共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はペルゴレージな祥月命日〜バッハのモテット《我が罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ》BWV1038

2024年03月16日 17時35分35秒 | 音楽
昨日の悪寒が覿面にきて、今日は一日寝ていました。喘息持ちの私としては少しの風邪でも致命的ですし、何しろ来週には小学校の卒業式も控えていますから、何としてでも治さなければなりません…。

ところで、今日3月16日はペルゴレージの祥月命日です。



ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710〜1736)は、イタリアのナポリ楽派オペラ作曲家です。

ペルゴレージはモーツァルトやロッシーニらに継がれるオペラ・ブッファの基礎を築き、甘美な旋律にあふれたオペラを作曲しました。26年という短い生涯であったのにも拘らず、古典派音楽の様式を最も早く示した人物として音楽史に名を遺しています。

1732年、オペラ・ブッファ《妹に恋した兄》を初演し最初の成功を収めたペルゴレージは、1733年8月28日、サン・バルトロメオ劇場でオペラ《誇り高き囚人》を初演しました。この公演自体は失敗に終わったにもかかわらず、この作品の幕間劇として作曲された《奥様女中(La Serva Padrona)》が歴史的な大成功を収め、オペラの歴史に大きな変革をもたらしました。

1735年、オペラ《オリンピアーデ》をローマで初演したものの失敗してナポリへ戻りましたが、この頃からペルゴレージは結核のため体調が悪化したこともあって宗教音楽の作曲に取り組むようになり、1736年には療養のためナポリ近郊ポッツオーリの聖フランチェスコ修道院に移りました。そこで、ナポリ在住貴族の集まり「悲しみの聖母騎士団」から委嘱された《スターバト・マーテル(Stabat Mater)》を余力を振り絞って書き上げてまもなく、26歳という若さで死去してしまいました。

さて、そんなペルゴレージの祥月命日に、その名曲中の名曲《スターバト・マーテル》をご紹介…してもいいのですが、今回はちょっと違った角度からご紹介しようと思います。それは、



ヨハン・セバスティアン・バッハのモテット『詩篇第51番《我が罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ》』です。

26歳の若さで死の床にあったペルゴレージが書き上げた《スターバト・マーテル》は、どこまでも透明で至純な美しさに満たされた哀切極まりない名作ですが、これを晩年のバッハがドイツ語版に仕立てて更に細かな変更を加えて編曲したのがこの『詩篇第51番《我が罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ》BWV1083』です。バッハの行った変更点は、

●歌詞をラテン語からドイツ語の旧約聖書の詩篇第51番に変更
●第12曲と第13曲の順番を入れ替え
●第2ヴァイオリンとヴィオラのパートを加筆
●声楽パートのリズム、装飾音、アーティキュレーションなどの細部にも手を加える
●最後のアーメン唱を倍に引き伸ばし、後半をヘ長調で終わる

といったもので、シンプルな《スターバト・マーテル》を、より教会風で聴き栄えのする雰囲気に仕上げたといった感じです。

ペルゴレージとバッハは25歳差ですが、自身よりも早く他界してしまった夭折の天才からバッハが感じとったものは大きかったのでしょう。だからこそ、ペルゴレージの絶筆ともいえる《スターバト・マーテル》を、リスペクトをこめて編曲したのだと思います。

そんなわけで、今日はペルゴレージの《スターバト・マーテル》を基にしたバッハのモテット《我が罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ》をお聴きいただきたいと思います。決して相まみえることのなかったペルゴレージとバッハとの、国や宗派を越えた対話をお楽しみください。


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今年度最後の給食メニューで

2024年03月15日 18時00分00秒 | スイーツ
今日で、年度内の小学校の給食が終了しました。そこで、デザートに



すだちゼリーが出されました。

なんで『すだち』?小田原といったら、何はなくとも



神奈川県オリジナルブランド『湘南ゴールド』でしょ!と思っていました。しかし、給食委員のお昼の放送によると、来週いよいよ6年生たちが卒業式を迎えて小学校を巣立っていくということで

