Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

竹馬の友、6

2016-11-30 17:45:49 | 日記

 その年の梅雨時頃、近くの川が氾濫しました。

おかげで床下浸水、床上浸水などの言葉をよく耳にしました。

私にはこの出来事で目にした人々の苦悩や嘆きが、はっきりとした重鎮となって胸に残り、

悲惨な災害の記憶としてこの言葉を覚えようと思い、事実そうしたものです。

 この時 、登園仲間のお友達の家も床上浸水して酷い事になりました。

暫くは掃除して綺麗にして暮らしていましたが、その内、やはり住みたくないからと引っ越して行きました。

私にとっては身近な人の危難を見た最初の出来事でした。気の毒な話に同情して余りあるものがありました。

心配で暫く通っていると、友人宅の生活が大変そうなので、

我が家で泊めてあげたらとか、お見舞いを出してあげて欲しいと大人に訴えたり、

果ては幼児の僅かな貯金を持ってお見舞いに行ったりしました。

 この頃の私のお小遣いは1日5円でした。1ヶ月貯めても150円程です。

もちろん何の足しにもならないので、友達の家の人にすると返って迷惑だった事でしょう。

それでも、園での昼食用のパンが20円~50円程で買えましたから、パン3~7個になったかもしれません。

 さて、災害です。その日の雨はどしゃどしゃと大ぶりの雨粒が降り注ぎ、

終始物凄い雨音と屋根に当たる水の衝撃の連続が、果てるとも無く続いていました。

私はこの天候に心穏やかではいられませんでした。

庭を見ると、見る見る水位が増して、10センチ、20センチと溢れ返って行きます。

 その年の梅雨は、既に何度かこんな土砂降りの日がありました。

が、私は水嵩を見ている内に何時もと様子が違う事に気付きました。

 「お水だお水だ、一杯あってお風呂みたい。海みたい。

いつも私が面白がって囃し立てて眺める庭の水位とは違い、

どんどん水は高さが増して行くのです。

以前父から聞いていた、幾ら水に浸かっても、水が来るのはあの辺りまで、

後は雨も止んで引いていくから大丈夫だという目印ももう超えたのに、

雨は止まず、水もどんどん増えていくばかりなのです。

 幼い子供心にも、これは、何だか大変な事なのではないかと感じました。

そう思いながら見守る内にも、水高は益々増すばかり、

どんどん増えて止まる気配が無く、当然引いていく様子もありません。

 私は居ても立っても居られ無くなり、

このままだと家が水に浸かるんじゃないかと気が気でならなくなりました。

父や祖母に庭の異常な水位を報告して、大変大変と1人で騒いでいました。

 父は笑顔で大丈夫だと言いましたが、祖母はそんなに言うならと、私に付き合って庭を眺めに来てくれました。

「これは、本当にちょっとおかしい。」

と、祖母もその庭の水位に血相を変えて祖父に知らせに行き、

やはりいつもと様子が違うと訴えました。

  最初、祖父も父に合わせて笑顔で応対し、女子供は大げさなと、半ば半信半疑で縁側まで来ましたが、

その頃はもう縁側の戸口のある土間にまで雨水が侵入し、10㎝ほどの高さに水が溜まって来ていました。

それを一目見て、私と祖父母3人は縁でしーんとしてしまいました。

縁側の降り石も雨に浸り、このままではそう遠くない内に水に沈みそうです。

さっき祖母と見た時にはこんな所に水が無かったというと、祖父は祖母に確認して、

水の増す速さに信じられない様子でした、が、やはり余程の事っだったのでしょう。

祖父も何処かへ問い合わせた方がよいと判断したようでした。

 急いで、おいおいと父の名を呼んで、縁側まで来るよう呼びつけました。

父はやってくると、祖父母と孫が寄り集まって血相を変えている姿に呆れて、

何だいこれはと言って相変わらず暢気なものでした。

土間に侵入した水を見ると、一瞬、何だいこりゃぁ、と、顔を曇らせましたが、

直ぐに、父さんまで子供のいう事を真に受けてと、あくまで朗らかでした。 

 祖父は流石に眉間にしわを寄せて父に何か意見をしていました。

おまえ、それじゃあ、こんな所に水が来たのを今まで見たことがあるというのか。

おかしいと思わないのか。そんな事を言っていたように思います。

 その後、少ししてどこから情報が入ったのか、

「○○川が氾濫したそうだ。堤防の上まで水がついて、あっちの方は家も水に浸かっていてまだまだ水が溢れているそうだ。

と、これは大変だ、見に行って来なくてはと、

父と祖父は降りしきる雨の中を雨合羽に長靴を履いて出かける準備です。

祖母は危ないからと祖父を引き止めていましたが、

祖父にすると如何も父の事が心配だったようです。

1人でやる訳にもいかないだろうと、2人で出かけて行きました。

2人を雨の中に見送った後、程無くして後を追うように祖母と母と私も見に行く事になりました。 

