この頃父は会社勤めをはじめていました。定時収入もでき、きちんとした社会人として所帯主を務めていました。
先生や父の考えが一般的なものだったのは確かな事でした。
「昔の事だ。」
昔の事は言うなと父は言った気がします。
少し豊かな生活に入ってみると、『武士は食わねど高楊枝』と言っていた父も、
お金の恩恵に甘んじたくなるのでした。多分。
便利で楽な生活を人が好むのは、何時の世も人の性という物でしょう。
しかし人生の希望に燃える私は更に父に食い下がるのですが、父は遂に
「学者になるのにどれだけ費用が掛かると思っているんだ、そんな大金家にはないぞ。」
と言い捨てるように言いました。
思い余って遂に口に出したという感じでした。
「駄目だからな。」
とダメ出しまでされて、私も口が閉じてしまいました。
それでも、私は勤労学生とかアルバイトの言葉を知っていましたから、自分でも学費が何とかなるのではないかと考えました。
私大学に行ったら働いてみる、アルバイトとかいうんでしょ、と、また話し始めました。
父は呆れたように、お父さんさっき駄目だと言っただろうと言い、大体お前の成績そんなに良くないだろう、と切り返してくるのです。
そこまで言われたのならと私も言います。
それだって、2、3年の頃、私は塾に行きたいとちゃんと言ったでしょ。
けど、行かせてもらえなかったんじゃないの、と、長年積もっていた不満をぶちまけます。
習字だって、ソロバンだって、私はちゃんと1、2年の時に習いたいと言ったわ、お金が無いからと習わせてもらえなかったんじゃないの。
そうです、私はおー君やかー君がせっせと勉強するのを黙って後ろから眺めていただけではありません。
自分も習い物をした方が良いと思っていました。勉強などしたく無いと思っていた訳ではなかったのです。
しかも、街中をふらふら歩き回りたかった訳でもありません。外出しなければならない理由がありました。
事実、予定が入らない日は自発的に図書館に通い、家でも遊びに行っておいでと追い出されない日は本を読んでいました。
全く放浪癖がある人間では無かったのです。
父と言い合いながら、私は段々、全ての原因が家の貧しさにある事を再認識して来ました。
ただ、自分の不満を1度親にぶちまけてみたかっただけ、それも済んだと思うと、
バタンと目の前の事典を閉じ、フックを止め、こんな本2度と見る物かと思うのでした。