共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

梅子キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

2024年09月23日 17時17分17秒 | 日記
今日は格段に凉しくなりました。朝などはむしろ寒いくらいで、それで思わず目覚めてしまったくらいでした。

今日は何もすることを決めていなかったのですが、とりあえず散髪をして買い物を済ませました。その時に一万円札を使ったのですが、そのお釣りとして



津田梅子の五千円札が帰ってきたのです。

五千円札というのは銀行のATMでは出てきませんし、今までにも一万円札を使って買い物はしていたのですが、これまで五千円だけ新券に縁がありませんでした。そんな中での新券の登場に、私は内心

『梅子キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』

と歓喜しました。

これで7月に発行されて以来、私の財布の中に



ようやく新券が全て揃いました。いずれ使ってしまうでしょうが、もう少しだけ手元に置いてニヤニヤしようと思います(キモッ…)。

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大事なことを忘れていた!〜ホルスト《吹奏楽のための第二組曲 ヘ長調 作品28-2》とジェイコブ編《ハンプシャー組曲》

2024年09月22日 18時35分20秒 | 音楽
今日は秋分の日、お彼岸のお中日です。『暑さ寒さも彼岸まで』とはよく言ったもので、今朝は湿度が高かったものの、昨日と比べたら格段に涼しくなりました。

本当なら相模國一之宮寒川神社に詣でて、御来光守をいただいてくる…はずだったのですが、目覚めて時計を見たら何とお昼!これでは数量限定の御守はGETできないと、早々に諦めたのでした…。

ところで、昨日



グスターヴ・ホルストのことについて書きましたが、その時に大切なことを忘れていました。ホルストが誕生したのが1874年、そして今年は2024年、つまり

2024ー1874=150

となるため、今年はホルストの生誕150年のアニバーサリー・イヤーだったのです。

こんなこともなかなかレアなので、今日もホルストについて書いてみようと思います。今日取り上げるのは、昨日の作品に引き続いての《吹奏楽のための第二組曲 ヘ長調 作品28-2》です。

第一組曲から3年後の1911年に現在の第3楽章を欠いた3楽章の形で作曲されていた第二組曲は、1921年に軍楽隊の編成が変更されたことを反映して1922年に改訂が行われました。現行の形での初演は1922年6月30日にロイヤル・アルバート・ホールで、王立軍楽学校の吹奏楽団によって行われました。

各楽章はそれぞれイングランドの民謡や舞曲に基づいていて、その分野へのホルストの関心の高さが窺えるものとなっています。民謡素材は主にハンプシャー地方近辺で採譜したものからとられていて、用いられた民謡のいくつかは後に《6つの合唱曲 作品36b》(1916年)でも扱われています。

第1曲:マーチ (March)
Allegro ヘ長調 - 変ロ短調 - ヘ長調 2/2拍子 三部形式

伝説中の人物に扮して鈴をつけた男性が踊る『グローリシャーズ』と呼ばれるモリス・ダンスの旋律でスタートし、続く『スワンシー・タウン』と呼ばれる水夫の歌では



ユーフォニアムが大活躍します。更に8分の6拍子の『クローディ・バンクス』のメロディが用いられ、冒頭に戻ります。

第2曲:無言歌 (Song without Words "I'll love my love")
Andante ヘ短調 4/4拍子

『私の恋人を愛す("I'll love my love")』というイギリス民謡が用いられています。船乗りに恋した少女がその恋路を引き裂かれて気がふれてしまい、送られた収容所の窓辺で歌う悲しい歌を、木管楽器群とトランペットソロが切々と歌い上げます。

第3曲: 鍛冶屋の歌 (Song of the Blacksmith)
Moderato e maestoso ヘ長調 4/4拍子

ハンプシャー民謡による4拍子+3拍子のリズムのコミカルな音楽です。鍛冶屋の歌だけあって、打楽器として



金床(アンヴィル)が使われます(私は吹奏楽部時代にこのパートを担当しました)。

第4曲 ダーガソンによる幻想曲 (Fantasia on the "Dargason")
Allegro moderato ヘ長調 6/8拍子

ダーガソンはルネサンス期にイギリスで流行した8分の6拍子の舞曲で、8小節の循環旋律が冒頭から終結まで奏され、曲の中程には対旋律として『グリーンスリーブス』が現れます。そして吹奏楽ならではの高まりをみせた後に、最後にはピッコロとテューバという対極にある楽器が可愛らしくやりとりをして楽しく終わります(ホルストは後にこの楽章を、弦楽合奏のための《セントポール組曲》の終曲にも転用しています)。

