Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

美湾

2017-12-31 16:11:00 | 日記

   しかし、シドニーには動物園が多いのかもしれません。もしかすると、10日のこの日は2ヶ所の動物園に行ったのかもしれません。コアラの写真スタジオがある動物園と、普通の一般的な小さな動物園です。私にすると不愛想なカンガルーかワラビーがいたのが普通の動物園で、コアラとの撮影をしたのがコアラ専用のテーマパークか何かだったのかもしれません。

   さて、小さな動物園のカンガルーは、私がせっせと「可愛い!、可愛い!」と呼びかけても、全然反応無しでむっつりとしていました。動きも静止していてほとんど動きませんでした。愛想のないカンガルーだと思いましたが、この動物というのは皆そうなのかもしれません。私はがっかりしました。でも、この後、横にいた年配の白人女性の方が声をかけられると、反応してにこやかになり、群れにも動きが見られたので、向こうの動物は英語でないと反応してくれないのかもしれません。

   また、湾に面した岬の公園の方は、高台で見晴らしが良く、メモの通り鳥が多いと感じました。 私は公園の散策路を歩いている時にある事に気付きました。木の上に白くびっしり付いている鳥の糞、道の上に一切見られないそれらの鳥の痕跡に、鳥と人がきちんと棲み分けているのだと驚きました。

   公園の道を歩きながら振り返ると、ご家族連れのご兄弟の年上の方が屈み込んで多くの鳥に餌をやっておられました。

「あのお兄ちゃん鳥を手懐けたんだね。」

フルムーンの奥様が笑顔で私に声をかけられました。彼女の言葉に最初私は無言でした。先ほど見た鳥の棲み分けが気になっていたからでした。餌を与えて良いのかどうかと心配になったからでした。ここでは自然と人がお互いに干渉し合わなないようにしているのではないかと考えていたからでした。

   暫くして、顔を曇らせた彼女の様子に気付き、私はにこやかに笑顔を彼女に向けるとええと答えたのでした。

 


美湾

2017-12-31 09:05:06 | 日記

 ここで、すっかり忘れていた3月10日のメモを見てみます。

 「オペラハウス、シドニー湾、レンガ造りの家。電車2階建て、橋石レンガ造りで巨大。建物異国情緒あり。アースカラーのレンガ多し、エアーズロックの土の色、この土で作られたレンガの為。安価なため。シドニー湾美しい、水綺麗、鳥多し。」

とあります。

  メモを見ていて思い出す事は、この日行った動物園や高台にあった岬の公園風景の一部などです。動物園は前日行った場所とは違い、それぞれの動物の飼育場がこじんまりとした間取りになっていました。この動物園は昔ながらの一般的な動物園といった感じでした。昨日の物は広大で平面的な感じ、広々と広がる大空天井を展望出来たのですが、こちらはまとまった区画を感じさせる動物園でした。ここではカンガルー、ワラビー、そしていよいよこの旅で実物が初登場したコアラとの触れ合いがありました。写真撮影もありました。 (中はコアラと私のツーショット写真です。) (動物園のパンフレット)

 コアラは夜行性という事でしたから、目を閉じている場面が多いので残念ですねというお話でした。皆抱っこする人、並ぶ人と、思い思いに写真を撮っていただいていました。私はコアラとツーショットで並んだ写真です。カメラマンは若い女性スタッフ達でした。Tシャツに短パンというラフなスタイルでしたから、まだ夏の気配を感じる事が出来る、動物園内にある屋内施設という感じでした。傘型の反射板?や普通の反射板、太い電気コードが床を走り、ライトなどの撮影機材が幾つもあり、簡単ですが立派な写真スタジオになっていました。


美湾

2017-12-30 16:03:49 | 日記

 食事をした船内はこじんまりとしていて落ち着き、内輪で寛げる雰囲気がありました。覚えているメニューは前菜の「カッテージチーズのソテー」です。初めて食べましたが、厚切りのお豆腐が1丁、こんがりとソテーされてどーんとお皿に出されて出てきた感じでした。見た目の豪快さに驚きましたが、チーズと名がつく割にはあっさりとしていて口当たりが軽く、とても美味しく食べられました。私の口によく合いました。綺麗に1皿平らげてしまうと、もう一皿食べたいくらいでした。それでお替わりを貰おうかなと私が言うと、

「それは前菜だから、メインの肉料理が食べられなくなりますよ。」

と、ガイドさんや皆に止められてしまいました。が、本当にもう一皿食べたいと思いました。これは事実です。当時の私の食慾ならば、前菜2皿は大丈夫だったことでしょう。前菜もメインも2、3種類の中から各自好みで選べるようになっていました。私がメインに何を選んだかもう覚えていませんが、メインディッシュの時に、サンフランシスコのホテルでディナーの時食べた「ニジマスのムニエル」を思い出して話をしていたように思います。

