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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

ベルリンの壁崩壊の日から35年〜バレンボイムによる《第九》

2024年11月10日 17時25分50秒 | 音楽
昨日に引き続き、今日も朝から冷えこむ一日となりました。夏の半袖は、いよいよお役御免となりそうです。

ところで、今日11月10日はドイツのベルリンの壁が崩壊した日です。今年は壁崩壊から35年目という、節目の年となります。

1961年8月13日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国境警備隊がベルリンの舗装道路を壊して石でバリケードを作り、町を横切る有刺鉄線を張りました。そして西ベルリンの周りを取り囲むように、人が乗り越えることのできない3メートルもの高さの壁を作りました。

かつて旧東ドイツからは毎日2000人程度の国民が国を去っていて、政府高官たちは自国の存在が脅かされていると感じていました。これは1949年に東ドイツが建国されてからずっと続いており、全体では約200万人にものぼっていました。

東ドイツ政府高官は、

「国民が国を去るようでは社会主義国家は作れない」

と考えました。そして国民が自主的に国に残らないのであれば、壁を作って強制的に留まるようにしなければならないと考えたのです。

ベルリンの壁を作る計画は、東ドイツ政府の国家機密でした。旧東ドイツ社会主義統一党(SED)幹部の命令を受けて、人民警察官と国家人民軍兵士の監視の下、土木工事作業員によって作られました。

こうして、ベルリンの壁が一方的に建造され、ベルリンの西側部分は東ドイツと東ベルリンから分離されました。西側の人々を入国させないためではなく、東ドイツの人々が逃げられないようにするためにベルリンの壁が作られたのです。

そんなベルリンの壁の崩壊を招いたのは、実は旧東ドイツ政府高官の『失言』が原因でした。

1989年11月9日、



社会主義統一党中央委員会のギュンター・シャボウスキー(1929〜2015)政治局員は記者会見の際、さして重要でもない様子で

「ドイツ民主共和国は、ただちに出入国を自由化する」

と述べました。すると、その様子を放送で知った数千人の東ドイツ市民が、すぐさま国境検問所に押し寄せたのです。

それまでベルリンの壁は、『東西冷戦』『越えられない物』『変えられない物』の象徴でした。それが数時間後の11月10日未明になると、どこからともなくハンマーやつるはし、ショベルカーが持ち出され、ベルリン市民はそれらで自主的に壁の破壊を始めたのです。

壁の破壊は部分的ではあったものの、秩序だったものではなく方々で勝手に行われていきました。こうして、1961年8月13日に建設が始まったベルリンの壁は、一部ではあるものの、建設開始から28年後の1989年11月10日についに破壊されたのでした。

元々ベルリンの壁は東ドイツ側によって建設された東ドイツ側の『所有物』であり、東側からは壁を壊す許可は一切出されていませんでした(むしろ11日には倒された壁を元の通り立て戻す作業を国境警備隊が行っていました)。しかし、数日後からは東ドイツ側によって重機などを用いて正式に壁の撤去作業が始まり、東西通行の自由の便宜が計られるようになりましたが、速やかに全て撤去されたわけではなく、正式に解体作業が始まったのは翌年1990年6月13日からのことでした。

そしてこの年の暮れに、壁崩壊を記念したコンサートが開かれました。これはベルリンの壁が崩壊した直後の1989年12月25日に、旧東ベルリンのシャウシュピールハウスで行われた歴史的なコンサートでした。

指揮は、この4ヶ月前に他界した『帝王』ヘルベルト・フォン・カラヤンに代わって、



レナード・バーンスタイン(1918〜1990)が務めました。演奏は、管弦楽がバイエルン放送交響楽団、ドレスデン国立管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロンドン交響楽団、レニングラード・キーロフ歌劇場管弦楽団、パリ管弦楽団という、東西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連(当時)の6ヶ国からなる混成オーケストラを臨時編成したものでした。

ソリストは、ジューン・アンダーソン(ソプラノ)、サラ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)、クラウス・ケーニヒ(テノール)、ヤン・ヘンドリク・ロータリング(バス)が務め、合唱はバイエルン放送合唱団、ベルリン放送合唱団、ドレスデン・フィルハーモニー児童合唱団で結成された特別なものでした。そして第4楽章では、通常では「フロイデ(Freude)=歓喜」と歌われるところを、「フライハイト(Freiheit)=自由」に変更して歌われました。

このコンサートはライブ録音され、CDも発売されました。中には『ベルリンの壁の欠片』付きのプレミアCDもあり、当時大いに話題になったものです。

そのコンサートの動画は貼れませんでしたので、今日はベルリンの壁崩壊25周年記念コンサートから、ダニエル・バレンボイム指揮、ベルリン・シュターツカペレによる演奏によるベートーヴェンの《交響曲第9番ニ短調》の抜粋動画を御覧いただきたいと思います。壁崩壊から四半世紀となる2014年11月9日に、記念行事として行われたものです。

この時、かつてのベルリンの壁沿いの一部に灯りを点けた白い風船を配置し、夜に一斉に空へと風船を飛ばす『リヒトグレンツェ(光の境界 Lichtgrenze)』というイベントが行われました。その様子も、演奏と合わせてお楽しみください。





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