巣立ち
 ⬇
すだち
 ⬇
すだちゼリー

…\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

ということだったようです(汗)。

毎月毎月、給食の献立を立ててくださる管理栄養士さんの尽力は計り知れません。ただ、時にはこんな駄洒落を交えたメニューも登場しています。

子どもたちは皆、喜んで食べてくれていました。最後は全員、お残しせずに完食していました。

帰りの電車の中で、ちょっと調子が悪くなってきました。まさかこのタイミングで風邪をひいてしまったのではないかと危惧していますが、来週は卒業式も控えてので何とかしなければ…。

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ドラクエっぽい!テレマン《ヴィオラ協奏曲ト長調》第2楽章

2024年03月14日 16時30分30秒 | 音楽
今日は一日休みでした。それで、ボーッとしているのも時間が勿体ないので、いろいろな楽譜をひっぱり出して練習することにしました。

その中にあったのが



ドイツ・バロックを代表する作曲家の一人ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681〜1767)作曲の《ヴィオラ協奏曲ト長調》です。これは私が大学に入学して最初に与えられた課題曲で、初めて弾いたヴィオラ協奏曲でもありました。

テレマンらしい明るくライトな曲調が魅力的な作品ですが、個人的に好きなのが第2楽章アレグロです。実はこの楽章のテーマが、『ドラゴンクエストⅢ』の王宮のロンドとかなり似ているのです。

テレマンのヴィオラ協奏曲は



という感じで始まります。一方、ドラクエⅢは



という感じで、こうして並べてみると1小節がかなり似ていることが分かります。

だから何だ?と言われてしまえばそれまでですが、個人的には結構テンションが上がります。ドラクエの王宮の音楽はバッハやパーセルなど何らかのバロック音楽をベースにしていることが多いのですが、そこにあえてテレマンを選んでくれたあたりに、すぎやまこういち氏のセンスが光っているなと思わずにはいられないのです。

そんなわけで、今日はテレマンの《ヴィオラ協奏曲ト長調》の第2楽章をお聴きいただきたいと思います。楽譜だけだと今一つピンとこないかも知れませんが、音楽を聴いていただけたら

「ドラクエっぽい!」

と思っていただけると思います。


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終盤小学校勤務と『桜のパンナコッタ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年03月13日 18時18分20秒 | カフェ
令和5年度の小学校生活も、いよいよあと10日を切りました。6年生たちは巣立ちを、5年生以下は進級を嫌でも意識させられるようになってきています。

どの学年もそうなのですが、特に1年生はかなり甘ったれていて

「2年生になりたくない〜!」

とゴネています。そんな彼らも4月になれば嫌でも進級するわけですが、今はその現実を少しずつ彼らに植えつける作業に余念がありません(笑)。

そんな小学校勤務を終えてから後片付けを済ませて退勤し、そのまま横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

先週は『デコポンのワッフル』をオーダーしましたが、今日は



今週から登場した『桜のパンナコッタ』をオーダーしました。

ほんのりと桜の香る滑らかな舌触りのパンナコッタの上に桜色のゼリーがトッピングされ、生クリームと桜の塩漬け、粒あんがあしらわれています。一口いただくと、桜の香りが口いっぱいに広がります。今日は



同じく新メニューの『さくらの紅茶』とともに、桜づくしを堪能しました。

明日は放課後子ども教室が無いので、一日ヒマになります。何をして過ごそうかは、また明日決めようと思います。

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みんなで咲かせた寄せ書き桜

2024年03月12日 18時10分45秒 | 日記
今日は冷たい雨の降る、かなり寒い一日となりました。どうやら『一雨毎の暖かさ』となるのは、まだしばらく先のことのようです。

今日は、勤務先の小学校の放課後子ども教室最終日でした。そして、この日のために用意していたのが



この桜の木です。

大判の紙に幹を描き、その上から桜の花形に切った折り紙を貼りました。その上から子どもたちに桜の花形の折り紙に寄せ書きをしてもらって、上から貼りつけたら



こんな感じになりました。

大人たちで考えて毎週いろいろな企画を立ててきましたが、子どもたちはそれぞれに楽しんでくれたようでした。中には

「(来年度も)また来たい!」

と言ってくれた子たちもいて、こちらとしてもグッとくるものがありました。

今まで


パタパタ羽ばたく紙飛行機や



紙輪の飛行機、


イガ栗ースや



紙皿クリスマスリースや



折り紙コマも作りました。また、外部から講師をお招きして



SDGsの講座を開設したり



小田原えっさホイ踊りをレクチャーしていただいたりもしました。

毎回毎回準備は大変ですが、やり終えた後の子どもたちの笑顔を見ると

『やってよかったな…』

と思えていました。しばらくは頭を休ませてもらって(笑)、また来年度から新たにスタートできたらいいなと思っています。

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あの日から13年目の3月11日〜全ての御霊におくるフォーレ《レクイエム》より『サンクトゥス(初演版)』

