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DXの地から届いた切手 Svalbard(6)

2019年01月22日 00時00分17秒 | DX stamp

JW - Svalbard

ノルウェー領の島なので切手は、NORGE(英語ではNorway)と共通であるが

消印に中心都市のLONGYEARBYENがしっかり押されていたのでJWからだと判った。

ノルウェーはスカンジナビア半島西岸の他に、JX(Jan Mayen)、JW(Svalbard)、南氷洋の3Y(Bouvet)を

領土に持っており、ノルウェー自身は3Y/P(Peter1)の領有も主張しているが南極条約から認められていない。


 そんな領土の一つであるSvalbardであるが、ヴァイキングの古文書にはそれらしい情報が見られるものの

歴史に明確に出てくるのは16世紀頃、欧州各国の捕鯨隊が寄る捕鯨基地として活用される。当時はどの国の領有か

曖昧だったようだが、19世紀末から20世紀にかけて資源採掘(石炭)のために各国が人をこの地に送り込む。

そこで1920年にパリ会議の席でスヴァールバル条約が締結され、ノルウェーの領有権は認めるが、条約加盟国すべては

ノルウェーの法律に従うことなく独自にこの地で経済活動ができる、と言うものである。ちなみに我が国は1920年からの原加盟国である。

無線の上では本国の人が島から運用するケースが度々あるので左程珍しくは無いが

極地からの運用であるので、年がら年中と言うわけにはいかない。


 この地には、Svalbard Global Seed Vault(スヴァールバル世界種子貯蔵庫)と言う施設が出来ている。

いわゆるノアの箱舟で、世界の終末の日に備えた種子の貯蔵庫、なのだそうだ。資金協力者はあのビルゲイツだ。

Exploring the Arctic's Global Seed Vault


450万種類の種子を1品種当たり500粒保存し、ただ保存するだけでなくちゃんと種子を定期的に入れ替えて

保存している様だ。

なお、この施設には、故)田辺光彰氏の野生稲モニュメント作品が貯蔵庫VIPルーム壁面に飾られているとのことだ。


 そんなSvalbard、2015年にロシアの後押しを得て新たにスヴァールヴァル条約に加わった加盟国がある。

P5 北朝鮮である。

アンダーグラウンドのゴシップ記事しか無いが、噂では万一の際の亡命先としてこの地が選ばれているとのこと。

国家元首も植物の種子もみんなが一緒に乗るノアの箱舟

Svalbardは、そんな地になりかねない。

露欧米(加)の三地域からほぼ同距離に位置するSvalbard

地の利を活かした活用方法は無いものだろうか。

DXの地から届いた切手 Venezuela(5)