 長靴に傘をさして歩き出すと、アスファルトの道路は軽く水が溜まり流れていましたが、

徐々に水嵩はまして、長靴の沈みこむ深さは増していきました。

家から10メートルの所で祖母は年寄りの足にはもう無理だからと、1人リタイアして家に戻って行きました。

 母と私は先に進み、溢れたという川の方向へ角を曲がり、

次の角に差し掛かった所でLさんと彼女のお母さんの2人連れに出会いました。

 「あ、Junちゃん。」

向こうも気付いて声をかけてくれます。

「行かない方がいいよ、酷いのになっているから。」

と、Lさんは見ない方がいい、行かない方がいいと繰り返していました。

Junちゃんは見ない方がいいよ。本とに酷いのになっているから、と、

最後にもう一度行かない方がいいよと私を振り返って見ながら、

彼女はお母さんに連れられて行ってしまいました。

 私は神妙な顔つきをしていたと思います。

如何しよう、Lさんがああ言うからには行かない方がいいなと思います。

帰ろうかと踵を返すと、母が帰るのかと聞きます。

そうよ、だってLちゃんが見ない方がいい、行かない方がいいって言ってたじゃないの。

私はLさんの忠告に素直に従う気でいました。

 


2日程なんですけど

2016-11-30 08:51:31 | 日記

 普通作り置きおかずというと、1週間くらい持つ物を言いますが、

私の場合、そんなに長く持つものは作らないので、

2日くらいの作り置きです。

普通の煮込み料理をたっぷり作って、2日ほどかけて食べるだけなんですが、

それでよいでしょうか。

シチューとかスープ系です。

温め直す度によく煮込まれて、気持ちまで暖かくなるような気がします。

自分で言っていては世話が無いですね。


竹馬の友、5

2016-11-29 23:00:32 | 日記

 Lさんは一人っ子、近所にお友達もいないので宜しくねと、彼女のお母さんに頼まれていました。

それで、暫くしてから彼女が私の家にも遊びに来るようになると、

私は早速自分の友達を紹介しました。うーちゃん、えーちゃん、おーちゃん、

女の子もBさん、家が遠いのですが、Cさんも紹介したかもしれません。

なんだか自分が友達の輪の中心にいるような気がしたものです。

 その後それぞれに小さな輪同士で遊んでいたかどうかは私には把握できませんでしたが、

私自信はよくLさんの家に1人で遊びに行きました。

遊んでみると、外より家の中で共に本を読んだりする事が多く、

話し合いなどもよくしていたので、当時のお喋り仲間でしたね。

 当時の私は男の子はえーちゃん、おーちゃんと話が合い、女の子はLさんというような

やはり女の子の友達の中では特別なお友達という感じでした。

 Lちゃんに馬鹿だと思われたくないからと、変な行動は慎んだり、言葉や文字など、

負けているなと思うとせっせと練習して習得したりというように、同年代のライバルでもありました。

 男の子はおーちゃん、女の子はLちゃん、特にLちゃんには普段の行動にも品行方正で臨まなければいけないと、

心にきりりとした信念のような物を持たねばなりませんでした。

それは私に対してのLさんも同じだったようです。

私に馬鹿だと思われたくない、変な子だと思われたくない。

共に同じ事を言って身を正しくし、学習にも励んだものでした。

こんな点、今から思いだしても良いお友達、文字通りの良友関係というものを互いに築いて行きました。


竹馬の友、4

2016-11-29 11:54:56 | 日記

 お呼ばれしたからにはお返ししなければ、そんな事を家の大人が取り沙汰して、

程無く私はLさんを家へ招待します。

 当時は私もLさんも共に一人っ子状態、家族も子供の付き合いにとても気を配っていたのでしょう。

公園デビューならぬ、家族ぐるみのお家同士の交際デビューでした。

お菓子を配って挨拶ならぬ、夕餉のテーブルで家族一同総出でご挨拶だった訳です。

両家で共にこうでしたから、どちらも相当気を使っていた感じでした。

 家でLさんが食事をした時にも、テーブルには何鉢もおかずが出され、

それはもう特別に豪華版な夕餉になっていました。

私はこんな夕餉をそう見た事が無く、親戚の伯父家族が来た時以来であったように思います。

私はLさんに、何時もこんなに凄く無いのよと言いながら、

大人が皆、いや、何時も家はこうなんだよとにこやかにLさんに話す姿を眺めて、

家でこんなに豪華にお友達を持て成してくれるのも、全ては私の為と思うと、

偽りの夕餉でありながら、何だか少し嬉しい幸せな気分に成るのでした。

 この家に生まれてよかった、そんな事さえ思いながら父の膝の上に乗っていた気がします。

そこには我が家の団らんがあり、新しく出来た女友達といい、

これから成長して行く自分にとって、とても幸せな日々が花開いて行くような気がしたものでした。

 


