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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はムソルグスキーの祥月命日〜晩年の名歌曲《蚤の歌》

2025年03月28日 17時00分17秒 | 音楽
未明から降り続いていた雨は昼前に上がり、陽が差してきました。気温もぐんぐんと上昇し、Tシャツだけでも十分に過ごせる一日となりました。

ところで、今日3月28日はムソルグスキーの祥月命日です。


イリヤ・レーピン『作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像』(トレチャコフ美術館所蔵、1881年)

モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー(1839〜1881)はロシアの作曲家で、『ロシア五人組』の中の一人です。

『ロシア五人組』とはミリイ・バラキレフを中心とした、19世紀後半のロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団のことをいいます。そのメンバーは

ミリイ・バラキレフ(1837〜1910)

ツェーザリ・キュイ(1835〜1918)

アレクサンドル・ボロディン(1833〜1887)

ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)

そしてムソルグスキーの五人です。

『五人組』の中でムソルグスキーはプロパガンダと民謡の伝統に忠実な姿勢をとり、ロシアの史実や現実生活を題材とした歌劇や諷刺歌曲を書きました。国民楽派の作曲家に分類されていて、歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》や管弦楽曲《禿山の一夜》、ピアノ組曲《展覧会の絵》などが知られています。

ムソルグスキーが唯一生前に完成させた歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》は批評家筋の受けが悪く、上演回数は十回程度でしかありませんでしたが聴衆には好評で、これによってムソルグスキーの活動は頂点を極めました。しかしこの頂点からの転落のきざしが次第に明らかとなり、ムソルグスキーは友人のもとから押し流され、アルコール依存症が関係する狂気も見受けられるようになりました。

さらに《展覧会の絵》の元になった友人の画家ヴィクトル・ハルトマン(ロシア語ではガルトマン、1834〜1873)が他界し、肉親や親しい友人たちも結婚などで次々とムソルグスキーの元を去って行きました。翌1874年、ムソルグスキー35歳の時にはピアノのための組曲《展覧会の絵》が作曲されました。

やがて著名人のサークルと交際を始めましたが酒量が抑えられず、身近な人の相次ぐ死はムソルグスキーに深い心痛をもたらしました。そんな中で、ムソルグスキーの最も力強い作品《死の歌と踊り》が作曲されました。

ムソルグスキーの窮乏を知った友人たちは、1880年に歌劇《ホヴァーンシチナ》や《ソロチンスクの定期市》を完成できるように寄付を集めようとしました。《ホヴァーンシチナ》はピアノ・スコアが2曲を除いて完成していて仕上げまでもう少しというところまで達していたのですが、残念ながら完成には至りませんでした。

ムソルグスキーは1881年初頭に、4度の心臓発作に見舞われました。ムソルグスキーが入院させられた状況は絶望的で、今日3月28日に42歳という若さで他界してしまいました。

そんなムソルグスキーの祥月命日である今日は、歌曲《蚤の歌》をご紹介しようと思います。

《蚤の歌》はムソルグスキーが1879年に作曲した歌曲で、正式な題名は《アウエルバッハの酒場でのメフィストフェレスの歌》といいます。元来はアルト歌手を想定して作曲された作品ですが、現在ではもっぱらバス歌手によって歌われています。

ムソルグスキーは1879年8月から11月にかけて、アルト歌手ダリヤ・ミハイロヴナ・レオノワ (1829〜1896)の伴奏者として南ロシアへ演奏旅行を行いましたが、レオノワの歌唱に刺激を受けたムソルグスキーが演奏旅行中、もしくはサンクトペテルブルクに戻ってまもなく《蚤の歌》を作曲しました。初演の正確な日時は不明ですが、1880年4月、5月の演奏会で、レオノワの独唱と作曲者のピアノ伴奏で演奏されたことが記録に残っています。

歌詞は



ある時一人の王様が住んでたとさ、
蚤も一緒に住んでたとさ、
蚤、蚤!

王様は兄弟よりも蚤を可愛がった、
蚤、ハハハ! 蚤? ハハハ! 蚤!

仕立屋を呼びつけ

「よく聞け、間抜けめ!大事な友人のためにビロードのカフタンを作れ!」

(カフタンはアラブ系の民族衣装で、基本の形状は長袖・袷仕立ての長い前開きのガウン。オスマン帝国の隆盛期には毛皮で裏打ちした豪華なものも。)

蚤にカフタン? ヘヘヘ!
蚤に? ヘヘヘ、
カフタン? ハハハ!
蚤にカフタン!

蚤は黄金とビロードの着物を着て、
宮中で全く自由に振舞った
ハハ! ハハハ! 蚤?
ハハハ! ハハハ! 蚤!

王様は蚤を大臣にし、
勲章までくれてやった
仲間の蚤もみんな召し抱えられた! ハハ!

王妃も女官も蚤に手が出せず
生きた心地もない ハハ!

蚤に触れることもできず、
潰すことなどとんでもない!

でも俺たちだったらすぐに潰してやる!
ハハハハハ! ハハハハハ!



という、何ともユーモラスなものです。当初はこの歌詞の歌を女性歌手に歌わせていたのですから、ムソルグスキーのセンスもなかなかです(笑)。

この詞は、ゲーテの『ファウスト』をアレクサンドル・ストルゴフシチコフ(1808〜1878)がロシア語に訳したものが使われてます。ただし、曲の随所に挿入された「ハハハ、ヘヘヘ」というメフィストフェレスの笑い声はムソルグスキーの発案によるもので、訳詞のロシア語のイントネーションを旋律に密接に関連させるなど、小品ながら完成度の高い作品に仕上がっています。

出版は作曲者の死後、リムスキー=コルサコフの校訂によって1883年ベッセル社から行われました。同社からは1914年に、ストラヴィンスキーのオーケストレーションによる管弦楽伴奏版も出版されています。

そんなわけで、今日はムソルグスキーの歌曲《蚤の歌》をお聴きいただきたいと思います。ミハイル・スヴェトロフのバス、パヴリーナ・ドコヴスカのピアノで、ムソルグスキー晩年の名(迷?)歌曲をお楽しみください。



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