藤教育長は、卒業を控えた3年生に悲しみや苦難に直面させたことを謝罪し、今後を激励するという。
 事故をめぐっては、佐原光一市長が11月16日、西野さんの両親にあって謝罪した。加藤教育長が同級生らに謝罪するのは初めて




*****
12/4夕 同級生と保護者への謝罪の学年集会プリントを今日配布したので、
教頭から今から持って行くと、突然の電話があった。                          

私は驚いて、11/30金曜弔問時と12/3夕の昨晩も、主人から教頭に同じ質問をしてもらった。

主人:「私達が要望した和解文のHP掲載の話はどうなっていますか?

 家内は債務不履行(和解文にある再発防止の取り組みを豊橋市内全中学で行う)で、裁判所に訴えると言ってます


章南中HP掲載の要望の話は、

10/24民事訴訟により市との和解成立→豊橋市教委が校長会で全校長に和解文配布→11/26市長謝罪


 ↑ 以上の動きを受けても、何も当時者校の再発防止の動きがない


11/2金曜弔問時我が家:「合川校長の和解文への見解と取組みの、文書提出をして下さい。」

しかし1ヶ月近く過ぎても、合川校長から文書提出は無く、11/30金曜弔問時に期限を区切った

私:「12/3までに文書の提出をもらえないのなら、
12/7の金曜弔問時までに
、和解文HP掲載をお願いします

章南中の現HP掲載2012年行事予定表のような、字が小さくて読み取れないものではなく、
閲覧した方が楽に読み取れる大きさの形で掲載願います。」


12/3夕交換ノートを取りに来た教頭:
合川校長の文書はありません。HP掲載は今市教委に確認中です。」


12/4夕に学年集会のプリントを持って来た教頭に、再度期限をつけたHP掲載を問い合わせた
教頭:「合川校長は先ずはこちらに来て謝罪したい と言っています。」

玄関での教頭と主人の話し合いが終わり、まだ私達に言葉だけの謝罪をしたいと言う校長。

中島先生の盗撮事件の時と同じく、教育長まで登場した生徒への謝罪日決定に和解文の回答どころじゃないと言うの?

呆れた最高責任者の姿に、私は愕然とした


私の神経難病が、ストレスで大きく再発した場合、寝たきり状態どころか、
呼吸できなくなって死亡に至る不安から
校長を拒否したことを知っているはず

合川さんが章南中校長に就任して2年間以上、私が小さな再発を繰り返し、免疫抑制剤服用(自己免疫異常のため)で1ヶ月はマスクをしていた私の姿を見たのは、1回や2回じゃなかったはずだ。



 母親の私まで殺すつもりなの ?

11月17日  市長 遺族に謝罪 1

2012-11-17 08:58:34 | 事故後の動き
17日朝日→ 

                    ボート事故、豊橋市長謝罪
                                   父親、防止策を今後も注視

 浜名湖ボート転覆事故で水死した豊橋市立中学校の西野花菜さん(当時12)の両親に対し、佐原光一市長が16日謝罪した。だが、「事故の直接の原因は私どもにない」と主張する佐原市長に、父・友章さんが(53)が何度も質問して認識をただした。 「目的は再発防止。市長の認識にこだわっていると次に進めない、と自分の中で無理やり理解させる」。市長との面会後、友章さんは報道陣に胸中を語った。
 謝罪の場で友章さんは市長に「これまで責任を否定してきたが、どう変わったのか」と質問。市長は「認識は変わっていない」と繰り返した。質問を続けようとする友章さんに市職員が「以上で終わらせて頂きます」と退席を促した。予定時間より5分ほど前だった。
 友章さんは「学校(の対応)が不十分だったという認識に立って再発防止に取り組むべきだ」と言う。今後は、再発防止策についての公開質問状を出すなどして、市の取り組みを見守るつもりだ



