「21世紀はアジアとの時代」 (Jtiro🔴Jpn) SDGs.Webサイト(Editor: K.Yamada)

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■どう向き合えばいいのか。

2024-03-23 | ●山田語録

■■■■■■■■■■■■■目前心後■■■■■■■■■■■■
  
■■
プーチンと岸田で思う事」
🔵コロナパンデミックで、老後の海外踏破の夢が大きく狂った
5年前には,タイに隣接するメコン半島のラオスベトナムインド
を訪れる計画をもつていた。

主な目的は 戦後のベトナムが,巨大な米国との戦いで,したたかに勝利した
事にある。その国の実態を知りたかった
。もちろんベトナム戦記を書いた
作家
開高健の心意気にも触れてみたかった。もう一つは, 中国の サプライ
チェーンの後継国として,多くの経済
評論家が, ベトナムを推挙している理
由を知りたかつた。

インドは,中国を凌駕する世界最後の覇権国家として, 独自の2面外交を展
開する特異な国情を
具に知りたかった。また30年前から, インド悠久の
マハラジャ王宮文化に格別の興味を持っ
ていた。
寄る年波というか,その後の世界情勢というか,アフターコロナの今も実現
できていない。残念というほかない。

  
🔵「戦争と平和」これはトルストイの小説の話ではない。ロシアとウク
ライナの戦争に関
わる極めて重要な課題である。
日本は,幸運にも戦後79年の長きに亘り, 平和な毎日を 過ごすことが出来
た。しかしいまロシアのウクライナ侵攻が2年
に及んで, 世界の安全が大
きく揺らいでいる。ここアジアでは米中の台湾問題が逼迫するなか, 日本
の平和の先行きに赤信号が灯っている。それだけに第二のウクライナ戦争
は,何としても 阻止しなければならない。
にも拘らず,現,自民政権は, 憲法
改正に手をつけようともしない,言行不一致がはなはだしい。

いま世界の首脳、ソ連のプーチンと中国の習近平と日本の岸田が歩調を合
わせて、ウクライナ戦を停戦し、世界に平和を呼ぶこむことに成功すれば
3人の首脳のイメージは、大きく様変わりする事と思う。
ウクライナ戦争の3年目に入るに際し, 政権政党の体たらくを是正し,日本
の真価を全世界に伝えて欲しいと思う。

🔵「奇策
あくまで思い付きだが,何としてもプーチンを動かす奇策の提案がある
この際、ウクライナが停戦し,世界に平和が
戻るとすれば、なんでもやり
たいという思いが強い。しかし,この2年間に及ぶ米国やEUの停戦交渉を
見ても,従来の東西のやり取りの域をでていない。

普通たれしも出来ないと思う事を俗に奇策という。かってサントリーの
社祖,佐治敬三は「やってみなはれ」と社員を鼓舞して事あるごとに社員
に新規事業創造の機会を創ったという。
まず断っておくが、成熟社会では、ほぼできる事は出来尽くされており、
普通の事では実現は難しい。だからこそ奇策と呼ばれるわけで,気概がな
いと実現は不可能といわれる所以だ。

ではまず、その国民の声なるプロット(奇策)を聞いて欲しい。
・あのロシア通の鈴木宗男議員を旗頭に据えて,
存命する日本歴代の前総理大臣全員はじめ
・同じく存命する歴代の外務大臣経験者を総動員して,
ウクライナ戦争停戦,平和交渉日本超党派代表団を結成。
併せて民間の日露平和団体の代表団と日本歌舞伎一行と記者団など
(200
人規模)  を伴い政府専用機2機で大挙してプーチン大統領を訪問,

約1週間にわたり首都モスコに滞在,プーチン大統領と会合,
日本独自の平和外交(ウクライナ停戦)を展開する。
ウクライナ停戦を呼びかけると共に, 全世界にメッセージを発信して,
停戦と平和の到来を強く促す。


🔵ロシア通の鈴木宗男議員
歴代10人に及ぶ日本総理大臣が織りなすウクライナ戦争停戦交渉団

 
平和国家日本の歴代首相10人衆が,直接プーチン大統領に平和を説得.