2019年01月18日 00時02分43秒 | DX stamp

YV - 南米Venezuelaの切手

正式国家名称は、ベネズエラ・ボリバル共和国である。

ボリバルは南米の英雄シモン・ボリバル由来の名前だ。ベネズエラは諸説あるがスペイン語の”小ベネチア”が由来の説が有力らしい。

数年前まではベネズエラと言えば、石油とEl Sistema(音楽教育プログラム)が印象強かった。

最近だとラミレス監督の母国といった印象だろうか。


 世界最大級の原油埋蔵量を誇り、20世紀の時代は南米では最も裕福な国であった反面、貧富の差は激しく、その当時の活動として

「ストリートチルドレンにも無償で音楽の教育を」とエルシステマ(El Sistema)が始まった。

もっとも有名なのはドゥダメル指揮するシモンボリバルユースオーケストラだろう。日本にも講演に来た。

ベネズエラの奇跡:エル・システマ EL SISTEMA 2015


彼らの底抜けに明るく、どこか寂しげで、でも力強い、そんな音は何度聞いても元気が出る。

そのベネズエラ、現在は壊滅的な国家経済破綻の状況である。

南米の優等生は、今はシリアと並ぶ大量の難民を発生させて人口が急激に減っている国の一つである。


 連日報道されている通りベネズエラの経済破綻は超ド級で、極悪なハイパーインフレが続いている。

100円の物を買うのに1千万円くらいの紙幣が必要で、5桁のデノミを実施したが焼け石に水、もはや流通通貨ボリバルは信頼ゼロ。

社会主義化に舵を切られた経済界にはこの局面を打開する体力も意欲もなく、政治家だけがもはや自己満足と言われてもしょうがないレベルの対応だ。

周辺のコロンビア、ペルー、エクアドル、ブラジルへ数百万人単位でベネズエラから国外脱出する難民が押し寄せており

欧州で起こった中東難民に関する課題がここ南米でも起こりはじめている。


 隙に乗じてロシアはベネズエラへ戦略爆撃機を派遣して米国を挑発し、米国は国境壁ですったもんだしているが

相変わらずこの地域は社会主義化するエリアと米国の戦いが続いている。これに乗じた中国からの融資も急速に増加している。

米中ロの介入が進めば進むほど事態は複雑化し解決への道筋は見えなくなる。

政治が弱体化すれば軍部が台頭してくるのは万国共通、そもそもベネズエラ転落は軍人が大統領になったのがトリガだ。

不謹慎な話ではあるが、ベネズエラ領のアベス(YV0)が自分にとっての残り3つの1つなのだが、この事態から見て

おそらくアベスからの運用は当分無いだろうと考えている。むしろハリケーンか地殻変動で島自体が無くなってしまう方が早いのかもしれない。

ひょっとすると東シナ海の様に島の一つくらい作ってしまうのかもしれない。


 新たな時代を開拓できるのはシモンボリバルに傾倒する昔ながらのおらが村の武闘派英雄ではなく

世界に通じる価値観を表現できるEl Sistemaの様な活動家なのかもしれない。

今を生きているベネズエラ人のラミレス監督の活躍を見ていると、そう感じる。

DXの地から届いた切手 St. Kitts & Nevis(4)

2019年01月15日 00時00分45秒 | DX stamp

V4 - St. Kitts & Nevisの切手

正式な国名はFederation of Saint Christopher and Nevis

前回のSt.Helena同様に、ここも英連邦王国の一部で、議会を持つ立憲国家だ。

切手の消印には、ST CHRISTOPHERとNEVISの文字があり、さすがのロイヤルメール地域で郵便事情は悪くない。


 国名の通り、二つの島から構成されるカリブ海の国家で、クリストファー・コロンブス一行が1493年に

2度目の航海でこの島はじめカリブ海に再来したのを機に西洋の歴史上に登場してくる。

大きいほうの島がセントクリストファー島、小さいほうはネイビス島、両島の間はたったの3kmである。

前者は発見者コロンブスの名前に、後者はスペイン語の雪(Nieve)に因んでいるそうだ。


 コロンブス一行のカリブ海での非人道的な悪行三昧については、ここでは割愛するとして

ヨーロッパ人によって、1492年から1496年のわずか数年の間に800万人いたインディアンの3分の2が殺戮され

アフリカから奴隷として大量の入植を行い、破壊し尽くした後の1600年代になって弱体化するスペインに代わり

イギリスとフランスによる分割統治が始まり、1713年のスペイン継承戦争の講和条約であるユトレヒト条約によって

Saint Christopher and Nevisはイギリスの領地となる(ちなみにジブラルタルもこの条約でイギリスとなった)。

これをトリガにイギリスは、セントクリストファー島(V4)、ネイビス島(V4)、アンギラ島(VP2E)

ヴァージン諸島の一部(VP2V)、アンティグア島(V2)、モントセラト(VP2M)をカリブ海の領土として得て、現在に至っている。


 こうした歴史のため、現在のV4の人の大半は奴隷の末裔のアフリカの人達で、元祖カリビアンではない。

今はアメリカ資本の電気機械の工場や観光が主な産業らしい。切手にあるパイナップルもきっと美味しいんだろう。

近年だと、1998年にネイビス島の分離独立の是非に関する国民投票が実施され、僅差で分離独立とはならなかったそうだ。

分離していたら新たなエンティティが誕生していたところで、不勉強な自分などはこういった国の人達が独立を

欲する気持ちが根源的には判らないのであるが、歴史を知ると、普通では想像できないほど酷い経緯があったのだ。

カリブの各島と部族を西欧の都合で割り振ったために小さな独立国家がカリブ海には溢れ残っている。

遠い先にこの地が再編されることは十分にあり得ることだ。

DXの地から届いた切手 St.Helena(3)

2019年01月12日 00時04分18秒 | DX stamp

ZD7 - St.Helenaの切手。

中心集落のJamestownの消印が押されている。

ここはイギリスの海外領土の中でも、住民による立法議会があって本国任命の総督が長となる種類の領土。

ZD7(St.Helena)、ZD8(Ascension)、ZD9(Tristan da Cunha)この3つがまとまった区域単位でJamestownがその首府だ。