*****
昨日16日11:30~12:00は、ようやく豊橋市長が私達遺族に直接謝罪する日だった。   

10分前に、市長室と秘書課のある市役所東4Fに着いた主人と私、そしてこの事故に疑問を呈する市議2人と支援してもらっている女性2人は、

「まだ時間じゃないので、この部屋でお待ち下さい。」と、秘書課の男性に言われ、控室で待った。

11時を5分以上過ぎ

秘書課男性:「どうぞお入りください。
市長室に入れるのは、(遺族の)お二人だけです
市長室の扉は開けておりますので(閲覧可能)、後の方は市長室外でお待ち願います。」

主人と私が通された市長室には、市長・市教委部長・市教育長・教育課長の4人が、多くのマスコミに取り囲まれ待っていた。

先ず市長が私達二人に向かい、裁判所和解文の内容に添った謝罪の言葉を、とても 上 手 に 述べた。

次に、娘の遺影と娘の骨を加工したプレートに、 手を合せた4人。

そして、市長に和解文を読み上げてもらい、その後、

お悔みなんか要らない私達にとって、この日一番の目的だった再発防止の質問をした。             
                             ▼   ▼    ▼

                              市長への質問 

1.これまでは、市長は豊橋市の責任について、豊橋市の答弁書などで述べられているとおり,
(1) 「カッター転覆事故を想定することなど全くできなかった。」
(2) 「自主艇の安全性につき問題はなかった。」

(3) 天候に関して「校長及び引率教諭は訓練実施の可否について十分な注意義務を果たしている。」
(4) 行方不明者の確認,及び消防等への花菜が行方不明であることの伝達についても「教諭は十分その責任を果たしている」
というご認識だったと思います。
 <1> 現在その認識はどのように変わりましたか。
 <2> 変わってないとしたら、どのような点について謝罪しているのですか。


2 和解条項では、「豊橋市は、学校教育の場で、生徒の安全を守るのは、第一次的に教職員であることを強く自覚させるために、再発防止に向けて不断の努力を約する」とありますが、市長としてどのような努力を約束してくれますか。また市教委にどのような再発防止策を要求されますか





予想外の質問に市長は、

「転覆事故につきましては、調査を待つとしまして、
あとの(1)~(4)につきましては、市の認識は変わってません。」


またボロが出だした市長に、進行役の教育課長が慌てて、「以上で終わらせて頂きます。」

主人:「まだ、5分あるじゃないですか(11:55)!」

教育課長:「(遺影等を指して)片付けの時間です。」 と、無理やり終了させた。

      ?       ?        ?       ?  



*****
豊橋市長の遺族への謝罪は、夜には衆院解散のビッグニュースの中、名古屋のNHKでも報道された。


未消化の気分だった私に、嬉しい電話が入った。

夜、名古屋のNHKから主人に掛かってきた電話は、

2年前のニュージーランド地震の富山の遺族も、市に謝罪を求め、私達への豊橋市の謝罪に注目しています。

 今日の豊橋市の謝罪を伝えます。 」  


市役所13Fエレベーターから見た、豊橋の街並み ↓    






11月13日  「お願いされたから謝る。」って言っちゃった市長

2012-11-13 08:30:27 | 事故後の動き
            今日の新聞 →  

                   「和解で示された謝罪の場と理解せず」

                                  ボート事故両親と16日面会

 浜名湖ボート転覆事故で、亡くなった豊橋市立中学生の両親に市が直接謝罪する16日の予定について、佐原光一市長は12日の記者会見で「和解で示された謝罪の場とは理解していない」と述べ、すでに和解での義務を果たしたという認識を強調した。
 事故は2010年、市立章南中学校の野外教育中に起き、西野花菜さん(当時12)が水死。今年10月24日、市が事故責任を認め、西野さんの両親らに公式の場で謝罪する内容の和解が成立した。佐原市長は、翌25日に記者会見を開いて頭を下げ、「この場を持って謝罪する公式の場とする」と話していた。
 12日の会見では、佐原市長は「本来はお悔みに行くつもりだったが先方(両親)に謝罪もしてくださいとお願いされ、構いませんとお受けした形」と述べた。西野さんの父、友章さん(53)は「私たちはまだ謝ってもらっていない」と話している



