共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はチャイコフスキー『1812年』の初演日〜フェドセーエフ指揮による覚悟の渾身ライブ

2023年08月20日 19時35分25秒 | 音楽
今日も神奈川県は、連日の猛暑日となりました。室内でも水分補給を怠ると、気分が悪くなってきます。

ところで、今日8月20日はチャイコフスキーの序曲《1812年》が初演された日です。

序曲《1812年》変ホ長調 作品49は、



ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)が1880年に作曲した演奏会用序曲です。タイトルの「1812年」は



ナポレオンのロシア遠征と敗走があった年で、それを記念したこの曲は、大序曲《1812年》、荘厳序曲《1812年》、または祝典序曲《1812年》などと呼ばれることもあります。

1880年5月末、チャイコフスキーは懇意にしていた楽譜出版社ユルゲンソーンから、翌年開催される産業博覧会のための序曲を書いてほしいと言う手紙を受け取りました。チャイコフスキーは一度はこの話を突っぱねますが、親友でもあった作曲家のニコライ・ルビンシテイン(1835〜1881)からの依頼もあって、その年の9月30日から11月7日にかけて作品を書き上げました。

もっとも、作曲の合間を縫って書いた手紙の中でチャイコフスキーはこの曲に対していろいろと不満を並べ立てていて、例えば活動資金のパトロンであるフォン・メック夫人には

「(序曲《1812年》は)凡庸なもの、あるいは騒々しいもの以外に何が書けるのでしょう?しかし、依頼を断る気にもならない」

と書き、弟アナトリーに対しても

「依頼が重荷になっているが、責任は果たさなければならない」

という趣旨の手紙を送っています。

こうして作品は完成したのですが、肝心の1881年に産業博覧会は開かれず、3月23日には依頼者であったニコライ・ルビンシテインが亡くなってしまったため、作品が日の目を見る機会はなかなか訪れませんでした。

結局、序曲《1812年》の初演は1882年の8月20日、建設中の救世主ハリストス大聖堂で開かれたモスクワ芸術産業博覧会が主催するコンサートでイッポリト・アリターニの指揮により行われました。《イタリア奇想曲》とともにプログラムに載ったこの新作は、当時の新聞批評では凡作だと片づけられてしまいました。

1880年とその前後の時期というと、チャイコフスキーの個人史の中ではバレエ《白鳥の湖》やオペラ《エフゲニー・オネーギン》といった大作の作曲のあとの「なかだるみの時期」に相当する時期でした。そのような時期に舞い込んできた頼まれ仕事だったこともあってお世辞にも精魂込めて作った作品とはいえなかったので、チャイコフスキーにしてみてもこの評価は容易に想像できていたようです。

転機となったのは1887年3月17日に行われたサンクトペテルブルクでの再演で、チャイコフスキー自身の指揮によるこの演奏はチャイコフスキー自身が

「完全な成功、大満足」

と日記に記すほどの成功を収めました。11月にモスクワでの再演と三度目の演奏がともにチャイコフスキーの指揮で行われたあと1888年に入って早々ヨーロッパ各地に演奏旅行に出かけ、ベルリンやプラハでの初演も自ら指揮しました。

正直言うと、精緻で繊細な作風が持ち味のチャイコフスキーの音楽としては、結構大味な感が否めない作品ではあります。それでも、歴史的事件を通俗的に描くという内容のわかりやすさによって、人々に大いに喜ばれる作品となったことには違いありません。

さて、今回ご紹介するのは1988年に大阪ザ・シンフォニーホールで行われたヴラディーミル・フェドセーエフとモスクワ放送交響楽団によるライブです。

1988年というとロシアがまだソヴィエト連邦だった頃ですが、ソ連時代には冒頭やクライマックスで流れるロシア帝国国歌が演奏禁止とされていたため、当時ソ連ではこの曲のロシア帝国国歌の部分がミハイル・グリンカ(1804〜1857)作曲の歌劇《イワン・スサーニン(皇帝に捧げし命)》の終曲に書き換えられた改竄版が演奏されていました。これについては編曲者の名前を取って「シェバリーン版」とも言われますが、この改竄はソ連国内では徹底されていて、ソ連で出版されていたチャイコフスキー全集の楽譜にもシェバリーン改竄版が載せられていたほどでした。

ペレストロイカを成し遂げたゴルバチョフ書記長の時代だったとはいえ、まだ旧ソ連体制の中で活動していたフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団は自国でのコンサートでは改竄版を使用していました。それでも、チャイコフスキーを心から愛していたフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団のメンバーたちが、ソ連国外での演奏とはいいながらオリジナル版での演奏にどのような心境で踏み切ったのか、それは彼らにしか分からないことです。

昨今では、サンプリングした本物の大砲の音や教会の鐘の音を使ってのド派手な演出の演奏や録音が主流になってきています。そうした演奏からすると、このライブにはそうした派手さはありません。

それでも、かなり低音の効いたバス・ドラムで大砲の音を表現したり、戦勝の祝福の鐘に



ロシア正教会ゆかりのロシアン・ベルが使われたりと、フェドセーエフのこだわりがひしひしと伝わってくる演奏です。これをライブで聴けた人たちは、きっと忘れられない体験となったことでしょう。

そんなわけで、序曲《1812年》の初演の日である今日は、1988年に大阪ザ・シンフォニーホールで行われたヴラディーミル・フェドセーエフ指揮によるモスクワ放送交響楽団のライブをお聴きいただきたいと思います。旧ソ連体制下にあって、なおチャイコフスキーの音楽を愛したフェドセーエフとオーケストラとの、渾身の覚悟の演奏をご堪能ください。



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