Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

焼くとよりおいしくなるもの

2016-09-16 22:26:10 | 日記

 焼くとよりおいしくなるもの、マシュマロとか一般的なものしか思い浮かびません。

近年はポテトの上にマシュマロをのせてココアなどを振ってオーブンで焼いたり、

りんごとポテト、豚肉を重ねてオーブンで焼いたり、色んな料理を試しました。

目先が変わっていて面白かったものです。

 スポンジケーキの上にバナナの輪切りをのせて、カスタードクリームで覆って焼いたことがあります。

バナナの熟し具合で美味しさが違い、上手くできるととても気に入ったケーキになります。

何回か作りましたが、作って結果が楽しみなケーキだっただけに、成功するととても嬉しい事でした。


祖父の心配

2016-09-16 16:56:58 | 日記

  祖父の言葉は続きました。私がなぜ駄目なのか聞く前に祖父は理由を言ったように思います。

「あんな1人の女に収まらない男。」

そんな男を旦那にする女は惨め、と祖父は続けました。

祖父は顔を私から背けつつ、わしの孫がそんな事になっているとは、とか、どうしたものかなど呟いていました。

血筋というものがあるからな、そういって祖父は

お前はいったいどういう気で〇〇店さんに通っているんだ。

遊びに言っているとか言っていたが…

そう、遊びに行ってるだけよ。 と、私は同級生の家に遊びに行っている事を説明します。

お前と同い年の、そうか同じ年頃の男の子が居るのかと祖父はホッとしたようでした。

 今までは、日常の心配事は祖母を介して私と対していた祖父だけに、とても話し辛かったことでしょう。

祖母さんがいてくれたらと嘆いていたようです。どうにもしようがなくて、遂に直接私に話しかけてきたのでした。

このように祖父は、家族の事を人一倍気に掛けていた人でした。

私に限らず、孫であるいとこ全員に祖父は気を配っていたようでした。

 さて、一応安心した祖父は、それでも私がかー君の家から帰ってくると、彼の家での私の様子を知りたがりました。

女の子で溢れる応接室、人が一杯で私には人当たりして具合が悪くなるからと、遊びに行くのを止めようとしていた事、それならとまた元の彼と2人だけの部屋に戻った事などを話します。

皆とても可愛い服を着ている、と、ピンクや黄色、オレンジ、水色など柔らかな乙女らしい服装の話をします。

ファッションはやっぱり女の子の憧れの世界です。

 


祖父の言葉

2016-09-16 10:17:43 | 日記

 その後、 私がかー君の家に行かなくなったかというと、そうでは無く、彼から誘われると出かけて行っていました

懲りませんね、というよりも、私が元々かー君争奪戦から離脱していたからだと思います。

うー君、父、そしておー君から様々に言葉を聞いていましたから、特に自分に期待していなかったのです。

 おー君といったら、何時ものように私がお嫁さんになってあげる、と言ったとたん、これは年長さんの頃でしたが、くるりと私に背を向けて

「えー、junちゃんがー、もっと可愛い子ならいいけど。」

と言ったものです。

向こうを向いて言っても私の耳にはちゃんと入りました。

嫌ーな気がしたものです。 男の子にそんな反応をされたのは、今迄、後にも先にもこの1回だけです。

それでも、その後もおー君の態度が普段通り親しげだったので、私達の交友関係は続いて行きました。

私にすると嫌われている訳では無いと思ったからですが、話がよく合う唯一のお友達でもあったからでした。

 私はその後もおー君に意思表示します。

どうやら、お嫁さんになってあげるの言葉では、思い上がっているのではないかと考えて

お嫁さんにしてね、と言葉を変えてみたり、と、この調子で3回言ってみたのですが、

彼は相変わらず無言で、返事は帰ってこなかったのでした。

 仏の顔も3度までといいますから、私も3度で止めるつもりでしたが、付き合いが長かったせいか、とても話が合ったせいか、遂に馬鹿々々しくも(自分でも当時そう思っていました )4回目のお誘いをします。

「将来、お婿さんになってね。」と言ってみました。

が、彼は呆れた顔をして、(4回目だという事は彼も分かっていました。)やはり困った感じで無言のままでした。

流石に私も彼から色よい返事をもらう事を諦めました。小1の頃だったと思います。

 でも、後日彼は、自分には親が決めた許嫁がいると明かしてくれました。 

道理で、OKの返事がなく、無言で困っていたのだと私にも理解できました。

この時、私は彼に迷惑をかけただけだったのだ、と、彼に悪くさえ思ったものでした。

 その後どうしたかというと、今までのように彼の親しげな態度に変化が無かった事や、私にとってその当時も彼が仲良しの友達として第一の人であった事から、交友関係はそのまま続いて行ったのでした。

 この様に、身近な3人から大した事のない女の子と評価を受けていたのですから、ハンサムなかー君の彼女になんて高望みな事を私が思うわけがありませんでした。いえ、思えなかったといった方がよいでしょう。

彼から誘われたら遊びに行く、何時でもおいでね、と言われれば気が向いた時に遊びに行く、そんな感じでいたものです。

 私が足繁くかー君の家に通い出した頃、ただいまと帰宅すると店で祖父が待っていました。

店といってももう商売など殆どしていなかったのですが、祖父は台に向い座り込んで何やらしていました。

 祖父は私に振り向くと、

「お前、なになに店さんに通っていると聞いたが、そうなのかい?」

と聞くのです。

私にすると、かー君は自慢できるお友達だと思っていました。きっと祖父は褒めてくれるのだろうと思います。

うん、そう、通うというより遊びにと言った方がいいけど、と誇らしく答えました。

ところが、祖父はそれは良かった、でかしたとは言いませんでした。

私の返事にこれは、という感じで面食らったというような反応でした。

そして

「〇〇店さんだけは駄目。

と、にべもない一言を私に返すのでした。