*****
中部電力などの大きな組織票があり、圧勝と言われた佐原現市長。
しかし、なかなか当確が出ず、結果として 62,897  対 55,671

現市長の批判票が対立候補に流れた。

選挙日当日は雨にもかかわらず、
この章南校区杉山地区の投票率は54%、老津地区49%と豊橋市内でも1番と3番に高かったという。

平均投票率41.16%。
投票率の高かった地区は現市長への批判票、低かった地区は現市長の組織票。


*****
                    私達遺族は市長に「謝ってくれ」なんて言ってない

                        裁判所の判断だ。  ▼   





*****

                         面白すぎる?市長





       ↑   たまたま写した選挙ポスターの「注意」の標識に、主人と二人で笑うしかなかった。



11月9日  期日前投票1<豊橋市長選>

2012-11-09 08:22:54 | 事故後の動き
11/7 9時に二人で車で出掛けようと、玄関で準備をしていると、主人の携帯が鳴った。
「小林弁護士(うちの弁護士)からだ。」と言って、メモを取るため、玄関横のリビングに消えた主人。

車の中で運転しながら、電話の要件を話してもらった。


・ 10/24の和解成立から2週間、ようやく遺族への謝罪日程の調整連絡が、市の顧問弁護士から入ったこと。

・ 遺族への謝罪は公共の場でもするが、佐原市長個人として一人で、我が家にお参りに来たいこと



そこまで聞いて私は

 嫌! 絶対 嫌!

謝罪の意味も理解していない人に、うちの祭壇に来られるのは絶対 嫌! 



今までの市の不誠実な対応から、だますように、これで遺族への謝罪は済んだと、言い兼ねない市長。

私の剣幕から主人はすぐに車を停めて、小林弁護士に電話を入れてくれた。
そして弁護士に相談しながら、「 マスコミにも取材してもらえる市役所でだったらいいよね? 」


*****
偶然にも連絡のあった7日は、私達は市長選の期日前投票に出掛けるところだった。

地区指定の投票所は、小学校の体育館で、車椅子では無理な私のため、主人が段差のない投票所を探してくれたのだ。




*****
投票の帰り道、景観をぶち壊すように昨夏から乱立している根本元市議の衆院選?ポスターが、一部変わったことに気づいた。
今年5月→        現在→ 

 ↓ そして昨日8日の新聞の折り込みチラシの中に同じものが入っていた。

候補者の名前も写真もないが、裏には「1st stage この4年の主な実績」として多くの政策の文面。

4日に告示され、これって 公職選挙法ギリギリじゃないの?



     


*****
昨夜うちのPCに、 謝罪日程が決まったとメールが入った。

               11月16日(金)    11:30~12:00    市役所東4階

現市長の任期16日までのギリギリで、ようやく決まった30分の日程。



             市長のお悔みだけの謝罪なんて遺族は要らない!  

 
     再発防止の和解事項の実現に尽力を尽くしてもらいたいだけ!
 

             


11月6日  第5回民事訴訟(4回弁論準備手続き)

2012-11-06 08:01:40 | 事故後の動き
昨日主人は午後からの、第4回弁論準備手続きに出掛けて行った。

10/24の第3回弁論準備で、想定外に早い豊橋との和解成立が、大きく報じられたため、
直接弁論準備に出席していない母親の原告である私でさえ、「まだ続くの?」 と主人に訊いた位だ。


*****
前もって私達は被告となる静岡県教委次長に、民事提訴に踏み切る決意を打ち明けていた。
困惑した次長からは 「できるだけ早くに(裁判を)終わらせて欲しい。」 と繰り返し強く言われた。

それが皮肉にも、
想定外とも言える豊橋市との早期の和解成立に 、段階を踏んで県議会の承認を得る必要のある静岡県教委側がまだ12月も弁論準備を続けなければならない。


