Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

青い事典、その8

2016-09-30 20:14:58 | 日記

 今から考えると、おー君に話したのは父か母だったのではないかと思います。

幼少の頃から、おー君の近所や彼のお母さんから、おー君が小遣い稼ぎに馬鹿な子の子守をしていると聞いていました。

今更ながらに、その子が自分ではないかと思えてきたこの頃です。

内心『父かな』と思っていました。

おー君を使って私の化学の道を諦めさせようと思っているのだろうか、そんな風に考えたりもしていました。

 家に帰ってきた私は早速閉じてあった事典を開きました。

久しぶりで見る中身の活字や写真はやはり興味魅かれるものでした。

はーっとため息が漏れます

にこやかな父と目があっても、私は事典を閉じずに父を無視して無言で事典を眺めていました。

 何日かして、漸く父はおー君と私が今の時期には不仲となっている事に気付いたようでした。

改めて彼と昔仲が良かったのにどうしたんだとか、この前あんなに肩入れしていたのにどうなっているんだと聞いてきました。

「おー君とは、3年のはじめからもう付き合いはないの、友達じゃないし、特にあの人の話はないわ。したくもないし。」

と私は答えます。

 父にするとこの前彼の名を持ちだして私が息巻いていたというのですが、

父と同様、それは過去の話で、過去に彼がそんなことを言っていたというだけに過ぎない、

今は全く私と関係ない話だ。と、答えると、

父は全く鼻を摘ままれたような話だとか、寝耳に水の話だとか言っていましたが、

私は全く父の話の相手にはならないのでした。

「今はもう、全く好きでもないの。どちらかと言うと友達でもないし。おー君の話は聞きたくないの。」

そう言うと、私は目の前の事典に没頭して父の言葉などどこ吹く風と聞き流してしまうのでした。


青い事典、その7

2016-09-30 15:55:18 | 日記

 2、3日私は腹を立てていました。

父が自分勝手だと思っていたのです。

そして、その間閉じた事典を見もしなかったかというと、そうでは無く、表紙を撫でてみたり、青い色を愛でてみたり、その厚みや重さを手で体感するなどしていました。

流石に開いて中身を見るという、素直な気持ちにはなれませんでした。

何かしら中身を見ないという事が、子供ながらに親に反発する証であった訳です。

 『だめだから。

、と私は思います。そう思うと溜息が出ます。

折角の人生の指針がもろくも崩れ去った今、何を心の拠り所にしようかとさえ思うのでした。

 父にこんな事を言われた、こんな状態だったと親しい友人に話したり、

憂さ晴らしに公園に出かけ家を留守にしてみたり。    

多分、図書館で本を読んでも気が晴れなかった事でしょう。

 そんなある日、学校でだったでしょうか、おー君に話しかけられました。

「Junさん、化学者になりたいんだって?」

おー君は人から聞いたという事でした。

 彼の話によると、

この地方では、1人くらいしか科学者になれない。

実は僕も科学者になりたいと思っている。

この地方では2人が科学者になるのは無理だから、Junさんの方で、化学者になるの止めてくれないか。

僕の為に。

というような内容でした。

 私はまた地方なのか、と思って出だしを聞いていましたが、途中から又おー君特有の自分勝手な物言いになるので、うんざりしてしまいました。腹が立ったと言ってよいでしょう。

あ、そう、どうだっていいわ、科学者なんて。

私がそう言うと、おー君は分かってもらえたという感じで喜んでいました。

「どうせ家はお金がないから化学者になんてなれないのよ。心配しなくていいわ。馬鹿々々しい。

そう言うと私はさっさとおー君から離れて歩き出すのでした。    

 


多分

2016-09-30 12:06:13 | 日記

現在は右利きです。

母の話によると、かなり幼い物心つく前は左利きだったと言っていました。

それは本当らしく、時に物を投げると、左手で投げた方がコントロールよく的に入ることがありました。

 ある時など、冗談で、

見ててご覧、木に止まったセミにこの石を当てて見せる。

と、左手で石を投げたところ、見事にセミに命中!

じぃーといって、セミが木から落ちた事がありました。

 「すごい、Junちゃん、すごいなー。」

と言って、その子はセミを取りに行ってくれました。

 自分でも命中した事に驚き、ほらこれとセミを見せられても、セミが可愛そうなだけでした。

いいわ要らない、あげると言うと、その子はいいのととても喜んでいましたが、私はセミが可愛そうで、とても複雑な心境でした。

 当たらないようにとわざわざ左手で投げたのに、冗談だったのにと、

返ってセミに当たったのが恨めしく思えたものです。

以降、的に入って欲しい時は左手を使います。入らなくて元々ですからね。

自分本来の姿に戻るわけです。そして、本来の私ってどんな人なのかな?と自分で思います。

 