そんなわけで、今日はホルストの《吹奏楽のための第二組曲 ヘ長調 作品28-2》をお聴きいただきたいと思います。昨日の第一組曲に続き、こちらも吹奏楽関係者なら知らぬものはないという名曲をお楽しみください。



因みにこの曲は、後にイギリスの作曲家ゴードン・ジェイコブ(1895〜1984)によって《ハンプシャー組曲》("A Hampshire Suite")として管弦楽に編曲されています。今回はそのバージョンも載せてみましたので、吹奏楽と管弦楽との響きの違いをお楽しみいただきたいと思います。


私事で恐縮ですが、ちょっと自慢したいことがあります。実は私、どちらも演奏したことがあるのです。

ホルストの第二組曲は、10代の時に吹奏楽部や市民吹奏楽団で演奏しました。そして《ハンプシャー組曲》は、私が20代の時にヴィオラトップで所属していた室内管弦楽団で演奏しました。

他の弦楽器奏者たちが《ハンプシャー組曲》で苦労している中、私は先に吹奏楽でホルストを経験していたことでものすごくやりやすかったことを覚えています。しかも第1曲のユーフォニアムのカッコいいメロディがヴィオラとチェロに回ってきていたので、内心ウッキウキで演奏していたのは内緒です(汗)。

ものすごい偶然ですが、同じ曲を吹奏楽でも管弦楽でも経験できたことは、私にとって大きな財産です。考えてみれば、幸せな音楽生活を送らせてもらったものだと思います。

さて、明日は秋分の日の振替休日です。どう過ごすか全く決めていないのですが、とりあえずゆっくりしようとは思っています。

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今日はホルストの誕生日〜個人的にも懐かしい《吹奏楽のための第一組曲 変ホ長調 作品28-1》

2024年09月21日 18時19分20秒 | 音楽
相変わらずジメ〜っとした暑さが続いていますが、それでも朝夕の空気には涼しさを感じられるようにもなってきました。今はただ、来週から涼しくなるという天気予報だけが心の支えです(大袈裟な…)。

ところで、今日9月21日はホルストの誕生日です。



グスターヴ・ホルスト(1874〜1934)は、イングランドの作曲家、編曲家、教育者です。特に、管弦楽による組曲《惑星》があまりにも有名です。

ホルストは1874年、イギリスのグロスターシャー州チェルトナムに生まれました。王立音楽院を卒業後トロンボーン奏者として活動し、1905年から没するまでセント・ポール女学院の教師を務めながら作曲活動にも力を注ぎました。

ホルストといえば、何と言っても《惑星》ですが、今回は毛色の違う作品をご紹介しようと思います。今回取り上げるのは《吹奏楽のための第一組曲 変ホ長調 作品28-1》です。

この曲と、続く《吹奏楽のための第二組曲 ヘ長調 作品28-2》は、ホルストが教職にあった1909年に作曲されました。作曲の経緯や動機、初演の日時や演奏者など様々なことが不明ですが、1920年にイギリスの王立陸軍軍楽学校のバンドで演奏されたという記録があり、作曲者の娘であるイモージェン・ホルストによれば作曲と同年に演奏されている可能性が高いようです。

曲は3曲から成る組曲で、第1曲で冒頭に奏される低音楽器による主題が形を変えてすべての曲に現れ、全曲を通しての統一感を出しています。

第1曲:シャコンヌ Chaconne

シャコンヌは古典舞曲の一つから派生した音楽で、特定の低音・和声進行・リズムパターンを何度も繰り返す音楽技法を持つ曲のことを指します(同様の曲にパッサカリアがあります)。特にバッハの《無伴奏ヴァイオリンのためパルティータ第2番ニ短調》の終楽章に書かれたシャコンヌは有名なので、ご存知の方も多いかと思います。

冒頭8小節の低音楽器の主題に続いて、15の変奏が続いていきます。ラヴェルの《ボレロ》のように冒頭から最後にかけて大きなクレッシェンドがかかっている作りで、吹奏楽のダイナミクス能力を楽しめる作品です。

第2曲:間奏曲 Intermezzo

軽快なクラリネットによる刻みの上をオーボエ・クラリネット・コルネットが旋律を奏し、それらをトライアングルの涼やかな音色が縁取っていきます。中間部ではクラリネットによるシャコンヌの主題の変形が奏された後に冒頭の旋律が再現して、この楽章に登場する旋律が対位的に現れて静かに終わっていきます。 