*****
3分で終わった昨日の弁論準備。

その後、静岡県教委の民間人で構成される教育委員会トップの委員長、行政トップである教育長・課長、
3人の我が家への弔問を受けた。

<二度と繰り返してはならない!>という3人の強い意志を聞き、安心した私は改めてお礼を言った。

「 結果として、誠意ある静岡県教委と小プロの両者を巻き込んでしまった民事訴訟でしたが、

裁判所がはっきり 学校の責任 を認め、(全国の学校教育への姿勢に)意味のあった訴訟になりました。 」


*****
昨日午前中買い物に駅の近くを車で走った私達は、昨日告示された豊橋市長選で、 街頭演説をする対立候補の姿を、複雑な想いで眺めた。

                         まだ遺族に謝罪のない豊橋市長・・




                          私達には市長選なんて関係ない!


*****
夜になって主人がPCを開くと、
夏に名古屋であった 学校事故・事件を語る会のシンポジウムで主人に私達の事故の事例報告の依頼をした大学教授からの、
いじめ自殺事件の遺族の方から、うちのメールアドレスを教えて欲しいという問い合わせのメールであった。

「メールアドレスならいいよな。」と私に確認をする主人の言葉には、


       娘の死が無駄にならず、多くの命に 微力ではあるが力になっている

                                                        嬉しい実感があった。


そして教授のメールは、「和解が実現するも課題も残されている」で始まっていた。


                              ↑ 静岡県教委に供えてもらった あたたかな花

11月3日  同級生の前で娘に誤って下さい 3(校長の突然な申し出)

2012-11-03 08:54:33 | 事故後の動き
                        私は娘のお友達の生徒さん達が大好きだ


中3になった今も娘は仲間だと、娘の携帯にメールをもらったり、娘の祭壇にお参りに来てもらったり。

お友達の母親である私に、屈託なく接してくれる。

                どんなに、娘のお友達に癒されてきたことかわからない

生徒さん達からもらった今年の誕生日プレゼントと事故後の手紙の一部→  




*****
豊橋市との和解が成立するまでの弁論準備手続きの中で、裁判所に原告・被告各自にそれぞれの和解案を提出する必要があった。

私達原告の和解案をうちの弁護士に相談する前に、先に作ってもらてあった弁護士先生の和解案に沿って主人と私はお互いの主張を確かめ合った。


直接同級生の生徒さんと接触する機会の多い私が、主人に弁護士の和解案に追加で盛り込んで欲しい事項は、二つあった。

(1)娘と両親の私達に謝罪するだけでなく、事故の犠牲者である生徒達にも謝罪すること

(2)当事者校の章南中合川校長に卒業していく同級生の前で謝罪してもらうために、市長の謝罪日を早期に期限を付けること



心配したが、2点共うちの弁護士に理解してもらい、(2)については年内と相談の時点で話し合った。

その翌日には、市の顧問(足立)弁護士から、和解成立後1週間位に市長が謝罪すると確認を取ってもらっていた。



*****
昨日11/2の章南中 金曜弔問。

いつも通り中学を出発する前に入る18時の教頭からの電話は、

裁判所の和解文を受け、我が家への弔問拒否している合川校長が同席し、
                  突然 私達に謝罪したいという旨のものだった。


電話を受けた主人が即座に、 「 無理です! 」   と言っている声が聞こえてきた。

結局 先週と同じ、教頭と主幹教諭二人で行われた金曜弔問

私達は、2点お願いした。


 <1> 私達への謝罪の前に、和解を受けた当事者校校長の考えを、11月の月命日(11/18)までに、文面にして提出してもらうこと


 <2> 娘の命が奪われて2年半になる12月の月命日(12/18)までに、
同級生の前で娘に、公に(マスコミの前で)謝罪
してもらうこと





*****
私達が民事訴訟で勝ち取った学校の非を全面的に認める 裁判所の和解文
全国の学校事故事件に苦しむ方々に朗報として受け入れられ
「全国学校事故・事件を語る会」「NPO法人・ジェントルハートプロジェクト」「全国柔道事故被害者の会」へと瞬時に転送されていった。


私達が民事提訴に踏み切る力になった、学校の責任を認めた千葉の事例のように、
      私達の和解文が微力でも多くの方の力にしてもらえば、娘の死は無駄ではなかった

11月1日  私達にはいつ謝るの?

