Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

祖母の死その1

2016-09-13 11:44:31 | 日記

 私が小3の夏か秋ごろ、祖母は体調が悪かったようです。

珍しく私達の部屋に姿を現して、掛けてある名言集、偉人の言葉など眺めていました。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし急ぐべからず焦るべからず」

「ローマは一日にして成らず」

「千里の道も一歩から」

などなど、書かれていました。私も父に復唱させられた記憶があります。

何時からか日めくりのページは、徳川家康の「人の一生は…」の頁だけが表示され、捲られる事がなくなりました。

祖母はその吊り下げられた暦を手に取り、書かれた文字を眺めていました。

 その日の夕方、祖母は祖父に

「2階に掛けられた暦の言葉を見たことありますか?日にちも違うのに、何時行ってもあのページなんです。

と切り出しました。

祖父は知らないと答え、私達の部屋には行かない、祖母に行ったのかと止めるようたしなめていました。

祖母は祖父のたしなめを気にせずに、あの子如何いうつもりなんでしょうか?と祖父に繰り返し話していました。

 我が家では、末っ子だった父が祖父母の家に残り、上の伯父達は戻って来ない様子でした。父が家を継いだつもりでいることに対して、祖母はこのままでよいのかと祖父に決断を促していたようです。

何時の世も、長子が家に収まっていないと跡取りの問題が起こってくるものです。

 結局、父は家に収まり祖父母の面倒を見ると言ったようです。ならそのように算段しないと、と祖父母はの方向が決まったようでした。

父が跡を継ぐとその後は私と、自然に流れが決まり、早速、祖母は私に日めくりの言葉を読み、もう読めるねと読ませました。

重荷を負うて…、です。そして、

「お前も重荷を負っている

と切り出しました。私が重荷を背負っているんだというのです。

初めて聞く言葉に私はぎょっとしました。

後から父に比喩だなんて説明されても分かりません。例えと言われてもピンときませんでした。

そんな重たい荷物など持ちたくないと言ったものです。

 が、その後も祖母はしつこかったです。

繰り返し繰り返し、私がそんな物持ちたくないと何度音を上げても、持っているんだ と全く追及の手を緩めませんでした。

終に私は切れました。祖母に

「お祖母ちゃんのいう事なんか聞かなくてもいい、そんな重たい物持たなくてもいい。」

と、言い放ったものです。

 祖母のいう事を聞かなければ、そんな重たいものを自分が持っていることは無いという事になると思ったんですね、子供ですから。

その後祖母は諦めたようで、後日こう言いました。

 何もお前が荷物を全部持たなくてはいけないというものでもない、半分持ってくれる人がいるから、今いなくても、きっと将来半分持ってくれる人がいるだろうから、持っていなさい。

その人に少しだけ持つとか、全部持ってもらうとかでもいいけど。などなど。

私の剣幕に恐れをなしたのか、最後は案外優しい元の祖母に戻って言ったものでした。私は自分の意見が通ったようでほっとしたものです。

 それからしばらくして、私が帰宅して部屋に入ると、祖母は珍しく余所行きの洋服を着て2階にいたものです。

祖母はかなり不安そうな顔つきをしていました。

何かあったのかと私が尋ねる程に真剣で暗い表情でした。顔色も青ざめて黒っぽくさえ見えたものです。

 祖母はぼんやりと2階の廊下から明るい曇りガラスを眺め、今日医者に行ってきたこと、精密検査が必要で受けてきたが結果は後日だという事、病院の様子ではかなり悪い結果が予想されること、そんな話をした後、多分我知らずに行ったのでしょう、

「この調子では来年の今頃は私はここにいないね。」

とか細く呟いていました。

 かなり前から体調が悪かった事、もっと早く行けば何とかなったろうか、もう歳だから元々ダメだったのかもしれない、など、私の顔を見ながら心ここにあらずと半ば諦めた感じでした。

家中では一番明るいだろう私達の部屋、その日差しが入る廊下の縁に腰かけてその後も物思いにふけっていました。