ひとにはそれぞれたくさんの想い出があって
こころのなかに
どこまでも広がる自分だけの風景をもっている。。。
母の遺した古いアルバムを入れたダンボール箱を久しぶりに開いた。
子どもの頃から
古い写真を観るのがすきで
母のそばで古いアルバムを広げては
このひとはだれ?これお母ちゃん何才?ここどこ?
と母をよく質問攻めにしたものだ。
写真を一緒にみながら、
母がしてくれる昔の話に聴き入ることもとてもすきだった。
幼い母や、親戚のオトナたちの青年時代を写真の中にみるフシギ。
母も子どもだった・・・というフシギ。
だいすきだった伯母の若き新婚時代もそのままそこにある。
想像を膨らませて
ひとりで時空を行き来することがすきな子どもだったみたい。
大人になってからも
時折、古いアルバムを引っ張り出しては
母に「またみてるわ~」と笑われたものだ。
母が逝ってしまってからもう10年・・・。
この10年ほど、早かったことはない。
68年の母の人生が
ぎっしり濃縮されて綴じられているアルバムは
わたしには眩しすぎて開くことができなかった。
十年前にダンボール箱の中に
アルバムと一緒に仕舞い込んだものの中に
鳥取砂丘の絵葉書セットを見つけた。
観光客向けの紙製のケース入りの土産物だ。
鳥取に生まれ育った母がなぜ絵葉書セットをわざわざ購入したのだろう。
開いてみると。。。
懐かしい母の文字。S48.8.7という日付。
郷愁を綴った短い文章も。
わたしは7歳、大阪で暮らしていたころだ。
毎年わたしたち子どもを連れて帰省していた夏休み。
そんな日々に、母が自分自身のために買ったささやかな想い出の欠片。
砂丘から眺める、海に落ちる夕陽のうつくしさを
話してくれたことがそう言えば度々あった。
心根のきれいな女性だった母。
母のこころの中には
いつでも
遠き夏の日の、砂丘の日の入りのうつくしい風景が広がっていたのかもしれないなあ。。。