2012-11-01 08:37:21 | 事故後の動き
                   まだ市長に苦しめられている

「両親に癒しがたい悲しみや多大な心痛を与えたことに対し、衷心よりおわびする。」って、25日の報道用の謝罪会見で言ったことは、嘘だったの?

                      嘘ばっかり  

私達の悲しみに追い撃ちをかけるように、責任否定したり、直接の謝罪日を決定しなかったり。

               選挙に不利になるという大人の汚い事情?

             どうして180度翻って謝罪を言い出したの?! 

損害賠償がないことに、市の税金を使わずに済む感謝の気持ちがあって当然なのに、市に責任もないって言ったり

                  狂っている豊橋佐原市長



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浜名湖ボート転覆事故で、亡くなった豊橋市立章南中学生の両親に市が謝罪する内容の和解が成立し、31日で1週間が経った。だが、佐原光一市長が両親に会って謝罪する日取りが決まらない。市側から候補日の提案もしていない。
          ーーーーーーーーーーーーーー 中略ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 両親によると、10月26日に両親側から連絡を取り、同30日と11月2日を面会の候補として、市に提案した。しかし、その日のうちに「市長の都合が悪い」と断られたという。その際、市から候補日を伝えると言われた。しかし、その後、10月30日夕方時点で市から両親側に連絡が入っていない。
 西野さんの父、友章さん(53)は「本来、謝る方から何らかの日程のめどでも連絡するのが筋ではないか。これでは心の底から責任を感じているとは思えず、再発防止が期待できない」と憤っている。
 豊橋市の永田憲司・秘書課長は市長選の告示が今月4日に迫っていることを挙げ、「政務で多忙のため、すぐに時間をとるのは難しい」と話している




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24日報道用の市長謝罪会見の記事→   
会釈のような頭の下げ方が1回で、シャッターチャンスを逃した多くの新聞が、市長直立姿勢の記事であった。

10月25日  第4回民事訴訟 2

2012-10-25 09:52:08 | 事故後の動き
▼今日の朝日新聞 社会面 

                           「安心の半面 不信」
                                       遺族が会見
 花菜さんの父・友章さん(53)は和解成立後に会見し、「労力と時間をかけてやっと豊橋市に認めてもらえた。 どうしてここまでかかったのか」と憤った。
 妻の光美さんとともに市側の責任を問い続けた2年4か月間。署名を募り、議会に請願し、市長にも謝罪を求めた。友章さん「(和解して)安心した半面、市に対する不信感を抱いている」と語る。
 両親の代理人の小林弁護士によると、市側が責任を認め謝罪するとの内容で和解することを裁判所から促された後、市側の対応に変化があったという。ただ、友章さんは「市は、主体的にではなく裁判所に従っただけで、根っこの体質は変わっていない」と指摘した。
 市の広報誌やホームページに和解条項の全文の掲載を頼んだが、「スペースがない」として一部しか載らなかった。事故を風化させないため、友章さんはホームページを作って全文を載せるつもりだ




▼三河版


                            野外教育 整わぬ研修
                                                ボート事故和解

 浜名湖ボート転覆事故訴訟で24日成立した和解は、豊橋市は従来の姿勢から一転して責任を認め、教職員が野外活動の安全管理についての研修など「不断の努力」をすると約束した。だが、全国の学校現場では教職員の野外活動研修は義務化されておらず、各地の教育委員会に任されているのが現状だ。