切手にはイギリス女王エリザベス2世と夫のエディンバラ公フィリップ王配の写真

切手の発行は2011年となっているが写真はもっと若い頃のものだ。


フランスのナポレオンが島流しにされたことで有名な島だが、ここを訪れた日本人として記録に残っているのは

1584年に天正遣欧少年使節が訪れたのが最初の様だ。

この使節団、北九州のキリシタン大名大友宗麟らが名代を派遣したもので4名の10代の九州男児が加わった。

彼らは1582年に長崎を出て、中国、インド、ケープタウン経由して1584年にSt.Helenaに立ち寄り

同年CT-Portugalに到着。EA-Spain、I-Italyを転々とし、1590年に長崎へ帰国。

多くの情報を日本へ持ち帰っているが、最も有名なのは彼らが持ち帰ったグーテンベルク印刷機で

欧州から遅れること約100年、ようやく日本にも印刷機が伝来した。


その後ナポレオンやら南アフリカ戦争やら世界大戦やら、様々な歴史の荒波に晒されながらも

この島への移動手段は船のみだった。

このQSLカードもZSからZD7へ出ているロイヤルメール定期便船経由だ。

それがようやく一昨年、2017年10月に民間定期航空便が就航した。

450年ほど前に2年かけて移動したSt.Helenaへも、これで数日で行けるようになったわけだが

450年ほど前に伝来した印刷技術は、既にQSLカード電子化の時代を迎えている。

DXの地から届いた切手 Syria(2)

2019年01月08日 00時00分15秒 | DX stamp

YK-SYRIAの切手。

先代のハオフィズ・アル・アサド大統領(故人)の肖像切手と

1963年のクーデター(3月8日革命)の40周年記念の切手が貼られている。

シリアとの交信数はさほど多くなく、大抵はQSLマネージャーがいるので現地から返信が来ることは無いが

唯一、YK1AM - Hikmatに直接送って返信があったのがこれだ。

2003年の6月の早朝に20mSSBとログにある。

当時は、FT-1000MPベアフットに5SDXだった頃だ。

前後のログを見ると、朝から晩まで中近東やらアフリカやらベアフットの割に出来ていた様だ。


自分にHikmatから返信があった頃のシリアは、アサドの息子が大統領に就任して数年たった頃で

アラブの春よりも、泥沼化する内戦よりも、その先のイスラム国の台頭よりも、ずっとずっと前だ。

まだこの当時はGS入れた郵便がちゃんと届いて返信も来た。

その後著しく状況は悪化し、米国とロシアが介入しだすともう訳が分からなくなり

隙間を狙うかのようにイスラム国が急激に台頭し、ダマスカスで化学兵器が使われ、大量の難民を生み

いよいよ絶望的な国情になっている。

歴史の話ではなく、今現実に世界で起こっていることだ。

外国軍人による運用でなく、地元の運用がされてシリアの電波が良く聞こえるようになる日は来るのか。

また手紙が無事に届く日は来るんだろうか。

DXの地から届いた切手 Japan(1)

2019年01月06日 00時41分58秒 | DX stamp

年末年始は部屋の掃除を少しづつ手掛けているが、段ボール箱一杯になりつつあった

ダイレクト便の封筒の山が、邪魔になりつつある。

内訳は、約半分が自分が海外遠征した時の請求便で、残り半分が自分が出したSASEやSAEの返信だ。

もう最近はOQRSするか請求しないで放置するかが殆どなので昔の様にせっせとSAEを作ることは無くなった。

お陰で、SAE用の封筒、大量の1ドル紙幣、USPSで調達したUSAの切手、PAR AVIONの青シール等々の

必須グッズシリーズも埃をかぶったままだ。

で、邪魔なので届いた使用済みの空封筒は捨ててしまおうかと思ったのだが

ふと数枚見ていたら意外と珍しい国の切手がチラホラあったので捨てる前にもう一度見ておこうと

1月5日の夕方から整理を始めた。

すると予想外に面白い作業だった。

英語表記で国名が書かれていればすぐ判別できるが、SRBIJAだとすぐにセルビアと判らなかったり

SVERIGEだとすぐにスウェーデンと判らなかったり

その程度ならさておき、UKの切手の消印の地名からGなのかGWなのかGMなのか判別しようとすると

なかなか根気のいる作業だが、面白い。

ざっと見て数えたところ使用済み切手でDXCCは完成していそうなので順々に記事にすることにした。

カテゴリーも新設し「DX stamp」とする。


取り急ぎ、トップバッターNo.1は我が国日本だ。

貰ったQSL請求のダイレクト便では日本からが圧倒的に一番多い。

郵便の確実性に関してはおそらく世界一であろう。

我が国の感覚で外国の郵便を考えてしまうと、我が国が極めて特異であることに気づく。

昔のQSLカード入手には各局の知恵と工夫が凝縮されていた。