2024年03月11日 18時18分20秒 | 日記
今日は3月11日、あの未曾有の災害である東日本大震災が発生した日です。あれから13年の時が経ちましたが、警察庁と復興庁によると、死者・行方不明者は2万2222人、避難者は2万9328人にのぼり、原発事故を逃れた福島県民が約9割を占めています。

13年前ということは、現在中学1年生が生まれた年に発生したことになります。だから、当然のことながら現在私が面倒をみている小学生たちは、あの大災害を全く知らないのです。

毎年拙ブログに書いていますが、私はあの時あざみ野の音楽教室にいて、子どもたちがやってくる前の準備をしていました。すると、ちょっと建物が揺れた…と思った次の瞬間、凄まじい横揺れに襲われたのです。

あの当時、職場のレッスン室のアップライトピアノには



防振などのためにキャスターにかませておくインシュレーターが設置されておらず、全てのピアノがゴン!ゴン!と轟音をたてながら勝手に動き始めてしまいました。幸いにして倒れたピアノは一台もありませんでしたが、後にこれを期に全てのレッスン室のピアノにインシュレーターがかまされることになったのは言うまでもありません。

私は全てのレッスン室の扉と出入口の扉を全開にして動線を確保してから受付の机に乗り、天井から提げられていたペンダントライトを両手で掴んで、更に受付の後ろでガタガタ揺れていたスチール棚を片足で押さえていました。あの強烈な揺れの中で、我ながらとんでもない格好をしていたものだと思います。

揺れが収まってからは、停電が発生して帰宅難民になったり、情報が遮断されたりして大変でした。それでも、東北三県の方々の苦しみや悲しみに比べれば、申し訳ないくらいに大したことはありません。

はからずも今年は元日に能登半島地震が発生し、津波や火災による被害も発生しました。東日本大震災を知らない世代にも強烈な印象を残していますが、あの震災を知る我々世代は、今こそ東日本大震災を知らない子どもたちに自身で体験したことを伝えていかなければなりません。

今日は、東日本大震災の全ての犠牲者の追悼に、ガブリエル・フォーレの《レクイエム》から第3曲『サンクトゥス』を送ります。一般に演奏される1900年フルオーケストラ版ではない1888年初演版での演奏で、フォーレの静謐な祈りの音楽をお聴きください。

ここに、東日本大震災犠牲者の御霊安かれと祈ります。

合掌。


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久々の『桜の金平糖』

2024年03月10日 17時17分17秒 | スイーツ
今日は数十年来の知人が厚木に来ているということで、久しぶりに会うことになりました。久々に会って互いの老けっぷりにツッコミをいれながら、オッサン二人で積もる話に花を咲かせていました。

別れ際、その知人から



これをもらいました。これは、いつぞや拙ブログにも載せたことのある東京下谷萬年堂の『桜の金平糖』です。

ただ色が桜色なだけではなく、中に桜餅にも使われる桜の葉の塩漬けが入っています。口に含むと、桜餅のあの独特の香りが広がります。

ここ数年食べていませんでしたが、久しぶりに味わいました。吹く風はまだ冷たいですが、また一つ春を感じることができました。
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鳥山明氏の訃報を受けて〜ドラゴンクエストⅢ《そして伝説へ》

2024年03月09日 17時10分40秒 | 日記
昨日のことですが、ショッキングなニュースが日本中、いや世界中を駆け巡りました。漫画家の鳥山明氏が3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなっていたことが報じられました(享年68歳)。