第3曲:行進曲 March

木管楽器のトリルを伴う短い序奏と祝砲のようなバスドラムの強打の後、いかにもブリティッシュ・スタイルのマーチが始まります。イギリスは木管楽器を含むウインド・バンド編成よりも金管楽器と打楽器だけで構成されるブラス・バンドのほうが伝統的にさかんであるためか、この楽章ではマーチの主部は金管と打楽器だけで書かれています。

トリオに入ると木管楽器による低音の旋律が現れますが、これも第1曲のシャコンヌの旋律に基づいています。最後はマーチの旋律とトリオの旋律が木管、金管立場を入れ替えて同時に演奏され、コラール風にトリオの旋律が奏された後、マーチのリズムに導かれてシャコンヌの主題の断片を掛け合いしながら賑やかに曲を閉じます。

私も中学生時分に、吹奏楽部でこの曲と第二組曲とを演奏したことがあります。定期演奏会でも披露した曲なので、今でも自身の担当したパートを思い出せるくらいです。

そんなわけで、今日はホルストの《吹奏楽のための第一組曲 変ホ長調 作品28-1》をお聴きいただきたいと思います。吹奏楽関係者なら知らない者は無いと言って過言ではない、ホルストの名曲をお楽しみください。

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これ以上どうしろと…

2024年09月20日 17時50分45秒 | 日記
今日の小田原は、凄まじい暑さに見舞われました。最高気温が35℃の猛暑日とねり、冷房の効いていない廊下やトイレにいると、室内でも具合が悪くなりそうでした。

個別学習支援員は、必ずしも教室の中に入れるわけではありません。特に今週はテストが多かったのですが、そうなると教室内をウロチョロして子どもたちの集中力を削がないために廊下から様子を見守ることがあるのですが、ただ立っているだけでも汗が滲んできて大変でした。

それでも、冷房の効いた室内にいるにもかかわらず、支援級の子どもたちの中には

「暑い〜〜〜!(;´Д`)=3」

と文句を垂れてサボろうとするヤツが一定数存在します。そんな時には

「おまえさんたちが涼しい教室の中にいる時に、こちとら廊下に締め出されて汗だくなんじゃ!贅沢言うな!」

と言ってやるのですが、そうすると大概黙ります(笑)。

そんな猛暑日勤務を終えて退勤すべく、自分のメールボックスを覗いてみたら



これが入っていました。そう、夏休み中に行った健康診断の結果です。

いろいろと書いてありましたが、全体的に芳しい…わけもなく、文面の端々に

『痩せろ』

という有り難いメッセージが込められていました。一応努力はしているつもりなのですが、ハッキリ言って

『これ以上どないせいっちゅうねん!』

というのが本音です。

さて、明日から二度目の三連休が始まります。この三連休を抜けると気温がグッと下がるとのことですが、是非そうなってほしいものです。

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大人をナメたらいかんぜよ!

2024年09月19日 17時40分10秒 | 日記
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室の日でした。そこで、またしても事件が起きてしまったのです。

子どもたちに帰り支度をさせて、さて帰ろう…としたら、一天にわかにかき曇ったかと思うと、凄まじい豪雨が降ってきました。一応朝の天気予報で午後に雨の予報が出ていたものの、傘を持たずに登校してきた子どもが多かったので、職員室に寄って傘を借りていくことになりました。

子どもたちはランダムに学校にストックしてある傘をお借りして帰ることになったのですが、そこで

 
(イメージ)

ポケモンの柄の傘をめぐって、2人の男児が取り合いの喧嘩を始めてしまったのです。

この2人は同学年で寄ると会うと喧嘩になるので、放課後子ども教室の中でもわざわざ席を離して座らせるくらいです。それが、傘一本をめぐって取っ組み合いの喧嘩を始めたから大変です。

先生方はひたすら宥める方向で融和を図っていましたが、争いは収まるところを知りません。それを見ているうちにこちらも段々イライラしてきたので、先生方の前にもかかわらず

「いい加減にしなさい!」

と大音声でドヤしてしまったのです。

彼らが傘を掴んだままフリーズした瞬間 

『いっけね…!』

と思ったのですが、出してしまったものは仕方ありません。ヘタをすれば私が◯ワハラ案件で教育委員会に報告されるかも知れませんが、もうこうなったら引っこみなどつきません。

それにこの2人は、普段から教室内で机を汚したりゴミを撒き散らかしたり走り回ったりといった数々の狼藉をはたらいているので、そのことも含めてお説教しておきました。その様子をご覧になっていた先生方は

