「善き戦争はなく、悪しき平和と言うものもない」城山三郎著、落日燃ゆ)
🔵「リスクとチャンスは共存する」と言うが、予測したにしては、酷い戦争だった。
今年は「戦後80年」とも「昭和100年」とも言われるが、当時を知る世代は少なくなり、昭和と言えば、遥か彼方の存在になりつつある。
昭和の戦争を知る数少ない高齢者にとって、昭和に次ぐ平成の30年が
余りにも不毛だったため「昭和がいつまでも綺羅星のように思えてならない」と言う。
しかし「平成30年」が、何故不毛だったのか、原因究明がない。
🔵なにはともあれ、平成は,昭和の全てを引継ぎ,継続すべきだった。
昭和百年を歴史的な事象にしないためにも、「平成不況」の要因、特に政治と経済を
徹底的に解明する事が肝要だろう。断絶より継続。それにより「令和」が蘇ってくるはずだ。(Yama)・表題の写真「遥か2千6百年前に遡る日本の初代天皇、神武天皇を祀る橿原神宮本殿」撮影著作Jtiro)
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🔵「終わりだけを知って始まりを知らない日本人」これは日本の事をよく知る海外の人たちの警告でもある。確かに日本人は物事の始まりを知らない事が多いし、知ろうとしない。
今年の12月8日、日本は大東亜戦争の81回目の開戦記念日を迎えたが、そのことを詳しく伝える新聞やテレビなどのメディアは皆無だった。
🔵今を去る81年前の昭和16年(1941年)12月8日、日本は米国と英国に宣戦を布告しハワイの米国海軍基地を急襲、
太平洋戦争は始まった。その後3年8ヶ月に及ぶ戦いの末、断末魔のような憂き目にあい、脆くも敗戦する。
そして2度と戦争をしないと誓い、その後の平和が77年に及ぶ。
🔵しかしいま日本は、ソ連による北方4島、韓国による竹島の不法占拠問題、尖閣諸島への中国の不法侵入問題、米中の台湾
問題など、一蝕即発の危機の渦中にある。にも拘らず日本国民の危機意識は極めて鈍い。国防意識はなき
に等しい。多くの識者はこれを「平和ボケ」と揶揄してやまない。
しかも戦争の悲劇体験を持つ90歳以上の語り部世代が、遂に日本の総人口の2,1%を割つた。果たして日本は、世界の戦争傍観者のままでいいのか(Yama)
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🔵大東亜戦争が始まって80年。太平洋戦争、第2次世界大戦ともいう。開戦は私が9歳(小学4年生)の時だった。疎開して郊外の小学校に移ったが当時の記憶はあまりない。勝ち戦を告げるラジオのニュース報道が記憶にある。
それから4年後、中学2年の時に敗戦、この時の事は比較的覚えている。米軍の駐留、在日朝鮮人の蜂起暴動、民主化政策、学制改革、農地改革、ディフォルト、
矢継ぎ早に戦後体制が進められた。よれよれの復員軍人が帰郷。終戦後3,4年間は、極度の食料不足に悩まされた。闇市と闇米が横行した。
ひどい時代だった。農家の子がうらやましかった。全て戦争に起因していた。🔵最近の世の中を振り返ると、高齢化による戦争体験世代が減るごとに、反戦のわだちが縮まる。そして風化が進む。
戦争の恐怖、戦争の本質をどう語り継ぐか、行政、学校、家庭の伝承に委ねるしかない。戦争は御免だ。(Yama)
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