・同行の日本伝統歌舞伎のおめでたい演目「福叶神恋噺」を連日披露。
日本民間平和団体は、ロシヤの民間団体と交流を重ねる


なにしろプーチン好みの世界初の大掛かりな企画なので,平和国家日本の
本気度の程をプーチン大統領に
訴えかけて、ウクライナ停戦を実現に持ち
込みたい。




■■陰謀
⚫️ウクライナ戦争から既に2年が経つ。ウクライナ戦争当初の予測では、
2.3ヶ月で収束
すると言う意見が大勢だった。やがてそれがいつしか失望
にかわつていった。
     
 出典:JIJI
国際機関の国連では,常任理事国間の対立で仲裁は不成立に終わる。勢い
を得たプーチンは、
核をちらつかせてEU諸国を牽制。当初からそれを読
み込んで戦争を仕掛けた趣きさえある。
いまやプーチンの悪態を 指摘す
る声が高い。                                                      

突然攻め込まれたウクライナの人々は, 自衛のため立ち上がるしかなかっ
た。EU諸国や米国
の武器支援があるとは言え,よく持ち耐えているといっ
ていい。民間の犠牲者も想像を超える。

このようなウクライナ国民の苦悩を見て,日本でも「自衛」や「国防」に
ついて考える機運が高ま
ってきた。ようやくと言っていい。
                                  
⚫️日本は戦後79年間,幸いにも戦争とは全く無縁で,平和に過ごしてきた。
それを日本だけの
「平和憲法」の成果と深く信じて疑がわない人が多い。
しかし不戦を宣言しただけで他国から攻
め込まれないとは考えにくい。
やはり強固な日米同盟のもと, 自由主義を目指して切磋琢磨して
きた結果
と理解したい。

ただ日本の国民感情は、逼迫する米中の台湾問題や 北朝鮮の弾道ミサイ
ル発射に接して,戦争
の危惧が「あり得ない」から「あり得るかも知れない」
に大きく変わりつつあると見ていい。

 

■■屈恥の戦争
⚫️戦後、アジアで実在した誤算の戦争を探ると60年前 (1964年)におき
た「ベトナム戦争」がある。                  
この戦争は当時、南北に分断されたベトナムで、社会主義のベトナム民主
共和国(北ベトナム)と、資本主義のベトナム共和国(南ベトナム)が,真向
から争った内戦である。しかもこの戦争は、冷戦中に起こった資本主義と
社会主義の代理戦争でもあった。その後、南の顧問役の米国が参戦せざる
を得なくなり全面戦争になる。これが俗に言う「ベトナム戦争」である。

その発端は1945年、日本が敗北した第2次世界大戦、所謂大東亜戦争に遡
る事になる。

⚫️敗戦後,日本軍がベトナムから撤収した直後に,ホー・チ・ミンが独立を
宣言して{ベトナム民主共和国」が誕生する。          
    

驚いたもとの宗主国フランスは,急遽ベトナムに戻り 植民地支配を復活さ
せようとする。
その結果、植民地打倒と抗仏を目指す「民族解放戦争」が
始まる。

ちょうどその頃、中国では,毛沢東の共産党が「中華人民共和国」を建国、
宗主國のフランス軍は,苦しい戦いを余儀なくされ 54年5月ついに降伏す
る。
この戦争の犠牲者は,フランスが約7.5万人,べトミン側が 30万人に及
んだ。                                                                          
🔵この局面打開の為、同年4月スイスのジュネーブで国際会議が開れる。
会議には、米・英・仏・ソ連の4大国とインド、中華人民共和国などアジ
ア諸国の合計18カ国が参加,総選挙実施と引き換えに停戦協定(ジュネー
ブ協定)が成立して,南北ベトナムを二分する北緯17度線に,暫定軍事境界
線が設定される。
   