急性硬膜下血腫は頭部へ外から強い衝撃が加わることによって脳と脳を包む硬膜とのすき間に血が溜まって脳を圧迫する疾患で、重篤な場合には脳が腫れ、死に至ることもあります。ボクシングなどの激しいスポーツで発症するケースが代表的ですが、高齢者が転倒して発症することもあるそうです。

鳥山明氏は愛知県出身で、1978年に「週刊少年ジャンプ」の読切作品『ワンダー・アイランド』で漫画家としてデビューしました。その後、1980年に連載を始めた『Dr.スランプ』がアニメ化され、少女型アンドロイド、アラレちゃんの「んちゃ」や「バイちゃ」などのセリフが流行語になるなど、大きな人気を集めました。

1984年に連載を始めた『ドラゴンボール』は、主人公の孫悟空が「かめはめ波」などの必殺技を駆使してさまざまな敵と戦い成長していく物語を描き、累計発行部数は2億6000万部を超える大ヒット作となりました。連載開始の2年後にはテレビアニメ化され、これまでに世界80以上の国と地域で放送されただけでなく、ゲーム化やハリウッドで実写版映画が制作されるなど、世界的に多くのファンを獲得しました。

魅力的なキャラクターが登場する世界的な人気作品を次々に生み出した漫画家の鳥山明氏ですが、私が個人的に思い入れが深いのが



『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターデザインです。

鳥山明氏は、『ドラゴンクエスト』のシリーズ1作目からキャラクターやモンスターのデザインを担当しました。『ドラゴンクエスト』シリーズを提供するゲーム会社「スクウェア・エニックス」によると、シリーズの累計出荷本数は2023年3月末の時点でダウンロード販売を含めて世界で8800万本にのぼり、鳥山明氏が描く魅力的なキャラクターは今なお世界中のゲームプレーヤーから愛され続けています。

鳥山明氏の訃報に接し、今日は鳥山氏がキャラクターデザインを手がけた『ドラゴンクエスト』から、個人的に思い入れ深い『ドラゴンクエストⅢ』のエンディングテーマ『そして伝説へ』を送ります。作曲者のすぎやまこういち氏も2021年に逝去されていますが、これでますます寂しくなります。

ここに謹んで、鳥山明氏の御冥福を御祈念申し上げます。

合掌。


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やっぱり寂しいよな…

2024年03月08日 18時18分18秒 | 日記
今日は支援級の『6年生を送る会』が開催されました。小さな子たちは何をしているのか分かっていないようでしたが、4年生や5年生が中心となって進行や人員整理をしていました。

会の最後には、



先日メッセージを書いた桜の花のカードを貼った寄せ書きをプレゼントしました。6年生たちは自分へ寄せられたメッセージを読みながら、あれやこれやと話をしていました。

会を終えて会場から教室へ戻る時にふと気づくと、私の横を歩いていた6年生の男子が俯いて鼻をすすっていました。風邪でもひいたかと思ったのですが、よく見ると泣いていたのです。

ちょっとビックリしたのですが、他の子に見られないように列から外して人のいないところに誘導して話を聞いてみたところ、どうやら寂しくなってしまったようでした。いくら男子とはいえ、やはり悲しくなってしまったのでしょう。

あの子たちと一緒の学舎にいられるのもあと10日ほど、せめてその時間を大切にしようと思います。

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目にも鮮やかミモザの花

2024年03月07日 18時45分25秒 | 
今日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室の日でした。今日が今年度最後の教室だったので、子どもたちを送り出した後で盛大に部屋の掃除をして、備品の在庫確認や整理をして終わりました。

小田原駅まで向かう道すがら、ふと見上げると



黄色いミモザの花が満開になっていました。明日はイタリアでは「FESTA DELLA DONNA(フェスタ・デッラ・ドンナ)」『女性の日』といって、男性が日ごろの感謝を込めて女性に愛や幸福を呼ぶと言われるミモザの花を贈る日ですが、正にそれに相応しい光景でした。

私自身、今まで



帰りの歌の伴奏のために使っていたmicro pianoや歌詞カードをはじめとした私物を準備室に置きまくっていたので、それらを全て回収してきました。なので、まるで終業式を終えて荷物満載で帰宅する小学生のような出で立ちになってしまい、かなり恥ずかしい思いをしました…。

