
■■■■■■■■■■昭和は,遠くなりにけり■■■■■■■■■■
■■「深い生き方」
「人生、その時になってみないとわからぬ事が多い。」
人生の流儀、城山三郎
🔵確かにその通りだが、なかかなか思い通リにはいかない。
その譯は、生きている時代の流れに、大きく影響されるからだ。
そして日本はいま、戦後80年目の節目を探る事になる。
ざっと振り返ると、
・1915年~1930年) 大正デモクラシー
・1931年~1945年) 軍国主義
・1946年~1960年) 戦後民主主義「戦後昭和」
・1961年~1975年) 高度成長 「戦後昭和」
・1976年~1990年) 低成長 「失われた20年」
・1991年~2005年) 経済停滞 「失われた30年」
・2006年~2020年) 再生模索
・2021年~2024年) 令和のいま
🔵そして今年「昭和99年,」と「戦後79年」を迎えた。
そして来年は、願ってもない、世紀の節目の年を迎える。
・来年は 「昭和100年」
・来年は「戦後 80年」
である。
そして日本の夏といえば「8月15日,終戦記念日」に帰結する。
(原爆の句)
「八月や 六日 九日 十五日」(読み人多数)
(写真、醍醐寺、京都伏見、本門の紋章)
■■「戦争がもたらす人類の禍根」
🔵この戦争で亡くなった日本の犠牲者は、戦闘員と民間人合わせて
310万人の多きに上る。
全世界では,勝者と敗者を含めて約6800万人と言われる。
🔴「大東亜戦争当時の日本の勢力図」
🔴「敗戦当時の日本の状況図」
🔴「敗戦後,外地から引き揚げた邦人の数」 (厚生省援護局)
(出典:JIJI, 上記3点の図説)
今も忘れられないのは、本来,日本との間に「不可侵条約」を結ん
でいた旧ソ連が、終戦直前になって条約を破って参戦, 北方4島を 武
力で略奪した事である。
そして終戦後、既に6日たった8月21日、南樺太(サファリン)から
日本へ逃れて帰国する 現地邦人1700人を乗せた3隻の客船が、旧ソ
連海軍の潜水艦の魚雷攻撃をうけて,全員が亡くなる。なんとも痛ま
しい暴挙だった。
この惨劇は,北方領土同様、戦後79年経ったいまも未解決のままであ
る。遺族たちは,、ロシア政府に対して「事実を認め, 謝罪をして欲し
い」と叫び続けるがいまだ明確な回答はない。敗者の力では, 時の勝
者には話が届かない。まさに馬事東風。これが 偽らざる敗戦と敗者
の悲しい現実である。
🔵戦後になって勝者は敗者を「軍事裁判」で裁きはすれど、戦争
の犠牲者や戦争の被害は,決して戻つて来ない。大きな禍根は残れど、
本当の解決にはなっていない。
これだけ膨大な犠牲を払ってまで,とことん戦う意味がどこにあった
のか、なにもが合理的な近代にあって,こんな理屈に合わない出来事
が、いまもなお残っている事自体、不思議としか言いようがない。
しかし性懲りもなく世界の大国は,軍拡を武器にして、いまも覇権を
競い合う。その言い分は、どこまでも自国ファ―ストである。
その前には,「大国の倫理」も「世界の平和」も存在しない。
これでは 第2次世界大戦の6800万人に及ぶ戦争犠牲者は,救われよう
がない。
■■決して忘れてはならない事
「恐怖の日本分割統治案」
🔵その後,ソ連や中国の戦勝国が,米国と戦後の「日本の占領統治」
に際し, 其々が主張した 日本の全地域(本州, 北海道, 四国, 九州など)
を分割統治したとすれば, 今の日本は,存在しなかったと言っていい。
韓国や北朝鮮の様に,分断された日本が出来たとしても不思議ではない。
アジアのなかでも「スリランカ」や「タイ」は、このソ連の日本4分
割統治案に真っ向,反対を唱え、遂に「米国の1国統治案」に辿り着く。
🔵「ソ連提案の日本4分割統治案」 (出典/米国公文書館)
(支配統治国) (日本の統治地域)
●ソ連の支配統治 (北海道/東北地方)
●米国の支配統治 (関東/中部/関西/沖縄
●英国の支配統治 (中国/九州)
●中国の支配統治 (四国)
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■■「日本分轄統治案へ猛烈反対」
🔵スリランカ初大統領 R.ジャヤワルダナ談
「アジアの諸国民は,日本が自由であるべきと切望します。私どもは,
アジアの一人として,アジアの共存を唱える日本に畏敬の念を持って
いるからです。大師(ブッタ)は「人は,ただ愛によってのみ憎しみ
を超えられる永遠の真理です。
(スリランカ初大統領 R.ジャヤワルダナ)
私どもは数百年の間, 共通の文化と,伝統で結ばれ 共通の文化を共有
しています。ソ連代表が言う日本の自由は制限されるべきだという
見解には賛同出来ません。」
この感動の演説により,ソ連の提案は押し切られ,日本の国際復帰への
道が開けたと言われている。
🔵「米国の存在」
無条件降伏という極めて屈塾的な環境下ながら、日本の占領統治が,
マッカーサー連合国軍総司令官による米国単独統治に決まった事は,
極めてラッキーだったといっていい。
