今日、高学年の支援級の担任が出張で一日いなかったので、私が彼らの面倒を見ることになりました。事前に用意されたプリントをこなしてしまえば、後は自由時間のように過ごすことができたので、普段できないような話をいろいろとしました。
その中で
「音楽室の絵ってバッハからしかないけど、バッハより前には音楽ってなかったの?」
と質問してきた子がいました。なので、
「そんなことはないよ。西洋でいきなりバッハが出てきたわけじゃなくて、そこに至るまでにいろいろな音楽のかたちがあったからね。」
と答えたところ、どうやらそうした古い音楽に興味をもってくれたようでした。
さりとて、古代ギリシャのネウマ譜音楽から話を始めるととんでもないことになるので(汗)、今日は盛期バロックを代表する作曲家のひとりである

ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(1644〜1704)の話をすることにしました。1685年生まれのバッハからすると、一世代先輩にあたる作曲家です。
ビーバーは1668年から1670年の間、チェコのクロムニェジーシュ城のヴァイオリニストを務めた後、ザルツブルクの宮廷楽団のヴァイオリニストとなり、1684年には同楽団の宮廷楽長となりました。ヴァイオリンの技巧に優れたビーバーのヴァイオリン作品には当時としてはかなり高度な技術を必要とするものも多く、代表作のひとつである《ロザリオのソナタ》では『スコルダトゥーラ』という、ヴァイオリンの調弦を変えて演奏する技巧を多用したことで知られています。
そんなビーバーの作品には、有名ではないものの聴いていて楽しくなるようなものが見受けられます。その中から、今日は子どもたちに《バッターリア》という曲を紹介しました。
《バッターリア(Battalia:戦争)》は、ビーバーが1673年に作曲した標題音楽です。文字通り戦争の様子を描写した曲ですが、作曲技法的にも演奏法的にもぶっ飛んだ作品です。
これから戦争が展開されるとは思えないような楽しいアンサンブルが始まると、何やらカチカチした音が聞こえてきますこれは楽弓の木の部分で弦を叩くコル・レーニョという技法で、ビーバーによると
「小さな短剣(アクセント ' )が音符の上に置かれているパッセージでは、ライフル銃の発砲を表わすために弓でヴァイオリンを叩かなければなりません」
と勧められています。
続く『ユーモア溢れる放縦な仲間たち(Die liederliche Gesellschaft von allerley Humor)』という楽章では、有名な8つの民謡が異なるてんでんばらばらの調性で演奏され、戦いの前の兵士たちがそれぞれの故郷の歌を好き勝手に歌っている様子を表現しています。ひとつひとつはきちんとしたメロディなのですが、それらが一切ハモらずに展開していくため終始不協和音のままなので、聴いた子どもたちは目が点になったあとで大笑いしていました。
その次の楽章では、ヴァイオリンが左手で最高音の開放弦を弾く音が入ります。これは剣と剣がぶつかり合う様子を表していますが、サラサーテの《ツィゴイネルワイゼン》で使われている超絶技巧と同じような技を350年も前に使っていることにビックリです。
続く『行進曲(Der Mars)』では、バス・ヴィオローネの上にソロヴァイオリンが笛を模したメロディを奏でます。バス・ヴィオローネの音がビリビリして聴こえるのですが、これは小太鼓の音を模すために弦と指板の間に紙切れを挟んで音を出すという、まるでジョン・ケージ(1912〜1992)が多用した、ピアノの中にネジや釘を並べて鳴らすプリペアド・ピアノの先駆けのような特殊奏法です。
その次の楽章では、またしても戦闘中とは思えないような楽しげなダンス音楽が展開されます。続く楽章では、戦闘の合間に戦士たちが眠っているかのような、束の間の穏やかな時間が流れていきます。
その次の楽章では再び戦闘が始まりますが、ここでは大砲の撃ち合いが繰り広げていきます。大砲の音は2台のバス・ヴィオローネのピチカートによって表されますが、聞いているとバチン!バチン!という荒々しい音がします。
通常のピチカートは弦を横方向に弾きますが、ここでは弦を指板と垂直に縦方向に引っ張って弾くことによって指板にバチン!という衝撃音をたてます。これはバルトーク・ベーラ(1881〜1945)が自身の作品中で好んで使った『バルトーク・ピチカート』という技法ですが、ビーバーはバルトークの技法を200年以上も前に先取りしていたのですから驚きです。
そして最後に、戦いの後の締め括りとして『傷ついた銃士への哀悼の歌(Lamento Verwundten Musquetirer)』が登場します。正に『兵どもが夢の跡』といった楽章で、何も生み出すことのない戦争の愚かさと虚しさを表すような消沈した音楽で終わっていきます。
実は、バロック音楽はかなり自由な音楽が多く、たとえば《四季》で有名なヴィヴァルディ(1678〜1741)の作品ですら斬新な技法が使われているものがあります。それがバッハの時代くらいから作曲技法についての法則性が確立されていったことによって、こうした特殊奏法は鳴りを潜めていくことになったといってもいいかも知れません。
子どもたちが学校で教わる音楽は、バッハ以降の系統だったものが中心となります。勿論それはそれでいいのですが、こうした楽しい音楽も聴かせてあげてもいいのにな…と、大笑いしながら聴いてくれた支援級の子どもたちを見ながら思ったのでした。
そんなわけで、今日はビーバーの《バッターリア》をお聴きいただきたいと思います。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者でもあるジョルディ・サヴァール監修による演奏で、20世紀音楽技法を先取りしたぶっ飛びバロック音楽をお楽しみください。