さて、明日は勤務先の小学校で、支援級の『6年生を送る会』が催されます。在校生たちといろいろと考えたものですが、6年生たちに喜んでもらえたらいいな…と思っています。

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大変な卒業生支援と『デコポンのワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年03月06日 18時25分25秒 | カフェ
今日は朝から冷たい雨の降る、生憎のお天気となりました。またしても外で遊べないことに子どもたちは不満タラタラでしたが、こればかりはどうしようもありません。

そんな中、今日は6年生たちの卒業式の練習が行われました。再来週には本番ということもあって、担当の先生方の熱量と6年生たちの緊張感はなかなかのものでした。

ただ、そうは言っても一筋縄でいかないのが支援級の子たちで、入退場のBGMがうるさかったり、始まったら始まったでじっと静かにしていなければならなかったりと、彼らにとってストレスのかかることが連続していて大変そうでした。それをどうにかこうにか宥めるのも我々個別支援員の仕事なのですが、本番では落ち着いていてくれることを願うばかりです…。

そんな小学校勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

3月に入って月替わりメニューが一新していたので、今日は



『デコポンのワッフル』をオーダーしました。これは昨年も登場したメニューで、一年ぶりの再登場となりました。

お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルにデコポンの果肉がふんだんにあしらわれ、ヨーグルトソースとヨーグルトソルベが添えられています。デコポンとヨーグルトの甘酸っぱさに自家製デコポンマーマレードが絶妙なアクセントを加えていて、ワッフルと一緒に頬張ると何とも爽やかな風味が口いっぱいに広がります。

美味しいワッフルをいただいて、春の到来を感じることができました。明日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室最終日なので、頑張ってきます。

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みんなで考えるプラスチックゴミ問題

2024年03月05日 18時10分00秒 | 日記
今日はまた一段と冷え込む一日となりました。教室では暖房をMAXで焚いていないと、寒くていられないくらいでした。

そんな中、今日は放課後子ども教室がありました。ここでは毎回、宿題を終えた後に様々な企画を用意しているのですが、今回は



小田原市役所環境政策課の職員の方においでねがって、SDGsについての講座を開いていただきました。

現場に従事しておられる方から、ゴミの分別についての映像や動画を見せながら小田原市のゴミの実態を解説していく講座は大変興味深く、子どもたちも熱心に聞き入っていました。特に、ペットボトルの分別については



左から

●破砕されたペットボトル
     ⬇
●不純物を除去し洗浄したもの
     ⬇
●加熱処理したペレット

と処理過程の実物をお持ちいただき、子どもたちは勿論、大人たちも興味津々でした。

こうした講座を通じて、子どもたちに少しでもゴミの問題について考えてもらえたらと思います。勿論大人たちも、このままのペースでゴミを出し続けると2050年には海洋ゴミが海洋生物の数を超えるかも知れないという恐ろしい未来を防ぐべく、考えることは山積みです。

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今日はチャイコフスキーのバレエ《白鳥の湖》の初演日〜カラヤン指揮、ウィーン・フィルによる組曲

2024年03月04日 16時16分16秒 | 音楽
今日も比較的暖かな陽気に恵まれました。こうした陽気が安定的に続いてくれるといいのですが、週間天気を見るとそうは問屋が卸さないようです…。

ところで、今日3月4日は



ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)作曲のバレエ《白鳥の湖》が初演された日です。

《白鳥の湖》はドイツを舞台に、悪魔の呪いで白鳥に姿を変えられた王女オデットと王子ジークフリートとの悲恋を描いた物語です。現在ではクラシック・バレエを代表する作品の一つであり、《眠れる森の美女》《くるみ割り人形》と共に『チャイコフスキー3大バレエ』とも呼ばれてています。

今でこそ人気の高い《白鳥の湖》ですが、初演時は振付・舞台美術・ダンサー・指揮者の水準が低かったことや、従来のバレエ音楽とは異なるチャイコフスキーの高度な楽曲が観客に理解されなかったことで、当初の評価は決して高くありませんでした。ただ、完全な失敗だったという説には疑問が呈されていて、実際には当時の観客の評判は賛否両論であったことや、初演以降も繰り返し上演はされていて一定の人気を集めていたことなどが指摘されています。

