■■■■■■■■■危うい日本の行方■■■■■■■■■
■■様々な予兆
🔵この秋に先駆けて,日本の政治模様が, 少しばかり変わる予感がす
る。そのさまざまな予兆としては、
1)自民次期総裁選の結果(石破総裁の選出),新鮮味も期待感もない。
2)大阪維新の党の著しい後退(関西自治体選挙の相次ぐ敗退)
3)日本保守党,僅か1年の驚くべき台頭(党員6万越えと街宣集客力)
昨日の自民党総裁選挙では, 石破氏が,僅少で高石候補を破った。
残念ながら少数の差で,石破が高石を凌ぎ総裁の座を射止めた。
当面する政局を大きく転換する意味で, 純粋保守とされる高石候補を
期待した向きは, 親中の石破候補の当選で,大きく失望した事だろう。
戦後,永きにわたり,政権を維持して来た自民党が, 党内のイカサマ統治
から、派閥解消など自浄対応の挙句, 国民の民意が乖離したまま 次期
総裁が決まった。しかし今回の自民党新総裁を選ぶに際して, 覇を競
う総裁候補の政治信条の甘さや,政治力の低さや, そのいい加減な体質
を国民の前に露呈することになつた。
総裁選後半の10日間、先頭を往く小泉候補が先ず脱落,決戦投票では、
高石が石破を凌駕するとの予測が大半を占めた。
しかしこれは全て場外の話で、いわゆる場内の自民党や党員間では、
この数年に及ぶ自民党低落の要因とされる,自民の驕りにも似た行動
に対し、一から自民党を変えるという結果には至らなかった。
今後石破新内閣が,国民のために有意に動くのか、殆どの国民が危惧
するところだ。
この結果、残念ながら日本の政治も経済も,大きく飛躍する事はなく
低迷がしばし続くのではないのかという思いが,大方を占める事にな
った。30日(月)の為替と日本株の動静に注目したい。
これにより「YouTuber」の政治評論家たちの落胆ぶりは、目に余る
ものがある。
やはり長きに亙り, 自前の構造を構築してきた 自民党に対し,経済や
国防や憲法で, 真正面から新しい日本の構築を目指す反自民の大きな
支持母体と, あくまでも従来の既存政党の自民党として, 出直す人達
との相克とあいなった.
部外からの国民の大きな要請は,残念ながら自民党首脳には, いささか
も届かなったと言っていい。これから先, 多くの外交課題や国防問題
や直面する経済課題とどう取りくむのか, 大きな危惧と,裏返しの期待
感が漂う。
⬛︎⬛︎「危ういないの確かな胎動」
🔵しかしその一方で朗報もある。岸田内閣以来,低迷する日本の政治
や経済を打ち破ろうとする新しい胎動である。
約1年前に産声をあげた[日本保守党」は,政権政党自民党の党勢衰
退に並行するように党勢を拡大してきた。
従来からの与党批判勢力の台頭と異なり, 純粋に日本の明日を視野に、
純粋に伝統国家日本の在り方を考えて実行して行こうという物である。
その真摯な考え方や活動が, 多くの市民の共感を得て瞬く間に, 党勢を
拡大してきた。
創立1年後の最近行われた 東京,大阪, 名古屋の街宣では, いずこも創
立時を大きく上回る聴衆を集めた。もう既存政党には, 自分たちの貴
重な生活基盤を託すことは出来ないとする 極めて真摯な思いがひし
ひしと伝わってくる。
先週も大阪の新しい中核地域, 大阪駅周辺で行われた日本保守党の街
宣に臨んだ。大阪駅北側から, 北側のヨドバシカメラ全域に亘り, 完全
に埋め尽くした聴衆であふれかえった。有本香事務総長と百田尚樹代
表の話を聞くためである。1時間余りのあいだに, 聴衆は微動だにせ
ず、百田代表の話に聞き入り,拍手が続いた。
大阪市中の近隣に住む私は、たびたびいろんな政党の街宣を聞くが、
このような凄い人並みの聴衆を集めた政党集会を見たことがない。
しかも理路整然, 野次や誹謗中傷は, 全くない。憑かれたように話に
聞き入り,話の切れ目に毎に大きな拍手の波が起こる。
これを中継する「YouTuber」の解説では ,当日の集客は, 5千人を遥
