よく覚えているおー君の思い出、その1は、スーパーマンごっこです。
当時スーパーマンが流行っていました。
子供は風呂敷を首に結んでマントにして、飛ぶ格好をまねて走り回っては、空を飛んでいる気分を味わっていました。
飛行機がまだ主流ではない時代です。皆、本当に空を飛んでみたいと願っていたのです。
ある日彼はその風呂敷を首に結んだ格好で園の屋根に現れました。何処から登ったかなんて考えませんでした。
園庭にいた皆が、危ない、飛ぶな、止めろの大合唱。飛ぶと死ぬぞ、と制する子もいて、園の先生を交え大騒ぎとなりました。
私も仲良しのおー君が怪我をするのを止めようと必死でした。でも、何と言えば彼が飛ぶのを思い留まるか考えも着きません。
考えている間に皆の声が交錯し始めました。
もう飛び降りさせたら、怪我すれば懲りるだろう、死んだら終わりだぞ、怪我で済むかな、そんな声が飛び交い始めました。
囁いている声ではなく、わざと大声で彼に聞こえるように言っていたのです。
そうか!と、私も彼の性格を考えてみました。
お喋りしている時、砂で型を取っている時、彼は知らない言葉があったり、型作りが上手くできなくて、知らないの?とか出来なかったの?と言われると、こちらは何の気なしに言っているのですが、彼自身は馬鹿にされたと思うらしく、かなり自己嫌悪に陥る方でした。
そんな時彼は妙にしーんと静かになり、身動きもしなくなり、私が彼の顔をよく見ると目に涙が、そう泣いているのでした。
そうだ!おー君は私に馬鹿にされたと思うのが大嫌いだ。
私は閃きました。
「おー君、飛びたいなら飛んだら、そしたら落っこちるから、なんて馬鹿な子なんだろうと笑ってあげる。」
うーん、いい言葉だ、バカやめろよ、と賛否両論の言葉が上がりました。
あいつ、笑う顔見るの好きなんだぞという声も聞こえたので、私は言葉に修正が必要だなと思います。
「飛ぶと落ちるから、馬鹿だと思うからね、馬鹿な子とはもう遊ばないからね。」
今にも飛ぼうかどうしようか迷って決意しかねていたらしい彼の瞳が、悶々とした色から私の言葉を考えているらしい物思う瞳に変わりました。
すぐ飛び降りる気配が無くなったので少しほっとしましたが、依然彼は屋根の上、皆やきもきして上を見上げていました。
どうするのかしら、私も以前彼を見上げ、彼の表情を凝視していました。すると、彼の顔が笑顔に変わりました。
もう大丈夫だな、と私は直感して、ホッとしました。
このすぐ後に園の大人の人が屋根に現れ、彼はおとなしく捕獲されました。何だかずーっとニコニコしていました。
見上げていた一同、皆一気に脱力感、ホッとして気が抜けました。
降りて来た彼は皆の前にすぐ姿を現しませんでした。お説教でも受けていたんでしょうか。
漸く園庭に現れた彼に、心配かけないでよ、絶対に高い所から飛ばないで、飛べるわけないでしょ、怪我したらどうするの。と、私は散々文句を並べたてるのでした。
それでも彼の顔を見ていると、まだまだ足りないようなので、取っておきの言葉を言ったような気がします。私も父に時折言われていました。
「おー君が死んだら、Junちゃん泣きますからね。」
と。