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河鍋暁斎 その手に描けぬものなし at サントリー美術館

2019年03月20日 | アート・文化
河鍋暁斎(かわなべきょうさい・1831~89)
7歳で浮世絵師・歌川国芳のもとで絵を学び始めます。
その後、狩野派の絵師、前村洞和に再入門。暁斎の画に関する執念から、洞和は「画鬼」と呼んで可愛がります。


独立後は「狂斎」と号し、色んなジャンルの絵を描きます。
子孫のよると、「食べるために何でも描いた」そうです。
その頃、土佐派、琳派、四条派、浮世絵など日本古来の画流もマスターします。
暁斎のバリエーションに富む作画方法はこの為ですね。正にに「画鬼」絵師一筋。

明治3年40歳のとき、上野不忍池の長酡亭における書画会において新政府の役人を批判する戯画を描き、政治批判をしたとして投獄。翌年に放免、後は「暁斎」を名乗ります。

お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが暁斎の弟子であったのは有名。コンドルの手を取りながら逝去するほど信頼が厚かった。


暁斎は亡くなる1か月前まで絵日記をつけていました。コンドルは初期の頃、正座が出来ず、腹這いになって絵を書いています。


ジョサイア・コンドルが河鍋暁斎についての本を本国イギリスで出版します。その中で、口伝であった日本画の技法を初めて文章化した(しかも英語)と言う部分に興味を惹かれました。


明治6年ウィーン万国博覧会に出品。以後ヨーロッパでも人気となります。

暁斎の個展はここ数年、続いていますが、今回の展覧会は暁斎を客観的に評価している点で良い展示だと思います。それは狩野派との繋がりを説明していたからです。
暁斎の絵と武士が好む狩野派がどう繋がっているのか?疑問の部分がありましたので。



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