初演版《白鳥の湖》は、計41回上演されました。しかし、当時のボリショイ劇場で経費や人員の削減が進められていたことも影響して、1883年1月の上演を最後にボリショイ劇場のレパートリーからは外されてしまいました。

その後、1888年にプラハで第2幕の抜粋上演が行われるなど、再演の試みは幾度かありましたが、チャイコフスキーの生前に評価されることはありませんでした。そしてチャイコフスキーの没後、振付家のマリウス・プティパとレフ・イワノフが大幅な改訂を行い、チャイコフスキーの死から2年後の1895年にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で蘇演した際には大成功をおさめました(現在上演されている《白鳥の湖》のほとんどのバレエ舞台は、このプティパ=イワノフ版を元としています)。

さて、バレエ全曲を載せてしまうとかなり長時間になってしまうので、今回は演奏会用組曲《白鳥の湖》作品20aをご紹介しようと思います。

1882年、チャイコフスキーは楽譜出版社のユルゲンソンに宛てた手紙で、《白鳥の湖》の組曲を作りたいという意思を表明しています。ただ、どうやって編纂されたのかや出版社とのやり取り等についての経緯については資料が残されていません。

現在演奏されている組曲は

情景
ワルツ
小さな白鳥たちの踊り
情景
チャールダーシュ:ハンガリーの踊り
フィナーレ

の6曲からなっています。ただ、指揮者によってはこの並びにナポリの踊りやマズルカといった華やかな曲が加えられることもあります。

因みにクロード・ドビュッシーは若い頃に、チャイコフスキーのパトロンであったナジェジダ・フォン・メック夫人のお抱えピアニストを務めていました。その縁でドビュッシーは1880年に夫人の指示で《白鳥の湖》の一部をピアノ連弾用に編曲し、組曲と同じユルゲンソン社から出版しています。

そんなわけで、今日はチャイコフスキーのバレエ組曲《白鳥の湖》 作品20aをお聴きいただきたいと思います。1965年に録音された、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウィーン・フィルの演奏でお楽しみください。


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建立900年記念特別展《中尊寺金色堂》

2024年03月03日 18時18分18秒 | アート
昨日のことなのですが、光悦展の後に行ったもう一つの展覧会のことを書こうと思います。現在、東京国立博物館本館では



特別展《中尊寺金色堂》が開催されています。

この特別展は、



上棟の記録の残る天治元年(1124)を建立年ととらえて、中尊寺金色堂の建立900年を記念して開催するものです。



堂内中央に設置された須弥壇に安置される国宝の仏像11体が一堂にそろうほか、かつて金色堂を荘厳(しょうごん)していた



国宝・金銅迦陵頻伽文華鬘(こんどうかりょうびんがもんけまん)をはじめとする、まばゆいばかりの工芸品の数々を紹介しています。

現在、中尊寺金色堂は



覆堂(おおいどう)という建物にスッポリと覆われた中の、ガラス張りの向こう側にあります。当然のことながら仏像群を近くで拝観することは不可能ですが、今回は



藤原清衡の遺体が安置されている金色堂中央須弥壇上の国宝仏を間近に、しかも



普段は絶対に観ることのできない背面まで360度観ることができるように展示されています。

会場に入ると、



黄金に輝く金色堂を8KCGの技術を用い原寸大で再現しています。かなり迫力満点の画像でしたが、私が不慣れなのか画像が動くとちょっと酔いそうになって大変でした…。

その映像の裏側にまわると、



金色堂中央須弥壇上の仏像たちが姿を現します。会場の中央には阿弥陀三尊像が、光背を外したかたちで展示されています。



阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)

(中央)国宝 阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)
(右)国宝 観音菩薩立像(かんのんぼさつりゅうぞう)
(左)国宝 勢至菩薩立像(せいしぼさつりゅうぞう)
平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵

腹前で定印(じょういん)を結ぶ阿弥陀如来坐像を中心に、前方左右に観音菩薩立像と勢至菩薩立像が並ぶ全身皆金色(かいこんじき)の三尊で、ふっくらとした頬を持つ穏やかで優美な表現が特徴です。金色堂内の3つの須弥壇上の諸仏像は長い歴史の中で安置場所が入れ替わっていると考えられていますが、この三尊像は当初より清衡が眠る中央壇に安置されていた可能性が高いとされます。