「またなの…( ´Д`)=3」

と溜め息を漏らしていましたが、恐らくこの2人は普段からクラスで要らんことをしでかしているのでしょう。

とりあえずポケモン傘は没収してから、私が2人に普通のビニール傘を手渡して帰らせることにしました。2人ともブツクサ文句を垂れていましたが、

「なんか文句あんのか?!」

と聞いたら返事は返ってこず、各々そのビニール傘をさして帰っていきました。

先生方は

「スゴいですね…」

と若干引き気味でした。なので私は

「すみません、『言うべきことは言う主義』ですので。」

と言ってお茶を濁しておきました(汗)。

最近大人たちがコンプライアンス的に怒ってこないことで、それを逆手に取った子どもたちがつけあがっている傾向がみられます。勿論過剰な圧力は控えるべきですが、それでも締めるべきところを締めておかずに『大人をナメた図々しい子どもたち』が出来上がってしまっては困るのです。

まぁ、今後学校側から市教委にどんな報告があるのか無いのか分かりませんが、私は今後も締めるべきところは締めていくつもりでいます。

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大騒ぎの支援級勤務と『ぶどうのワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年09月18日 20時58分45秒 | カフェ
今日も小田原の支援級では、ちょっとした事件がありました。登校してきた女児が何だか具合が悪い様子だったのですが、しばらくすると激しく手や腕を掻きむしり始めたのです。

担任は

「やめなさい。」

とだけ注意していたのですが、どうも様子がおかしいので私が保健室へ連れていって養護教諭に診てもらうことにしました。すると、どうやら手足口病の初期症状のようだということになったのです。

手足口病は感染症としてはインフルエンザほど大騒ぎされるものではないものの、罹るとかなり苦しいものです。それだけでなく、本人はもとより周囲も用心のためにマスクが必須となり、教室内が一時騒然となったのです。

その子はその後も泣きわめきながら掻きむしり続けていて本人も周りも授業にならなかったので、とうとう早退措置がとられてしまいました。学校も家庭も、もう少し早くにその決断をしていればよかったのに…と思ったのですが、こればかりは私の立場からどうこう言えることでもありません。

そんなことがあった小学校勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は、今までいただき損ねていた月替わりメニューの



『ぶどうのワッフル』をオーダーすることにしました。二週続けてパフェなどをオーダーしていたため、実はまだいただいていませんでした。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに皮ごと食べられるツヤツヤの葡萄と自家製葡萄ソース、きょほのソルベがあしらわれ、生クリームにはこれまた自家製の葡萄ジュレが添えられています。今年の『ぶどうのワッフル』は昨年よりも葡萄の風味がより芳醇で、口に運ぶ度に葡萄の濃厚な味わいが広がります。

バタバタしていて落ち着かない気持ちだったのですが、美味しいワッフルと美味しいコーヒーをいただいて、ようやくリラックスすることができました。やはり、週に一度のこちらでのコーヒータイムはありがたいものです。

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図星…?

2024年09月17日 18時55分18秒 | 日記
今日、小田原でちょっとイヤなことがありました。

小学校からの帰り道でちょっともよおしてきたので、お花を摘んでいくことにしました。それで、ちょっと切迫していたので、



ちょうど空いていた多目的トイレに入りました。

とりあえず無事にお花は摘めたのですが、さっさと出ようと思ってカバンを背負ったところで、外から思いっきりドアを『蹴られ』ました。なんだろうと思って開ボタンを押したら、車椅子に乗ったJJYが今まさにドアを蹴らんとしているところでした。

思いっきり足で空を切ったJJYは車椅子の上でつんのめりながら

「おい!オマエ如きが偉そうに多目的トイレを使うんじゃない!」

と怒鳴ってよこしました。まぁ分からないでもなかったのですが、『オマエ如き』というワードにちょっとカチンときたので

「ドアに書いてある字をよくご覧なさい。『どなたでもご利用できます』とあるでしょう。確かに貴方のような方が優先的に使うトイレなのでしょうけれど、私が使ったからといってノックではなくドアを蹴られたことについては、決して気分のいいものではございませんよ。」

と返したのですが、JJYは

「口答えするな!」

と、またしても蹴ってきたのです。




その時、ふと『気づいてしまったこと』がありました。




先程蹴ろうとして空を切った足は右足でした。そして、今また蹴ってきた足は左足だったのです。そこで、

「あら、右でも左でもそんなに力強く足を繰り出せるということは、もしかしたら車椅子なんか使わずともお立ちになれるのではありませんか?」

と軽くツッコんでみたのです。

するとJJYは

「なっ…!!!!」

と言ったまま頭を真っ赤にしてフリーズしてしまいました。なので、特にこれ以上話すことはないと思った私は

「Adieu〜♪」

とだけ言い捨てて、さっさとその場を後にしました。

ああいう人種って、一体何なのでしょうか?恐らく何事においても

「自分は正しい。オマエがおかしい。」

と思って生きている人種なのかも知れませんが、そうだとすれば甚だ迷惑です。

それにしても、何故JJYはあそこでフリーズしたのでしょうか?もし図星をついてしまったのだとしたら、悪いことをした…のでしょうか?