(出典:JIJI:マッカーサー連合軍総司令官と天皇陛下)
「不幸中の幸い」というか,「神の加護」というか , 勝者米国という
存在に恵まれた事は、日本にとって不幸中の幸いだった。
しかし日本を美化する歴史や,伝統文化は、徹底的に否定された。
それは「米国による1国占領統治であり,占領政策終了後「日米安全
保障条約」が締結される事に繋がり、正式に再独立(国際
経済社会への復帰)が、実現したと言っていい。
そして敗戦後7年を経て,1952年(昭和7年)に「対日平和条約」と
「日米安全保障条約」が発効した。日本は, 武力を持たない国と
して 再独立を果たす事ができた。かくして象徴的な世界の平和国家
として,国際社会に復帰する事になる。
🔵それにより、日米間の信頼感が芽生え,のちに安保条約を含め,2国
間の熱い絆が生まれる事になる。そして,昭和シングル世代の努力で
「戦後昭和」が築かれ, 戦後僅か19年にして, 先進諸国の仲間入り
を果たす。
そして1964年(昭和39年)には、世界の先進国が,いずれも成しえなか
った「都市間超高速鉄道」新幹線の完成によって,東京,大阪間を僅
か2時間半で結ぶ。超高速新幹線の誕生に,世界は,驚きに沸いた。
■■「永遠の課題」
🔵思うに「戦争と平和」は、表裏の関係にはない。
それぞれの国やそのリーダーは、自国のために障害となる相手国と
の話し合いが不発に終わると、武力で威嚇し目的を得ようとする。
核保有は、戦争の抑止力になっていると思うが、ウクライナ戦争の
ロシアの様に、常に核使用をちらつかせて相手を威嚇するとなると、
それはもうヤクザ同様、悪態としか言いようがない。
しかも国々の正当な話し合いの場である「国連」が、充分機能しな
いとなれば、世界の秩序は破滅に向かうしかない。
日本の国民は,今を去る79年前に未曾有の大敗に遭遇する。そして
その相手国の軍隊に国土を占領され,主権の全てを奪われるという屈
辱の体験を余儀なくされる。
しかも,正常に立ち直り世界に復帰する迄の厳しい道のりを顧みた時、
戦争ほど割に合わない事はないと、日本人の全てが悟ったはずだ。
当時12才(旧制中学2年生)だった私も、全容は掴めないまま子供心
に負け戦の悲哀を知った。
戦争は、人間社会で言う喧嘩両成敗ではない。しかもベトナム戦争
ではないが,やってみないと勝敗は判らない。しかも 大枚の戦費や
犠牲は,国民のツケとして永久に残る。そんな無駄で馬鹿馬鹿しい事
はない。
🟠世界の2極と分断化、
しかし今回のウクライナ戦争を契機にして、世界は「東西]と言う
か「自由主義陣営 対 共産主義陣営」と言う世界の二極化と分断化が
進み,核抑止力の濫用で,世界は深い迷路に迷い込んだように見えてな
らない。戦争からは、真の平和は訪れない事が,よくわかってきた。
しかも,これは為政者だけでなく、世界の人々,共通の認識である事も
わかった。
🟠日本百記(百田尚樹著)の最終章「未来へ」では,次のようにある。
・「戦争のない世界は理想である。」
・「私達はそれを目指して いかなければならない。」
・「口で「平和」を唱えるだけでは、戦争は止められない。」
・「世界に必要なのは,戦争を起こさせない「力」(抑止力)である。」
🟠日本の課題,国防力
時に日本では、先の戦争の敗戦体験者である90才を超える高齢者が、
総人口の2%260万人を切った。戦争の恐怖を知らない国民が,殆どと
理解していい。戦争自体も怖いが、戦争の恐怖を知らない事も更に
怖い。
日本はウクライナ戦争を契機にして、国防力や抑止力の拡充に舵を
切った。
・米中の台湾問題(中国の台湾侵攻)
・中国の尖閣諸島などへの頻繁な不法越境問題、
・北朝鮮の核実験問題、
・ロシアの北方四島返還に関わる平和条約締結破棄の一方的破棄の
問題など、いつ攻め込まれてもおかしくない危機的な状況にある。
それじたいはいい事だが、どう運用して効果を上げるかが問われる。
やはり全ての物事の核心は、かってのタイ国の外交のように優れた
戦略志向に尽きると思うがどうだろう。
🔵しかし残念ながら、この日本の敗戦に関する人々の関心は, 無い
に等しい。何故なら,戦後79年の長きに及び, 実際に敗戦を知る人が、
絶対的に少なくなった事だ。
そして,あの忌まわしい敗戦という事実が、日本最大の忘れえない出
来事から、もはや歴史的な記念日になろうとしている。
そしていま世界では、ウクライナや中近東で戦争が勃発し, 中国の
「台湾有事」など、新しい戦争の危機が,想起される。
この世界的な戦争の危機の予測を前に「戦争を知らない日本人
が大半をしめ、これからどのように戦争を回避し,どのように平和を
手にしていくのか、その手の内が全く読めない」だから,不安だとい
う声が多い。
「この世紀の節目を,世界平和のためにどの様に生きて行くべきか]
「いま日本のあらゆる世代の人たちに、特に日本の敗戦を知らない
世代の人たちに、特に求められている]と思いたい。 (Yama)
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