かに上回ったという。ご婦人の姿が意外に多く,大きな日の丸の国旗
を手にした人たちが、大きな人並みに華を添えた。
特に自民党議員の家業的なあり方に対する批判は, 漸くそれにきずい
た国民の怒りそのものだった。日本保守党は, 近ずく選挙機会を基に、
まずは国会議員を5人以上を確保し, 国定政党として公の地位を確保
したいという戦略だ。
作家の百田直樹と,河村名古屋市長の共同代表に, 評論家の有本香を事
務総長に,元仙台市長や廣澤元名古屋副市長など 極めて異色の人材が
執行部を固め,既に10名をこす地方議員が、日本保守党に加わり 活動
を始めている。
期待される本当の政治基盤は,今後,解散総選挙後の政治態勢によると
ころが大きい。新しく産声をあげた「日本保守党」は,まだ 名ばかり
だが, 来る総選挙で,全国の議席をどのように取るのか,どの様にして
自民の対抗勢力として、勢力を伸ばしていくのか。実に楽しみだ。
🔵このようにして、新たな日本の政治体制と併せて,経済や国防が大
きく変わって行く事に期待を寄せるしかない。それは,いみじくも
「平成の失われた30年」といわれる経済の低迷や, それによる国
民所得の伸び率 0が続くという悪しき実態が、政権政党「自民党」政
治の責任であることが、明確になって来た。
そしてその新しい受け皿として,保守本流を目指す新政党「日本保守党」
が、大きく産声をあげたと言っていい。
結党来,僅か一年足らずの間に, 議席を全く持たないにも関わらず, 発想
の大転換というか「you tub」なる 新しい放送媒体を駆使して 朝に
夕に, 自前の特番を放送して, 7万人を超える 新しい同志党員を獲得し
たという。その手法は「朝8」と称して, 連日朝の8時から事務総長の
有本香さんと、代表の作家百田尚樹さんが出演, 各界の実力者をゲスト
に招いて,日本の政治の劣化を鋭く指摘、自党が目指す政治信条を基に,
今こそ政治改革 ,特に安倍元首相が提唱した「日本を強く豊かにする政
治経済の復活」が不可欠だと説く。
いまだない新しいデジタル時代の説得手法が、幅広い大衆の協賛をえて、
それが東京の街宣や大阪の街宣で,どの政党も成しえなかったものすごい
聴衆を集める事に成功した。
日本保守党の基本理念と政策綱領は「日本を強く豊かにする」とい
う40項目に及ぶものだが、基本理念は、このスローガンに尽きる。
⬛︎⬛︎「座して天命を待つ」
🔵因みに,この6ヶ月の株価の動向は、極めてドラマチックだった。今
年になり、政治の変遷と企業業績の伸びで,株価が一時,暴騰した。
その後、暴落したものの地合いは固く、何度も試行錯誤を繰り返しなが
ら、すぐさま反転、9月26日現在、日経平均は39000円を超えた。
「日経平均一時最高値3万9000円回復,89年超え」当日夕刊一面に
大きな活字が踊った。翌日朝刊一面には
・「日経平均最高値、改革持続焦点に」
・「もはやバブル後ではない」
・「終わり値3万9098円、34年ぶり」
・「海外勢,日本企業を再評価」
久しぶりに大きな文字が新聞一面を飾った。
しかし石破氏が新総裁に決まった直後、日経平均株価は,2000円近く暴
落, 為替は少しあげた。この現象を今後、政権運営と日本の経済や景気
を支えていくべき石破総理は,これをどのように分析,評価するのか詳し
く聞いてみたいと思う。
仮にも一国の総理が代わっただけで, 本来強吾なはずの日本の株価が,大
きく揺らぎ下落したらどうなるのか理解に苦しむ。
このところの日本の株価は,不安定な政治情勢の中, 34年ぶりの高値を更
新した。デジタル時代になって初の快挙と言っていい。それに応えて多
くの企業経営者は「業界再編,事業転換が寄与した」と答えた。
但し市場は, 現行の岸田内閣が、不安定ながら前の安倍政策を引き継ぎ、
何とか安定財政路線を運用してきた結果だとみていた。