ところがジュネーブ会議の頃から,フランスに代わって 東南アジアに関与
するようになった米国は、共産主義の拡大を食い止めるために, 海外で亡
命生活を送っていたゴ・ディン・ジェム(反共主義者、カトリック教徒)
を初代大統領に迎えてベトナム共和国(いわゆる南ベトナム)を樹立。
ベトナムを「アジアの反共の砦」にしようとする。
                                                                            
一方の北ベトナムは、中ソ両国の支援のもとに、南ベトナム民族解放戦線
(別名「ベトコン」)と連携して徹底したゲリラ戦で抗戦する。

⚫️当初米軍は、南ベトナム軍の顧問団で少数だったが,戦線の拡大で増員
を余儀なくされ、最後は50万人を超した。

しかし米軍は、土着的なベトコンの激しい抵抗に遭い苦戦を強いられ歴史
的な敗北を呼ぶ事になる。
この戦いは,米軍が撤退し1975年4月に北ベトナ
ム軍が南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)を陥落させるま
で約10年間続いた。

この戦争には,アメリカだけでなく,ソ連や中国の共産国や,後に南ベトナム
を支援した韓国やオーストラリアなどの反共国も参戦し,世界を二分したゲ
リラ戦となつた。
出典:JIJI
                
⚫️遥か離れた日本の私達が,ベトナム戦争を詳しく知ったのは,芥川賞作
開高健のドキュメントだった。
開高は, 自らベトナム戦争に参加して
[ベトナム戦記」を書き週刊朝日に連
載、その後3年をかけて凄烈な体験
をもとに小説『輝ける闇』を執筆,話題
を呼んだ。この反響は鮮烈だった

日本の若者達は,このドキュメントを読んで参戦義務のない平和憲法を持つ
日本の素晴らしさを改めて体感する.「日本は戦争とは無縁だ。平和憲法を
持っていてよかった」

おりしも日本は、戦後の経済復興をなし遂げ、敗戦20年後に開催した東京
オリンピックを成功させた。日本が平和と復興の祝宴に酔っている頃,同じ
アジアのベトナムでは、戦後のフランス植民地からの独立後,南北分断した
激しい内戦に翻弄されていた。

開高によると,戦争は避けて通れない文学上のテーマだつたと言う。開高健
がベトナム入りしたのは1964年の秋、翌年には米軍の北ベトナム爆撃が

まる。開高は、南ベトナム全土を隈なく乗り合いバスや鉄道で移動して 取
材する。やがて日本でも,このベトナム戦争を契機に反戦運動が台頭するこ
とになる                                      
当時のアジアでは、タイやカンボジアやラオスやベトナムがある メコンの
一角で、約10年に亘り世界的な南北の代理戦争が続いた。しかも世界最大
の軍事力を誇る米国が、小国ベトナムに敗れると言う異例の結果になった。
世界の常識が覆されることになる。
確かにベトナムは勝利したが、この戦いの意義は、今も問い続けられている。

         
■■永遠の課題
思うに「戦争と平和」は、表裏の関係にはない。  
それぞれの国やそのリーダーは、自国のために障害となる相手国との話し
合いが不発に終わると,不用意に武力で威嚇し目的を得ようとする。
核保有は,戦争の抑止力になっていると思うか, ウクライナ戦争のロシア
の様に,核使用をちらつかせて相手を威嚇するとなると,それはもうヤクザ
同様,悪態としか言いようがない。

しかも国々の正当な話し合いの場である国連が, 充分機能しないとなれば、
世界の秩序は破滅に向かうしかない。

                                                            
日本は,79年前の夏に未曾有の大敗に遭遇する。そして相手国の軍隊に占
領され、
主権の全てを奪われるという屈辱の体験を余儀なくされた。
その後,正常に立ち直り,世界に復帰する迄の道のりをかえりみた時、戦争
ほど
割に合わないことはないと日本人の全ては悟ったはずだ。
当時12才の私も,全容は掴めないまま,子供ごころに負け戦の悲哀を知った。