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お高くなりましたわね…

2024年09月16日 17時35分55秒 | 日記
今日は一日曇りがちだったためか、昨日と比べると格段に凉しくなりました。今週末には秋雨前線も南下してくるようで、お彼岸に向けて着々と季節が進んでいるようです。

今日は家でゆっくりして、午後から買い物に出かけました。駅チカのスーパーを物色していたら、なんと



アケビが売り物として並んでいました。

『おぉ!』

と思ったのですが、お値段を見てビックリ!なんと一個で¥700以上するのです!これにはさすがに

『お、おぅ…』

と萎縮させられてしまいました。

ご存知の方も多いかと思いますが、アケビという果実の中身は



こんな感じで、あまり食べるところがありません。中には皮をアク抜きしてお料理する方もあるようですが、基本的には種の周りに付いた果肉を食べてしまえばおしまいなので、それに¥700出す勇気はありません。

私の幼少期、住んでいた家の裏山に行くと、そこいら中にアケビが口を開いてぶら下がっていました。金をかけなくても簡単に入手できる森の恵みとしての記憶が濃厚な昭和時代の人間にとって、アケビを『金を出して買う』という思考にはどうしてもならないのです。

アケビに限らずキノコや自然薯など、かつて山の中を駆けずり回っていれば子どもでも入手できた山の幸が、どんどん高嶺の花になっていっています。こうした秋の味覚は、どんどん遠い存在になっていってしまうのでしょうか…。

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今日はヴェーベルンの祥月命日〜大胆にアレンジしたバッハ《音楽の捧げ物》より『6声のリチェルカーレ』

2024年09月15日 18時45分20秒 | 音楽
今朝、厚木はかなり凉しくなったので、溜まっていた洗濯物を一気に済ませてしまいました。今週末は秋雨前線の南下の影響で天候が悪そうですが、これで季節が秋へと進んでくれるのなら大歓迎です。

ところで、今日9月15日はヴェーベルンの祥月命日です。



アントン・ヴェーベルン(1883〜1945)はツェムリンスキー、シェーンベルク、ベルクらに続く『新ウィーン楽派』の中核メンバーで、1900年代初頭の無調音楽、12音技法の開拓者と言われる作曲家です。

ヴェーベルンの最期は、実に悲劇的なものでした。

1945年に、終戦後に作曲活動を再開する思惑からウィーンを去ってザルツブルク近郊のミッタージルの娘の家に避難していたヴェーベルンでしたが、娘婿が元ナチス親衛隊で、当時は闇取引に関与していたのが悲劇の引き金となりました。同年9月15日にヴェーベルンがタバコを吸おうとベランダに出て火をつけたところ、それがオーストリア占領軍の米兵に闇取引の合図と誤解され、なんとその場で射殺されてしまったのです。

非業の最期を遂げた音楽家は数多居れど、射殺されてしまったのは後にも先にもヴェーベルンだけでしょう。もし戦後に活動を再開していたらどんな音楽を世に送り出してくれたのだろうかと思うと、残念でなりません。

そんなヴェーベルンの祥月命日にご紹介するのは『6声のリチェルカーレ』です。これは、



バッハとヴェーベルンとの時を超えた『共演』とでも言うべき作品です。

『6声のリチェルカーレ』の原曲は、1747年にバッハがフリードリヒ大王の前で即興演奏し、 その後いくつかの楽曲をまとめて《音楽の捧げ物》として出版した中の1曲です。 これをウェーベルンは小編成の管弦楽曲として、亡くなる10年前の1935年に編曲しました。

原曲では



いわゆる『王の主題』とよばれるテーマを6声部フーガで展開していきます。一方ヴェーベルンの編曲では、




主題を細かい動機に分割して様々な楽器に割り当て、 まるでパッチワークのように音楽が進行していきます。

かつて私も演奏した(なんならヴィオラのトップでソロまで弾いた)ことがありますが、メロディが流れずコラージュのように出たり消えたりするので油断できません。しかも聴衆にはきちんとメロディが流れているように聴こえなければならないので、オーケストラ全体のアンサンブルテクニックが最重要になるという難曲でもあります。