竹馬の友、3

2016-11-28 18:59:37 | 日記

 それから2日ほどして、遊んでいると又おばさんに呼ばれます。

「やっぱりお友達に成りたいんだって。」

とおばさんが言うので、次にLさんに会った時にまた自己紹介のやり直しをしました。

今度はちゃんとLさんも挨拶してくれて、名前も教えてもらいました。

 私が如何して最初の時に何も言わなかったのかと聞くと、

初めて会う人と話をしてはいけないと家の人に言われたのだそうでした。

そうなんだ、そんな子もいるのだなと思いました。

私は園でにっこり笑ってこんにちは、初めましてと自己紹介するのだと教わっていましたから、

初対面では皆そうだと思っていたのです。

園の違いもありましたが、他にもお家の職業の違いがありました。

そうです。Lさんはとても硬いお家のお子さんだったのです。

 その後遊びに行ってみると、宗教の絵本が一杯ありました。

所謂、道徳教育用に置いてあったようです。本の内容はお釈迦様の教えです。

4コマ漫画から始まって、ストーリー漫画へと絵本は続き、

私はよくLさんの家に通ってこれらを読みふけった物です。

普通の物語の本に物足りなさを感じていた頃だったので、こういう倫理を説く本は、

私の場合ですが、人生の指針としての倫理感や人生観を得るのに非常にぴったりと来ました。

 「こんな本が読みたかったの。」

Lさんのお母さんにつまらない本でしょうと言われて、いいえと私はこう答えたものです。

どう生きたらよいか、そんな事を教えてくれる本が読みたいと思っていたところだったからと、

これは嘘ではなく、本当にこの頃の私はそう感じていました。

今まで読んでいた童話や昔話にも教訓はありましたが、大きな倫理、細かい倫理、人としてどう生きるか、

そんな事が知りたい年齢だったのですね、私の希望にまさにピッタリの本だった訳です。

以降このシリーズの本に、私はすっかりはまり込んだと言ってよいでしょう。

 遊びに行くとその本のシリーズを読み継いで、夢中で読んでいたのでとうとうおばさんから、

「その本通りに生きると人は生きていけなくなるから。」

と、諭されて本は全て目の届かない所へ片付けられてしまいました。

 私にすると、とても残念でしたが、後日、同じシリーズ本がある場所に行きあい、

私はまたそこで読んでいない本を読み漁る事が出来ました。そこも又途中で途切れてしまいましたが、

結構はまり込んで読んだ宗教の子供向けの本でした。

このような、私の人生観に大きな影響を与えた本に最初に出会ったのがLさんのお家でした。

 また、遊びに行くと、夕飯時間まで居ることが多く、一緒に夕飯をとお呼ばれする事もあり、

そんな時は御前にずらっと料理が並び、私はもの凄く目を見張った物でした。

1テーブルの座卓なのですが、テーブルの上に鉢が何鉢も並べられ、

好みの料理を思い思いに取って食べられるようになっていました。

 家の一汁一菜とは大違いの豪華な食事に、最初の時には畏まってしまい、

他人の経費と思うと、勿体なくておかずを口に運ぶ事が出来なった物です。

おかげで好き嫌いの好みを聞かれてしまいました。

 嫌いな食べ物ばかりで食べられなかったのだろう、

大人の料理ばかりで子供向けじゃなかったのだろうと

Lさんの家族に食事の間中取り沙汰されていました。

子供が遠慮しているとは誰も思われなかったようです。

 私にすると、結構針の筵に居た訳です。

思いがけず助け船、迎えに来た母の姿にほっと胸をなでおろすと、

漸く腰を上げて帰宅することが出来ました。

 豪華だったわ、凄いご馳走だったわ、

帰り道でも家に帰っても、私は夢うつつでした。

Lさん宅の夕飯のご馳走が目の前をちらついて、上の空でこの言葉を繰り返していたのを覚えています。