 西洋の魚料理は素敵です。きちんと中骨が取り去られているのに、魚全体の形がそのままに盛り付けられてお皿に出てきます。この点日本料理の調理法でこういった経験の無かった私には、非常に食べやすく提供された魚料理に驚いたものです。身も崩れていなくて、ほろほろとした魚肉のきちんとした1つ1つの小さな身を視認することが出来たのには、当時いたって感心し、舌を巻いたものでした。

 さてデザートです。これは本当に覚えていません。夏場だったのでシャーベットかアイスクリームか冷たい物だったのではないかと思います。食事が済む頃にはとっぷりと日が暮れて、甲板に出て夜風を浴びながらシドニーの夜景を見たのですが、街の灯りや風景を全然覚えていません。甲板は大きなヨットの様な感じでした。船に詳しくない私には何が何だか全然分からないのでした。


美湾

2017-12-30 14:08:45 | 日記

   「何かありましたか?」

ご家族連れのお母様に声を掛けられて我に返りました。私は道に戻って彼女に微笑みました。

「このクチナシの花が、」

私は彼女に説明しました。匂いが無いので、と、気になった事を話すと、彼女は違う花でしょうと仰り、私もええと頷きながら、でもクチナシにしか見えない花なので不思議でと、思案投首の体でいました。

 すると彼女も花の傍に出掛けその香りを嗅いで、表情を曇らせるとやはり思案気に無言で戻って来られました。分からない事を考えていても仕様がありません。お互いに微笑みながら、行きましょうかと私達はツアーの一行の後を足早に追いかけました。

   「クチナシの花言葉をご存知?」

彼女の急な問い掛けに、私は一瞬戸惑い、いいえと答えるのでした。当時クチナシの花言葉など全然知りませんでした。お母様の方がご年配の分、知識や経験がおありのようでした。何だかにこやかで余裕のある彼女の様子を感じ取ると、私は船で何かあるのかな?と怪訝に思うのでした。

   現在検索してみると、クチナシの花言葉は、「私は幸せ者」「とても幸せです」「優雅」「洗練」「清潔」「喜びを運ぶ」と言った言葉のようです。良い花言葉を沢山持っているのですね、クチナシは。この晩のディナークルーズはとても素敵でした。美味しいお料理をいただきました。本当に幸せなひと時を過ごしたと言えます。


美湾

2017-12-29 18:28:16 | 日記

   ホテル玄関のガラス戸を通り過ぎ、外に出た私は透けたガラス窓越しにホテル内にいるアルパカを見やりました。するとご機嫌な顔付きでうきうきとした様子にみえました。人なら笑顔で嬉しそうな感じでしょう。『ごめんね、私は人間でアルパカじゃないから、あなたの相手はできないのよ。』そんな事を心の内に呟きながらホテルを後にしました。

   私はホテルの傍を歩きながら、かつて飼っていた鳥達や親戚の家にいた犬などを思い出していました。彼等はよく慣れて私の指や足に絡みついて来たものです。それを思い出すと、とてもあんなに大きなアルパカの相手は出来ないのでした。溜息と共に懐かしい動物達を思い出します。彼らはもう追憶の中にだけしかいないのでした。

  ふと気付くと、ホテルの横の壁に沿って小さく直線状に緑が植えられています。花壇には可愛い八重の白い花が咲いていました。クチナシのようでした。クチナシは香りのよい花を咲かせます。道を歩いていた私は思い立って白い花に近付くと身を屈めました。自分の鼻を花に寄せてそっと香りを嗅いでみます。花は全くの無臭でした。なんの香りもしません。そこで屈んだついでに近くでその花や葉の形、葉の緑の濃さをしげしげと眺め直してみました。こうやって改めて見直して見ても、その花は全くクチナシにそっくりでした。

   この土地では花の香りが無くなってしまうのかしら、そんな事を思いました。私は前にもケアンズでパイナップル・セージを見かけ、私の好きな甘い香りの花だからと側に寄って香りを嗅いだのですが、全く葉にも花にも香りがなくて首を傾げてしまいました。その時にも私は改めてその植物を見直してみたのです。赤い花の色や形、明るい黄緑の葉先や楕円の葉の形、葉に寄る皺の加減、茎の様子やその草の容姿を確りと眺めてみました。どう見てもパイナップルセージだと不思議に思いました。その時はよく似た違う草なのだろうと思い、納得しようとしましたが、全くのそっくりさんでしたから、私には別の草とはどうしても思えなくて、香りの無いのが何とも不思議で仕様が無かったのでした。

   この目の前のクチナシの無臭で、この土地へ来て2例目になる同じ出来事に、私は土の違いのせいなのだろうかと考えてしまうのでした。土に鉄分を多く含む、そんなウルルの土地の説明が思い浮かんで来ました。又は先住民の人々の怨念のようなものがあるのかしらと、非科学的な事も考えてしまうのでした。夕刻という時刻のせいでしょう。自分でもオカルトめいた考えだと思うのでした。