そんなわけで、ヴェーベルンの祥月命日である今日は『6声のリチェルカーレ』をお聴きいただきたいと思います。アントネッロ・マナコルダ指揮によるフランクフルト放送交響楽団の演奏で、ヴェーベルンの手腕で斬新な姿となったバッハの細密なフーガをお楽しみください。


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ハイドン《交響曲第45番嬰ヘ短調『告別』》

2024年09月14日 18時28分39秒 | 音楽
昨日の涙のお別れから一夜明けましたが、まだ何となく気分を引きずってしまっているようです。折角の連休の始めにこれではイカん!ということで、今日は音楽を聴いて気晴らしをすることにしました。

いろいろと聴いていたのですが、その中で今日は



やはりハイドン先生にご登場ねがう率が高くなりました。そんな中から、今回は《交響曲第45番 嬰ヘ短調》を取り上げてみようと思います。

《交響曲第45番 嬰ヘ短調》は、ハイドンが1772年に作曲した交響曲です。『告別』の愛称で知られるこの交響曲はいわゆるハイドンの「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期」の作品の一つで、ハイドンの交響曲全体の中でも人気のある作品のひとつです。

この曲は嬰ヘ短調という、18世紀の交響曲にはほかに見ない調性で書かれていて、第3楽章と終楽章ではさらに嬰ヘ長調(嬰音(シャープ)記号が6つ)になります。有名な終楽章を除いても、第1楽章の激しいリズムや展開部に突然出現する新しい主題、第2楽章の半音階的な進行など、ハイドンの創意が随所にあふれています。

この曲で一番問題になるのが、唯一の移調楽器であるホルンです。

第1楽章と第4楽章のホルンは、1本がA管(ラ)、もう1本がE管(ミ)を、長調の第2楽章では2本のA管を使用していますが、第3楽章では何と2本の『Fis管(ファ#)』ホルンを使用しています。実はハイドンはこの曲と同じく特殊な調性で書かれた第46番とこの曲の2曲のためにホルン用の替え管を特注していて、ハイドン自身による1772年10月22日付けのホルン製造会社宛ての支払書が残されています。

『告別』の愛称はハイドンの自筆譜には見えず、他の18世紀の資料にも見えませんが、19世紀初めから広く使われるようになりました。19世紀初めに書かれたハイドンの伝記の逸話によると、


「エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザでの滞在期間が予想以上に長引いたため、大抵の楽団員がアイゼンシュタットの家族の元に帰りたがっていた。このため、ハイドンは終楽章で巧みにエステルハージ侯ミクローシュに楽団員の帰宅を認めるように訴えた。」

「終楽章後半のアダージョで、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、蝋燭の火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に左手に、弱音器をつけた2人のヴァイオリン奏者(ハイドン自身とコンサートマスター)のみが取り残される。エステルハージ侯は明らかにメッセージを汲み取り、初演の翌日に宮廷はアイゼンシュタットに戻された。」


とありますが、この逸話を裏付けるような証拠は何も残されていません。

それでも、終楽章で一人、また一人と舞台から消えていく奏者たちを見ていると、こうした逸話が生まれてもちっともおかしくありません。そしてもし逸話が本当なら、『帰りたい』という楽団員たちの思いを嘆願や書面ではなく、音楽で表したハイドンのセンスには脱帽です。

そんなわけで、今日はハイドンの《交響曲第45番嬰ヘ短調『告別』》をお聴きいただきたいと思います。コンラード・ファン・アルフェン指揮によるシンフォニア・ロッテルダムの演奏で、シャレの効いたハイドンのメッセージを聴き取ってみてください。


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元気でいてね…

2024年09月13日 18時20分18秒 | 日記
今日、勤務先の小学校の一人の子が引っ越すことになり、学校を去っていきました。この子は支援級ではなく通常級の子なのですが、交流授業のサポートのために私が付いていった頃から仲良くなり、教室や廊下で会う度に

「先生!」

と挨拶してくれる人懐っこい子でした。

今回かなり遠くに引っ越してしまうということで、告げられた時には正直驚きました。それでも、聞くところによると父方の親族が多くいる地域への引っ越しで、いきなり知らない人だらけになってしまうようなことはないそうなので、そこだけは安心できます。

クラス担任やクラスメイトたちはいろいろなサプライズを用意していて、本人も喜んでいました。最後に大きな声で校歌を歌ったのですが、分からないように必死になりながら涙を堪えている子もチラホラ見受けられました。