清衡が創建した時の像であるならば、『尊容満月の如し』と称えられた定朝(生年不明〜1057)の流れをくむような当時の京の一流仏師による像と遜色のない仏像が奥州に伝えられていたことになります。奥州藤原氏によって築かれた平泉の文化水準の高さをうかがい知ることができる、貴重な作例です。



きりりとした阿弥陀如来坐像の眼差しには、思わず引き込まれます。脇侍の観音勢至両菩薩は阿弥陀如来坐像と同じ時代の作のはずですが、阿弥陀如来坐像と比べると甘美な顔つきをしていて、もしかすると少し時代が下るのではないかとも思えてきます。

阿弥陀三尊像の両脇には



阿弥陀三尊の両脇に3体ずつ安置される6体の地蔵菩薩立像が展示されています。阿弥陀三尊と六地蔵のセットは、六道輪廻(ろくどうりんね)からの救済を願う当時の往生思想を体現したものと考えられます。

頬がやや引き締まっていること頭部がやや小ぶりに作られていることから、阿弥陀三尊像よりも後の時代に作られたようで、造像当初に置かれていた壇から移動している可能性があります。この展覧会では、現在中央壇に安置されている状況と同じように3体ずつ展示されています。

その前には四天王のうち



増長天立像と



持国天立像(平安時代・12世紀 国宝)が展示されています。大きく腰をひねって手を振り上げる躍動感にあふれた二天像は、引き締まった面貌と大きく翻る袖の表現が見どころです。



こうした激しい動きの表現は、のちに慶派仏師が得意とする鎌倉様式を先取りしたような先駆的感覚が奥州の仏像にみられることを示しています。西北壇・西南壇に安置されている二天像と比べても、動きの表現は際立っています。

この他には



紺紙金銀字一切経(こんしきんぎんじいっさいきょう 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺大長寿院蔵)が展示されています。金泥字(きんでいじ)と銀泥字(ぎんでいじ)で一行おきに書写し、見返しにも金銀泥を用いて経意を絵画で表現した唯一無二の一切経で、『中尊寺経』の名で知られます。

使われている料紙は京の都で調達したことが確実視され、見返し絵も当時一流の絵師が担当したと考えられています。藤原清衡が8年の歳月をかけて制作させた入念の一切経で、かつては金色堂手前の経蔵に安置されていました。

そして、金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅(こんこうみょうさいしょうおうきょうきんじほうとうまんだら)も出品されていました。これは



最頂部の水煙(すいえん)から屋根、組物、初重の扉、基壇の欄干から階段にいたるまで、全て経文の文字を使って九重の宝塔を描いたもので、その意匠の細かさには度肝を抜かれます。

他には



金銅迦陵頻伽文華鬘(こんどうかりょうびんがもんけまん 平安時代・12世紀 
国宝)も展示されていました。華鬘とは仏殿の柱や梁を装飾するもので、金銅の薄板に唐草や天上世界にいるという人面鳥身の迦陵頻伽の優美な姿が切り出されています。

因みに、この華鬘の迦陵頻伽はかつて



120円切手のデザインになったこともあります。なので、特に切手蒐集家や昭和世代の方には見覚えがあるかも知れません。

展示スペースの最後には、1962年から行われた昭和の大修理に際して制作された実物の5分の1サイズの金色堂の模型が展示されていました。こちらは撮影OKとのことでしたので、


私も撮影してきました。



板葺の屋根にまで金が施された模型は実にきらびやかで、



隅々までいつまでも眺めていたくなります。屋根の後ろは



組物が見えるようになっていて、扉の中を覗くと



須弥壇の螺鈿細工まで精巧に再現されています。

私はかつて一度だけ中尊寺に行ったことがあるのですが、それはまだ幼稚園児の頃で記憶も朧げなものでした。今回こうして金色堂の仏像群を目の当たりにしたことで、改めて現地で拝観したい気持ちになりました。