青い事典、その6

2016-09-29 08:54:56 | 日記

 この頃父は会社勤めをはじめていました。定時収入もでき、きちんとした社会人として所帯主を務めていました。

先生や父の考えが一般的なものだったのは確かな事でした。

「昔の事だ。」

昔の事は言うなと父は言った気がします。

少し豊かな生活に入ってみると、『武士は食わねど高楊枝』と言っていた父も、

お金の恩恵に甘んじたくなるのでした。多分。

便利で楽な生活を人が好むのは、何時の世も人の性という物でしょう。

 しかし人生の希望に燃える私は更に父に食い下がるのですが、父は遂に

「学者になるのにどれだけ費用が掛かると思っているんだ、そんな大金家にはないぞ。

と言い捨てるように言いました。

思い余って遂に口に出したという感じでした。

「駄目だからな。」

とダメ出しまでされて、私も口が閉じてしまいました。

 それでも、私は勤労学生とかアルバイトの言葉を知っていましたから、自分でも学費が何とかなるのではないかと考えました。

私大学に行ったら働いてみる、アルバイトとかいうんでしょ、と、また話し始めました。

父は呆れたように、お父さんさっき駄目だと言っただろうと言い、大体お前の成績そんなに良くないだろう、と切り返してくるのです。

そこまで言われたのならと私も言います。

 それだって、2、3年の頃、私は塾に行きたいとちゃんと言ったでしょ。

けど、行かせてもらえなかったんじゃないの、と、長年積もっていた不満をぶちまけます。

習字だって、ソロバンだって、私はちゃんと1、2年の時に習いたいと言ったわ、お金が無いからと習わせてもらえなかったんじゃないの。

 そうです、私はおー君やかー君がせっせと勉強するのを黙って後ろから眺めていただけではありません。

自分も習い物をした方が良いと思っていました。勉強などしたく無いと思っていた訳ではなかったのです。

しかも、街中をふらふら歩き回りたかった訳でもありません。外出しなければならない理由がありました。

事実、予定が入らない日は自発的に図書館に通い、家でも遊びに行っておいでと追い出されない日は本を読んでいました。

全く放浪癖がある人間では無かったのです。

 父と言い合いながら、私は段々、全ての原因が家の貧しさにある事を再認識して来ました。

ただ、自分の不満を1度親にぶちまけてみたかっただけ、それも済んだと思うと、

バタンと目の前の事典を閉じ、フックを止め、こんな本2度と見る物かと思うのでした。

 

 


青い事典、その5

2016-09-28 18:40:13 | 日記

 さて、私は事典の好きな項目から将来の夢を描きます。この時、漸く私の人生の目標が出来たのでした。

『将来は、考古学者か、天文学者か、科学者になりたい

というものでした。

突き詰めて研究する、道を究めるという言葉が好きで、好きなその道に携わっていたいと思うのでした。

そうして、嬉しそうに人生の指針を父に話したのです。

 多分父はとても喜んで賛成してくれるだろう

何しろ、3年時にせっせと勉強して学問で身を立てろと言っていたのだから。

私の方針が決まった事を一刻も早く知らせて、大いに喜んでもらおうとしました。

 しかし、私の言葉を聞いた父は慌てず騒がず全く動じる気配も無く

「おまえ、金の儲からない物にばかりなりたがるんだなぁ。」

と、一言。

ややふんという感じでした。

 これには驚きました。

私はショックを受けたといってよく、失望したとも言えます。

何に失望したかというと父本人にです。

  幼少時、父は私にこう言ったものです。

「お金の事をいう人間ほど汚いものはない。お金の事でごねごね言うな。

私はそうか!と思い、清廉潔白な父の事を尊敬の眼で見つめ

この言葉を格好良い言葉だ!と思ったものです。

  早速、父のこの言葉に酔った私は当時最も仲の良かったおー君に話しました。

私のお父さんがこう言ったと言うと、おー君はびっくりしました。

いつもニコニコ私に相槌を打つばかりでしたが、その時は真顔でした。

真剣な顔で、違うよというと、

君のお父さん変だね、変なことを言うんだね、と言い、

「世の中お金だよ、富を握るものが世の中を牛耳るんだ。

と言うのでした。

君のお父さん間違ってるよ、彼はそう言うと言っておかなくちゃと、元来た道を私の家に向かって走って戻って行ったのです。  

その後どうなったか私には分かりませんが、道に取り残されてぽつんとしていた私は、

暫くして彼の後を追い家に戻りました。

 でも、私の家に彼はいなくて、その日はそれっきり彼には会いませんでした。

父からもこの件でどうという話もなかったと思います。その後父は考えを変えたのでしょうか。

  私はこの時、2つの点で過去と今で言動が違うと父をなじりました。

昔、おー君がこう言っていたけど、それで父の考えが変わったのか、何か彼と話したのか?

何故昔と考えが変わったのかとも問い、おー君の言う通り父は変だと言い放ちました。

 当然父の機嫌がいい訳がありません。

お父さんは矛盾している。そう言う私に

「もう遅いなかぃ」

と、父が言うので、その時、私の脳裏にも担任の先生の言葉が浮かんで来ました。が、私はへこたれませんでした。

 多分、昔理想としていた父の言動がほぼ真逆に変わってしまっている事、

父が世の荒波に飲まれているらしい様子を子供ながらに憂えて残念に思ったのです。

「昔のお父さんはどうしたの、理想に燃えていたでしょう、確りしてちょうだい。」

と、父を鼓舞するのでした。