そして帰りの会が終わって、いよいよこれでお別れ…という時に、またしてもサプライズがありました。同学年の子たち全員が廊下の両側に並んで、即席のアーチを作ったのです。

そこに音楽担当の先生が、5年生の音楽の教科書に載っている《Believe》をかけたのです。



これには私もグッときつつも何とか堪えた…と思ったのですが、年若いクラス担任の男性教諭が子どもたちに見つからないようにそっと涙を拭っている姿を見てしまい、ダメでした…。

最後の最後、昇降口から外へ出ていく姿を陰ながら見守っていたのですが、そこでその子と目があってしまったのです。

『あちゃ〜…』

と思ったのですが、その子が

「先生〜!ありがとうございました〜!」

と叫んで、あらん限りの力で手を振ってくれたので

「元気でな〜!!」

と声をかけることができました。

あとで聞いたところによると、私が物陰から見ていることを支援級の子がその子に教えていたようでした。本来、私のような立場の者は日陰の存在でなければならず、担任よりも出しゃばってはいけないのですが、今回は担任も私とその子の関係性を知っていてくれたので、感動的なお別れをさせていただきました。

数日前、その子は

「できればこの小学校でみんなと卒業式をしたかった。」

と言っていました。それは叶わぬこととなりましたが、新天地での生活が幸多からんことを願って止みません。

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歌詞に『小田原』が明記!《お猿のかごや》

2024年09月12日 17時55分17秒 | 音楽
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室がありました。夏休み明け初回ということもあってか参加人数は少なめでしたが、出席した子どもたちは元気いっぱいでした。

宿題や工作をしてから、私が担当する歌のコーナーになりました。今月は《お猿のかごや》を歌わせることにしました。

この歌には『小田原提灯ぶらさげて』という歌詞がありますが、歌詞に『小田原』の名が明記されている歌は滅多にありません。ましてや地名が明記されつつここまで有名な歌は、他に見当たりません。

小田原提灯は、江戸時代中頃から小田原で作られるようになった円筒形の提灯です。JR東日本小田原駅の改札口には、


巨大な小田原提灯が提げられています。

本当は小田原提灯の実物を持って子どもたちに見せようと思っていたのですが、学校に着いてカバンを開けてみたら…

『…ない?』

そう、見事に家に忘れてきました(汗)。なので、敢えなく来週に持ち越しとなりました。

それにしても、日本人なら殆どが知っている歌が小田原から生まれているということに、改めて驚かされます。他県からの移住者たる私からしたら、羨ましい限りです。

特に低学年の子どもたちは今ひとつピンときていない様子でしたが、これからも

「小田原って、こんなに文化的環境が豊かな場所なんだ」

ということを伝えていこうと思っています。

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クタクタ勤務からの『みるくぷりん』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年09月11日 18時50分45秒 | カフェ
今日の支援級勤務で、先生ちょっと怒っちゃいました。

支援級の子どもたちたいうのは基本的に『空気が読めない』ではなく『空気を読まない』子が多いのですが、その中でも群を抜いてKYな女子がいます。 その子が今日、担任に向かって吐いた暴言が聞き捨てならなかったため、説教すべく

「ちょっとこっちにおいでなさい」

と呼び寄せました。

そこで攻撃の矛先を私にすり替えてガタガタ言ってきたのですが、

ゴチャゴチャ言ってないでいらっしゃい!」

と、久しぶりにカミナリを落としました。その子が間髪入れずに泣きわめき出したので担任は慌てていたのですが、私はその泣きが虚偽であることを見抜いていたので、構わずに別室に引っ立ててみっちりとお説教をしました。

最終的には号泣しながら担任に

「ごべんなざぁぁいぃぃぃ…」

と謝っていましたが、そのことで子どもたちが下校した後で何故か支援級主任が出っぱらかってきて私に

「ちょっとあのやり方は…」

と苦言を呈してきたのです。どうやら私のやり方が◯ワハラだと言いたかったようでしたが、

「子どもに保身のための嘘泣きを覚えさせるのが『教育』なら、この学校は既に破綻しています。」

と言って、如何に支援級の子どもたちの何人かが大人たちをみくびった狡猾な根性の持ち主であるかを徹底的に反論させてもらいました。

日本の教育現場は、いつの頃からか子どもたちや保護者たちに対して『忖度』しながらビクついてしまっています。そうした学校側の『忖度』を今の子どもたちは敏感に感じ取って、学校の先生に対して平気で『お子様風』を吹かせるようになってしまっているのです。

勿論、◯ワハラは容認すべきではありません。それは論を待たないところですが、だからといって何でもかんでも子どもたちの都合の良いように『忖度』するのは間違っていますし、『違うことは違う』『いけないことはいけない』と言えない教育機関など論外です。