この特別展は4月14日まで、東京国立博物館本館特別5室で開催されています。現地では絶対に観られない近さで仏像を観ることができる貴重な機会ですので、興味を惹かれた方は是非行ってみてください。

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本阿弥光悦の大宇宙@東京国立博物館

2024年03月02日 18時18分20秒 | アート
今日は、上野の東京国立博物館に行きました。こちらでは、現在



《本阿弥光悦の大宇宙》と題された特別展が開催されています。



戦乱の時代、刀剣三事〜磨蠣(まれい=刀を研ぐ)、浄拭(じょうしょく=ぬぐい清める)、鑑定〜を家職にする名門一族『本阿弥家』に生まれた本阿弥光悦(1558〜1637)は、書、漆芸、作陶、茶の湯など様々な芸術に関わり、革新的で傑出した品々を生み出し続けました。現代風に言うところのマルチクリエイターとして後代の日本文化に与えた影響も大きいのですが、今回の展覧会は光悦の広大過ぎる世界観に迫るものとなっています。

会場に入って先ず目に飛び込んでくるのは



『舟橋蒔絵硯箱』(国宝)です。

異様なまでに盛り上がった蓋に金蒔絵で四艘の小舟が描いた上に鉛の板を大胆に貼り付けて舟橋を表現し、銀細工で和歌の文字をあしらっています。実用的には不要とも思えるような蓋の形状に驚かされますが、こうしたところも光悦ならではの遊び心ということができます。

光悦は加賀前田家にも所縁の深い刀剣師でしたが、会場には



光悦が所持していたことが分かっている志津兼氏作の短刀『花形見』と、それを収めた鞘が展示されていました。茎に金で象嵌された『花形見』の文字は、光悦自身のものです。

本阿弥家は、熱心な法華信徒でもありました。そのことを表すものとして



『花唐草文螺鈿経箱』(重要文化財)が出品されていました。これは光悦の菩提寺、京都・本法寺に寄進した経典を収めるためのものです。

当時流行した朝鮮王朝時代の螺鈿表現の技法を用いていて、漆工品としては光悦と直接結びつけられる唯一のものです。漆地の上に輝く螺鈿の輝きは、何とも言えない美しさを放っています。

『南無妙法蓮華経』を保持する光悦にとって、蓮の花は特別なもののようでした。それを表したものとして



『蓮下絵百人一首和歌巻断簡』が展示されていました。

蓮の花を描いた上に、『光悦流』と呼ばれる独特の書体で百人一首の和歌が書かれています。元は長い巻物だったのですが、関東大震災で一部が焼損してしまったため、断簡にして掛け軸にしたもののひとつです。

能書(のうしょ)ともうたわれた光悦の書は、肥痩をきかせた筆線の抑揚と下絵に呼応した巧みな散らし書きで知られていますが、



『鶴下絵三十六歌仙和歌巻』(重要文化財)はその代表作です。これは『風神雷神図屏風』でも有名な俵屋宗達(1570〜1643)が波濤を越えて飛ぶ鶴の下絵を金銀泥で描いた料紙に光悦が三十六歌仙の和歌を書いた、長さ13m余もある和歌巻です。

宗達と光悦の合作には、他にも



『桜山吹図屏風』が出品されていました。こちらの屏風も宗達が絵を描き、光悦が色紙の枠に和歌をしたためています。

因みに、宗達の妻が光悦の縁戚だったようで、宗達と光悦は遠縁ながら親戚関係にあったようです。そんな二人が作り上げた一連の作品たちは、才能の相乗効果によって異なる時空を創造した場の空気をも写し込んでいるようです。

光悦は徳川家康から、京都北部の鷹峯の地を拝領しました。光悦はそこに住まうようになってから樂焼で知られる樂家と親しくなり、自らも数々の茶器を制作しました。

そのひとつが



『時雨』と銘打たれた黒樂茶碗です(重要文化財)。ろくろを使わず手捻りで作られた樂茶碗は口の厚みや全体のバランスがアシンメトリーになっていますが、それが絶妙な掌への収まり具合を演出していて実に面白い逸品となっています。

この特別展は今月10日まで、東京国立博物館平成館で開催されています。本当はもう一つの展覧会にも行ったのですが、長くなってしまうのでまた明日にさせてください(汗)。

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