当然,コロナ後の産業構造の大転換は, 根幹から日本経済に打撃を与え,
特に米中の経済摩擦によって大きな経済の後退に見舞われた。ひいて
は、このような覇権の争いが、ロシアのウクライナ侵攻の余波で,台湾
問題にも波及する難しい局面にある。今までの経済対面外交だけでは,
明日の日本の経済や平和が、読めなくなりつつある。
一方,日経1面のコラムでは「株高は,吉報だが経済の実情は往時と異な
る。10年前に中国に規模で中国に抜かれ,去年ドイツに逆転された。
願わくは、株価に見合う豊かさを実感できる世の中,従来の政治体制を
刷新する新たな動きが期待される」としていた。果たして石破新総裁で、
そのような刷新ができるのか、日経コラム子に聴いてみたいものだ。
🔵今回の自民総裁選挙, それに伴う組閣で,大きく政策が変わるとは見え
にくい。このような体制なった以上、民意を確かめる総選挙が待たれる
ばかリだ。その結果で大きく状況が変わる事も予測される。しかし去る
コロナ禍以来,大きく抜け出せないまま、低迷を続けて来たわが日本経済
の主体的な変遷が、新内閣でどこまで可能かどうかは、新内閣後の政権
運営と,それを取り巻く政治勢力図を見るまでは何とも言えない。
石破新首相の才覚で,安倍ドクトリンを凌駕する政策展開が可能とは, な
かなか見えにくいところが本音といっていい。今後の組閣と,主要な政策
展開を見て、この内閣の先行きを確かめるしかあるまい。
株価は「時の景気、経済と政治の実態を表す」と聞かされて来た。
前回の株価.市場最高値は1989年, 今を去る35年前の事だった。私も当時
のことは,今も明確におぼえている。1990年, バブルがはじけ日本経済は
見るもの無惨な時期を迎える。
山一證券の倒産、廃業始め,多くの銀行や企業が倒産した。
そして2009年には、株価最安値7162円の底値を記録した。この時の
経済破綻ショックは、内閣自体の施策よりも,世界的な不況の波で日本の
対応が遅れたとの理由だった。
私どもの世代は、既に定年後で 日本企業の不況をただただ傍観するしか
なかった。永らく戦後の政治を担った自民党が敗退し民主党が政権につく。
そこへ「東日本(東北)大地震」が追い討ちをかけた。新しい民主党政権の
無力さもあり、日本経済は極端に低迷し疲弊した。
今にして思えば、丁度その時期、世界的に台頭した新たなデジタルの波に、
経済の遅延を理由に、日本が大きく遅れをとった事も、景気停滞を早めた。
米国では、デジタルの新興勢力GAFAが産声をあげ、情報処理などあらゆる
企業の仕組みを変える事で生産性を高め、世界経済を索引し始めていた。
当初は、サプライチェンの中国移行は、安い人件費が基での下請け生産だ
ったが,大きくは後進国支援という意味の仕組みだった。
2000年以降,円高による日本の中国への海外生産シフトが本格化し,サプライ
チェンの中国移行が進んだ。そして過度な円安と20年続くデフレが要因で、
円の購買力が低下した。俗に「平成の30年」と言われる長い不況である。
当時の民主党政権は、実務不足もあり、国民の期待を多きく裏切った。
このような世界の経済状況を前読みして,戦略的な経済政策を立てて、強力
に索引する政府や民間の戦略的な人材がいなかった。経済環境の推移に併
せて行くだけでも、実は大変な事だったと思う。
🔵改めて日本の戦後昭和期以降の経済を大別するとーーー
・終戦占領期(昭和20年~27年)
・戦後昭和期(昭和30年~50年)
・高度成長期 (昭和40‾50年)
・安定成長期(昭和50年~60年)
・バブル期 (昭和61年~平成2年)
・バブル崩壊後の失われた30年、
・アベノミクス、コロナパンデミックの3年間、経済再構築期(令和)
そして来年,日本は戦後80年を迎える。
戦後の廃墟から再建を果たしてわずか80年、その間,紆余曲折はあったが
生存するシニア3世代の力で、世界第2位の経済大国を創り出した.