戦争は, 人間社会でよく言う喧嘩両成敗ではない。しかもベトナム戦争で
はないが,やってみないと勝敗は判らない。しかも大枚の経費や犠牲は,そ
の国民のツケとして残る。こんな無駄で無残で馬鹿馬鹿しいことはない。

          

                          
🔵ベストセラー「日本国記」(百田尚樹著)の最終章の「未来へ」では、
「戦争のない世界は理想である。私達はそれを目指していかなければなら
ない。
口で「平和」を唱えるだけでは戦争は止められない。世界と日本に
必要なのは、戦争を起こさせない「力」(抑止力)である。」とある。

しかし,今回のウクライナ戦争を機に,世界は「東西]と言うか 「自由主義
陣営対共産主義陣営」と言う二極化と分断化が進み、抑止力の濫用に
よって、世界は深い迷路に迷い込んでいるように見えてならない。

どうあれ戦争からは, 真の平和は来ない事がわかって来た。しかも これは
為政者だけではなく,世界の人々共通の認識である事もわかって来た。 

🔵「戦争を知る世代が、日本の総人口のわずか2%に!

         
               出典:ニッセイ基礎研究所

時に日本では,先の戦争を知る敗戦体験者の90才を超える高齢者が 日本の
総人口のわずか2%、260万人を切った。この現実を忘れてはならない。
何故なら戦争体験、特に敗戦体験、人類最大の戦争抑止力になるからだ。

🔵「日本は国防に舵を切った
日本は,ウクライナ戦争を契機に, 国防力や抑止力の拡充に舵を切った
しかし政権政党、特に公明党の憲法改正に関するいい加減さは、時代錯誤
とさえいえるもので、この悠久の日本を守るために再考を促したい。

米中の台湾問題(中国の台湾侵攻)
中国の尖閣諸島などへの頻繁な不法越境問題
    
北朝鮮の核実験問題
ロシアの北方四島返還に関わる 平和条約締結破棄の一方的破棄の問題
など、
いつ攻め込まれてもおかしくない危機的な状況にある。
それ事態はいい事だが、どう運用して効果を上げるかが問われる。
やはり全ての物事の核心は,先のタイの外交のように 優れた戦略志向にあ
ると思う。 
        
🔵強く豊かな国を造るために、政治を刷新しよう
blogとは、本来.SNSのコミュニケーションツールであって,個人一人
ために書き置くためのものではない。書き手(発信者)が、その意を文章
に委ねてデジタルな仕組みで受け手(受信者)
に送り届ける事で共感をえた
り,意図が伝わったりする事で,書き手の意図が、
素早くしかも詳しく多く
の相手に伝わる事で完結する極めて便利な情報の手段で
ある。

しかもそれは、送り手1人に,受けて一人というパーソナルなものでなく、
送り
手の情報を欲する多くの人が同時に受信し、多くの人がその情報に接
する事で
受益者利益が,限りなく多くに伝播することをよしとする、新し
い現代の情報の
仕組みでもある。

今では,従来の大掛かりな新聞や放送の媒体が 廃れて, 小さな仕組みのごく
身近な情報媒体のYouTubeが普及した。いまや大勢を占める 地位にある。

そして2度とあってはならない戦争が, 戦争体験者がいなくなる事で,無残な
戦争の惨禍と犠牲が忘れ去られ,戦争が再び起こりうる可能性が でてきた。
もはや「人間の業」などと言って見過ごせる問題ではない。
多くの年代の人々に戦争の実態を伝え、平和が私たちの生活にいかに大切か。
特に戦争を知らない世代に、事あるごとに伝えていきたい。

そのためには、私たちの強く豊かな国の存在が必要だし,それを支える英知
とんだ優れた政治と外交が欠かせない
キックバックで私服を肥やしたり,政治を世襲とすること自体にも問題があ
るが、それを選ぶ側にも大きな欠陥がある。
敗戦後,焦土の中から再起後、僅か
20年にして,GDP世界第2位という偉業
を成し遂げた日本の潜在力を忘れないで欲しい。       (Yama)

 

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