共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

絶句の惨状

2014年04月23日 12時00分21秒 | 日記
昨日、移転休業中の《Cafeあつめ木》のスタッフさんのmixiの書き込みを拝見して、今朝慌てて厚木市の鎮守社・厚木神社に参じました。先日の日曜日に厚木神社の神楽殿から出火して、周辺の住宅と隣接する人形店等、計4棟を全半焼するという大惨事があったのだそうです。

バスセンターから神社に向かう道すがら、神社に近づくにつれて風に乗ってどこからともなく焦げくさい臭いが漂ってきました。不安な気持ちを抱えたままで参じてみたら、境内には火元となって跡形もなく焼け落ちてしまった神楽殿の残骸がありました。本来はここに、結構な高床の神楽殿があったのですが、御覧のように今は見る影もありません。

神楽殿のすぐ傍にある大きなケヤキの木も、枝の半分以上の葉が焼けてチリチリになっていて、隣接する人形店には、画面の右端にちらっと写っていますが、焼け落ちた壁にブルーシートが懸かっています。神楽殿の真裏にあった民家も一部を残して殆どが焼け落ちていて、神楽殿横に倉庫として置かれていた2つの物置が熱でグニャグニャに変形してしまっている様子から、火災時の焔の烈しさを窺い知ることができます。

清掃に来ておられた氏子の方に伺ったところ「ほんの2ヵ月前に境内の電気設備の点検をしていて、その時に神楽殿のブレーカーも取り替えたばかりだから、漏電ということは考えられない。どうやらこれは付け火のようだ。」と仰っていました。

ここではかつて、摂社の厚木稲荷神社の軒先にある鈴の振り紐に火がつけられたことがありました。その時は紐と階の一部を焼いたものの、御社全体に燃え移ることはありませんでしたから安心していたのです。しかし、先の氏子の方は「よりによって、同じく放火の被害に遭った隣の座間市にある栗原神社の再建落慶式があった日に、今度はうちの神社の神楽殿が燃え落ちるなんて…」と肩を落とされていました。

ここでかつて例大祭の時に、相模里神楽垣内社中による《寿式三番叟》や《天之磐戸》の上演を観た時には大変感動したことを覚えています(2012年7月14日の過去ログを御覧下さい)。昨年はコンサートと重なってしまったので、今年はまた観られるか…と密かに楽しみにしていただけに、かなりショックでした。

一方「人的被害がなかったことだけが不幸中の幸いだった」とも仰っていました。それはそうです、いくら氏子の皆さん方には咎がないとは言え、これでもし近隣住民に犠牲者が出てしまっていたら、再建どころの話ではなかったでしょう。それに、類焼してしまったお宅には大変申し訳ありませんが、昨年修繕したばかりの神社拝殿や本殿や瑞垣に燃え移らなかったのも不幸中の幸いでした。

それでも、「事情はどうあれ、うちの神社が火元になってしまったからには、先ずは周辺住宅の再建が先」というのが、大方の氏子さん達の意思なのだそうです。これが世が世なら、何をおいても先ずは氏神様の御社の再建を…となったのでしょうが、さすがに平成の御代においてはそうもいかないようです。

ただ、「周辺の再建の目度がついたら、何年先になるかは分からないけれど、必ず神楽殿を再建する」という力強いお話も伺えましたし、それに向けての勧進事業の進め方等についても、瓦礫の撤去を終えて周辺の整理がついた後に氏子中で検討されるということでした。それが発表されたら、私も自分に出来る範囲のことをしようと思います。
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