その日本は、世界広しと言えど日本以外にないとさえ言われた。ただし
その後の日本の経済が停滞し,GDPが伸びず,途中,中国にそして昨年には、
遂にドイツに抜かれた。その後の日本の国策的な経済政策の結果を見ると、
経済の土台や環境を作る政治の貧困が指摘されている。
日本保守党が指摘するように,隣国の車(EV)に大きな奨励金(税金)を出し
て、日本のトヨタなど世界的なハイブリッド車の売れゆきを阻害する。
大自然の破壊が危惧される隣国中国生産の「太陽光パネル」の設置に、国
民の税金による補助金を出す。そんな売国政策を自民党が創案して国策に
寄与したとする国会議員のセンスに、疑がいがもたれることが多発した。
どう見ても隣国中国を優先するバカげた経済政策が、自民党政権によって
創られ実行されて来た。多くの国民は,そんな事も露知らず、同調して来た。
その諸悪の根源は、日本の多数派の自民党支持者が,ただただ無意識に自民
を担ぐあまり, 数の魅力で生まれて来た時代錯誤的な如何わしい事例の数々
だったと言っていい。
身近な日本を舞台に,日本人同志のイカサマが通用するとならば, 実に嘆か
わしい。
🔵もう一度、戦後の廃墟と化した日本を振り返って欲しい。
今から80年前、廃墟と化した日本を僅か19年で世界経済の舞台に押し上げ、
世界先進国が,何処の先進国もなしえなかった「新幹線」を生み出し東京
オリンピックを開催、世界から6000万人を越す人たちをこの日本に招いた。
この戦後復興の立役者は,大正後期から昭和初期に生まれた若い30代40代
の人達、私たちの身近な先輩の人達だった。ひょっとして皆さんの祖父に
あたる年代の人達である。日本の歴史に残るかがやかしい活躍ぶりだった。
その後の日本は,アメリカについで,GDP世界第2位に浮上する。今から思え
ば、全く夢のような快挙だつた。
戦後復興を主導した戦中世代、いわゆる大正後期と昭和シングル世代の人
達は、既に戦後79年を経過して,ほぼ生存しない。
政府統計によると90歳以上の人口は206万人、全人口の1,9%にすぎない。
加えて'昭和第3世代と言われる団塊世代800万人の人達がいま後期高齢期
を迎える。かくして日本の世代は移り変わり,世界情勢は大きく変わった。
🔵昭和に次ぐ平成年間、アジアも欧州も,戦後復興と新興国支援のために、
経済をもとに大きく変貌した。米国に次ぐソ連の台頭で世界の覇権を巡り、
大国の睨み合いが続いた。日本は, 無資源国のため殆どの資源を海外に頼
り貿易立国として,生きていくしかない。その間の葛藤は,大変なものだっ
た。
当初,円高のもと海外での下請け生産は, 後進国支援という意味があっての
仕組みだった。2000年以降の円高による日本の中国への海外生産移行が本
格化し,サプライチェン移行が実現した。
中国は,それを基盤にして国内経済の充実化に努めた。
ただ打ち続く円高に対応して、輸出採算だけを単純にいかしたこの経済戦
略は、到底、長期戦略とは言いにくいもので、瞬く間に中国への仕事と技
術移転が進み、瞬く間に中国の生産体制が、本質的に整う契機になる。
その後、米中で極度の貿易摩擦が起きるも、
主な主眼項目はーーーー
・日本をはじめ外資系企業との提携
・製造業主体の態勢整備
・輸出主導の態勢
・労働集約的な歳入政策(労働力を使った経済の活性化)
この間、20年間の中国の台頭は著しい。
その結果,GDP(国内総生)では,日本を抜いて第2位に浮上する。
2000年来の円高に伴う中国へのサプライチェンの移行は,ひいては
中国経済,共産国中国を強固にして,残念ながら米中問題や世界の分断を
もたらす動機になったという認識に変わりはない。
🔵戦後の日本は、戦禍の廃墟の中から立ち上がり,後に先進国として
変動する世界の中に在って,世界の平和を提唱し維持してきた。
そして戦後80年に先駆け、新しい日本の首相が決まった。
いまその新体制を巡り、さまざまな危惧と期待が交錯している。(Yama)
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