そんな無駄な労力を使ってすっかり疲弊してしまった心身を抱えたまま、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は、先週登場していた『桃のミニパフェ』に替わって登場していた



『みるくぷりん』をオーダーすることにしました。昨年の11月にも登場していたメニューが、再びの登場となりました。

昨年はキャラメルソースやベリーソースがありましたが、今回は



桃のソースでいただきました。優しい甘さのみるくぷりんと、自家製の桃のソースとの相性は抜群です。

『桃のミニパフェ』は残念ながら終了してしまいましたが、こちらはしばらくは続くようですので、また違うソースでオーダーしてみようと思います。

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何がしたくて『特定』なんか…

2024年09月10日 17時30分25秒 | 日記
今日は、夏休みが明けてから最初の放課後子ども教室のある日でした。子どもたちは元気いっぱいに参加していて、中には元気があり余り過ぎて先生に叱られていた子もいました(汗)。

ところで、放課後子ども教室の大人たちは全員



首からネームプレートを提げているのですが、今日その中身を取り替える作業がありました。それまでは漢字で学校名と個人名がフルネームが書かれ、そこにルビが振ってあるものだったのですが、新しく『放課後子ども教室スタッフ』という文言と、ひらがなで苗字のみが書かれたものに変更となったのです。

なんでまたこんなタイミングで…と思ったのですが、小田原ではないどこかの自治体で写真に写ったスタッフのネームプレートの名前から個人を特定して不当に拡散されるという事件があったのだそうで、それを受けて一斉取り替えとなったとのことでした。いやはや、なんとも恐ろしい世の中になったものです。

私は2つの学校の放課後子ども教室を兼務していますが、学校名が伏せられたことで一つのネームプレートでどちらでも付けられるようになりました。それがよかったのか悪かったのかは、私にも分かりません…。

今日も子どもたちから

「時間が短い!」

と文句を言われてしまいました。今年度から素っ頓狂な時間帯を設定した教育総務課と、それにまんまと乗っかった学校とが、本当に恨めしいばかりです…。

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今日はエリック・サティ処女作《アレグロ》が発表された日〜ジャン=イヴ・ティボーデのピアノで

2024年09月09日 17時35分25秒 | 音楽
9月に入って1週間が過ぎましたが、まだまだ日中は暑い日が続いています。こう暑いと、そろそろ『残暑』という日本語が死語になりそうです…。

ところで、今日は『重陽の節句』ですが、それとは違う話をしようと思います。今日9月9日は、



エリック・サティの処女作 《アレグロ》が作曲された日です。

『音楽界の異端児』と呼ばれる一方で、作曲家としては『現代音楽のルーツ』とも称されているサティは、後世に多大な影響を及ぼしました。同世代の音楽家であるドビュッシーやラヴェルたちも

「現代の多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだ」

と公言しています。

パリ音楽院の学生時代のサティは、『学校始まって以来の怠惰な生徒』という最低の評価でした。優等生ではなく落第生というレッテルを貼られていたサティでしたが、その後『音楽界の異端児』と呼ばれる所以を発揮することになります。

西洋音楽の常識だった調性音楽、いわゆる『ドレミファソラシド』のあり方に問題意識を持っていたサティは、当時、入り浸っていた教会の影響もあって、自作に教会旋法を取り入れるようになりました。グレゴリオ聖歌に代表される厳かで不安定な印象を与える教会旋法に魅了されたサティは、それまでの伝統を無視し、タブーとされていた不協和音をも取り入れ、既存の音楽の概念を壊していきました。

また、それまで意識的に聴く『鑑賞用』として作られてきた音楽を、意識的に聴かれることなく生活に溶け込む音楽として『家具の音楽』と称する曲を多数発表することとなりました。1888年に発表した《3つのジムノペディ》に代表されるような、主役にはならず、まるで家具のように日常生活を妨げない音楽を作っていったのです。

そんなサティの処女作である《アレグロ》は、



このたった9小節のピアノ作品です。これを作曲家の処女作として提出されたら

「ふざけてるのか!」

と怒られるか呆れられるかでしょうが、よく聴くと、この9小節の中に後のサティ作品を匂わせる要素が詰まっていることに気づかされます。

そんなわけで今日はサティの処女作《アレグロ》を、フランス・リヨン出身のピアニストのジャン=イヴ・ティボーデの演奏でお聴きいただきたいと思います。20秒ほどで終わってしまうので、くれぐれも油断なさらないようお気をつけください(笑)。


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