●北京冬季オリンピックは、昨日幕を閉じた。大国の覇権やスポーツの政治利用、
加えてパンデミックなど、さまざまな事象が危惧されたが無事に終える
事が出来た。ご同慶の至りである。
出場選手は、国の大小に拘わらず勝ちを制すれば、こよなくゴールドメダリストの
栄冠と名誉に浴する事が出来る。これを称して「フエアー」という。だからこそオリンピックが、創始のオリンピアの時代から、粛々と「平和の祭典」として愛され続いてきた所以だ。
●新しい松本語録「感動の続編」によると、アスリートの能力はその技能ばかりか、
その精神力、無我の心を体得することで大変な進化があるという。
無我無心の心境は、日本古来から伝承の「禅」の心に通じる。無我無心のアスリートが、どんどん育つ事を期待して止まない。
●ポスト五輪の世界情勢は、ロシアによるウクライナへの侵攻の危機がクローズアップされる。
平和の祭典が終われば、すぐ対立と闘いの再開というのは、余りにも過ぎたる五輪の冒瀆と
言える。プーチン大統領は大の柔道家だと聞く。この際、岸田総理は柔道の本家家元を
伴い、明日にでもモスクワへ飛んでウクライナからの軍隊撤収を説得してはどうか。
日本の伝統武芸を愛するアスリート同志の気合の話合いが奏功する確率は極めて高いと思うが如何?(Yama) ●標題の絵は、禅の極意、無を象徴する「丸」
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🔵いま北京五輪がたけなわ、中盤を迎えて世界のアスリートの戦いが続く。わずか1回の試合チャンスに、培ってきた修練の成果を賭ける。スノーボードなど長い回転飛翔の後、着地を誤れば一瞬にして全てはご破産となる。
イチかバチかの一面もある。勝利は、平素の修練の成果と試合に臨む気概しかない。誰しもでき得ない試合の成果が、見る人々に「感動」をもたらす。
感動とは、それほど貴重でとてつもなく希有な出来事である。
🔵長年にわたり、あらゆるスポーツの真髄を研究してきた筑波大学の松本名誉教授は、今の世の中、感動の受け売りが多すぎると
警告する。
「真の感動」とは、今まで経験した事のない快挙など驚きにも似た心の響きだという。北京五輪の戦いは20日迄続く。(Yama)
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🔵 今年、日本はタイ王国と修好135年になる。明治開国から155年だから、
開国20年後に両国は、外交交流の契りを結んでいた事になる。
当時の世界の交通手段は、遠洋の蒸気船に頼るしかなく、勿論意志伝達手段は、対面による対話が主な折衝手段だったと考えられている。そんな闇雲の当時に日本と東南アジアのタイ王国が公式に国交を始めたという事は、なんらかの端緒と、確たる理由と担当した人々の大変な苦労があったと考えられる。その交流の系譜を辿ればこれまた想像を絶する物語があったはずだ。
🔵輻輳する現代に生きる私どもは、日タイに関わるビジネスでも、国際交流でも私的なお付き合いでも、今の感覚で全てを端的に判断してしまうが、そのフイールドによってきた過程を省みる時、その原点は全て日本とタイが国交を始めた135年前に回帰する様に思えてならない。
歴史の系譜が問われる所以だ。
🔵今日は戦後のタイ経済、いまや年産200万台を造る自動車王国タイ、その基盤を築いたとされるタイ進出の日本基幹企業の隠れた日泰協働のエピソード(逸話)について、その開拓者の一人でもある前、住友電工タイ社長北条さんに当時のご苦労の程を伺うことにした。(yama) ●(標題の写真は、世界都市タイ王国の首都バンコクの夜景)
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🔵「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(服部嵐雪) 旧暦で2月を「如月」(きさらぎ)という。俗に「暦の上では春とーー」とよく言われるが、実際は一番寒い時期である。それでも日増しに一日が長くなり春の到来を予感する。2日月3日は節分、毎年、節分の豆撒きを欠かしたことがない。前夜、神棚に供えた福豆を勢いよくまき散らし、邪気を追い払う.
この小さな伝統的な儀式が大好きだ。何時しか習慣化してもう止める譯にはいかない。
その後、福豆を口にしながらウイスキーのお湯割りを嗜む。春を待つ我が家のささやかなしきたりである。
🔵しきたりと言えば、今年は「五黄の寅年」。五黄の寅は九星気学では、すべての星を支配する強力な星とされ最高の金運力を持つ。そんな事を知るだけでも、今年はよい年になりそうと期待する。努めて暗い話は避け、明るい話を求めて行動する。
無力な人間にとって、人生を楽しくする最善の方法ではないのか。(Yama)
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