🔵「両忘」という禅語がある。白か黒かといった判断へのこだわりを忘れる事を言う。私たちは,好き嫌いや善悪と言った2者択一的な思考で、物事を見てしまいがち。物事を決めつける姿勢から解放されると、心に余裕が生まれる。
しかし世の中には,自分たちの不都合な事から逃れるため、敢えて忘れ去る不埒な人もいる。この人たちは懲りずにまた同じ過ちを繰り返す。
🔵高齢化が進む日本は、このままでいいのか。
・高齢者の孤独、(引きこもりと孤立)
・友人なし(4割)
・切れる老人(増える)
これらの要因で高齢者の社会に対するトラブルが絶えない。
しかも日本は「一人で老いて、ひとりで死ぬ社会」だと言われる。しかも全人口のほぼ3割を占める高齢者世代の発言が、極度に少ない。
何時からこんな情ない国になってしまったのか。(Yama)●表題の写真(風雪に耐えて景観を保つ京都、竜安寺本坊の屋根瓦) . . . 本文を読む
🔵「風疎竹に来たる,風過ぎては声も留めず」(風が吹けば竹林は騒ぐが、過ぎ去るともとの静けさに帰る)
最近、都心の百円ショップを訪ねると、ほとんどの商品の生産地が日本に戻り、生産地の中国は、ほぼ姿を消した。
何かが変わりつつある確証だろう。
しかしサプライチェーンの再構築は、当面日本の大きな課題だ。
しかしこれを機に低額商品から高額のPCや弱電や車まで、モノづくりのノーハウを習得した中国は、忽ちにして世界最大のモノづくり生産国に変貌した。🔵その中国はこの10年間、急速な経済発展を遂げ14億と言うマンパワーを背景に、GDP世界第2位の大国にのしあがつて来た。
日本の尖閣問題も、米中の台湾問題も、米中の覇権問題も、振り返えれば自由先進国が、サプライチェーンを中国に委ねた事に起因しているように思えてならない。ただしこれに関する日本の通商戦略的な反省の弁は聞こえて来ない。何かと閉鎖的と言われてきた日本の在り方が、いま問われている。通商も外交も老化や劣化は困る。常に老練であって欲しい。(Yama)●濛濛淡淡六十年、末後に糞をひって梵天に捧ぐ(一休和尚)
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🔵戦後78年になる。戦争の廃墟からスタートした割には、うまく行き過ぎた日本の現実がある。
それは、戦後昭和をゼロから構築した今は亡き先代世代のお陰と言っていい。
極く現実的には、朝鮮戦争景気など戦後すぐ経済再起の端緒となった国家的な運気が、この国の再興を大きく左右したと言っていい。
加えて吉田茂はじめ当時の政治家による政治外交主導により、米軍傘下での経済再興に国家予算を集約出来た事が、GDP世界第2位に
押し上げる成功要因になったことは否めない。
戦後ゼロからスタートした私どもの家計もお国の施策のお陰で購買力がつき、経済力も拡大してモノも毎月毎年増え続けた。
しかも古来からモノを大事にする国民性は、本来捨てる文化をもっていなかった。そこへ大量生産大量消費の現代的な消費文化が普及し、ますますものは増え続けた。
🔵そして途中で捨てる文化、リサイクルというメカニズムが生まれて来た。しかし古い世代は、いまだ新しい消費文化、リサイクル文化になじめずにいる。そこへ登場した新しい考え方が、日本古来の禅文化に由来する「断捨離」である。高齢者が長い人生を見直す事によって、禅の教え「空」に近ずく事が出来ないかという試みでもある。
虚ろに過ごす高齢者が多い中に、人生を考えて過ごす高齢者が増えるという事は、画期的な出来事と言っていい。
(Yama)
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🔵敬老の日は、日本生まれの公式の記念日である。戦後すぐの昭和22年に当時のお年寄りを敬老するために「年寄りの日」が提唱され昭和41年(1966年)国民の祝日になったという。爾来55年を経て、日本の社会情勢や時代背景や世代構成は一変した。高齢者が全人口の3割を占め、礼節を持って迎えられる事は良しとしても、高齢者時代の存在価値自体が改めて問われる時代になってきた。例えば高齢者世代の社会保障費用を若い世代が負担せざるを得ないとか、少子高齢化という異常な現象の中で、若い世代が高齢者世代を支援するという極めて難しい関係にある。今やその関係は、社会問題を超えて政治問題になりつつある。
利害得失の面からすれば個人的な関係は別として、社会的には敬老という関係はすでに失せていると見ていい。
🔵確かに年配者を敬う気風は、古くからの日本の良き伝統である。しかし移り変わる時代背景を見て政府が祝日のコンセプトをリニューアルしない限り、時代錯誤に陥ることになる。
逆に、「父と母の日」であるとか、または「知的な老い方」について提案する日であってもいい。どうあれ日本が再び活性化するきっかけに成ればいいと思うがどうだろう。(Yama)
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🔵「同じ」という機能を獲得したヒトは、言葉やお金、民主主義を生み出し、世界を「意味」で満たそうとしてきました。それを突き詰めたのが都市社会です。
オフィスの中では風は吹かない、雨も降らない。
山に入れば虫がいたり、石ころが転がっていたりするのは当たり前ですが、
都会の生活では邪魔以外の何ものでもない。
意味のあるものだけに囲まれていると、いつの間にか意味のないものが許せなくなって「意味がわからない」ものは「意味がない」と結論づけて切り捨ててしまう。そこにいまの社会が抱える問題の根本があると思います。
(養老語録の中から抜粋)
🔵これは解剖学者養老博士の所論の一節だか、これは博士の物事の発想の原点のように読み取れる。さすが視点が桁外れと言うか奇想天外である。
だから面白くて、著作が500万部も売れる所以だと推測する。
私など、もう卒寿の壁を越えて時すでに遅し、バカの壁の中で永らく安住してきた訳だが、今更、壁の向こうを目指す勇気を持ち合わせていない。年のせいとはいえ情けない次第である。
しかし生気ある人は年齢に拘らず、当面する自分の壁の向こうをぜひ覗いて欲しい。新しい何かが見出せるはずだ、
そんなものは存在しないと疑う向きは、もうすでに
「バカの壁」にはまっている確証とみた。(Yama)
●表題の写真は、解剖学者、養老孟司博士。
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●日本は世界一の高齢化国家になった。生産者人口も減退し、当然のように、国の衰退が危惧される。特に4人に一人と言われる定年高齢者が、年金生活者であること。しかも百歳時代という超高齢化時代を迎えておひとり様高齢者の孤立問題が、表出してきた。 元をただせば、人の出会いを大切に、社会を生き抜いてきた人達ばかりだが、 いつしか、定年後、思わぬ孤独や孤立の問題と直面している。 高齢者本人の生きがいの問題ではあるが、それを含む国の今後の経済や財政問題など、高齢者にとっても、他人 ごとで済まされない問題が山積する。(yama) . . . 本文を読む
●日本の高齢化問題が、衆知の課題になってきた。最近になって、人口の多い、平均年齢が低い国が、将来栄えるとの学説が、話題を集める。アジアでは、日本や中国に代わ、インドやインドネシアやフィリンピンが台頭するという。
いま先進国の日本では、人口問題の一つとして、高齢者の増加が当面の大問題になりつつある。中でも、配偶者を亡くした高齢者のお一人様問題が、当面する
社会問題として台頭してきた。いわゆる余後の問題である。ごく近い将来、高齢者が3000万人を超すと、約500万人ていどのおひとりさま世帯が生まれると、専門家は予測する。社会保障や介護の予算の問題、特に介護ケアーや住宅問題、当然のごとく起きる生産人口の不足問題、危惧すればきりがない。
4人に1人という老人大国、日本の姿は、果たしてどのようなものになるのか、避けてと通れない喫緊の課題だけに、上は政府から、下は各家庭で、
いろいろ話し合い議論して、いまから対策を立てての心の準備が必要と思う。以外に、人口問題を大きく包括した、近未来の科学的な新しい世界が待ち受けているのかもしれない。何時までも希望は捨てまい。(Yama)
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