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たいせつなもの。すきなこと。

我が家にやってきた祖父の馬

2012-05-14 | essay

               

父は時代に翻弄された、たいへん複雑な生い立ちを持つ。
わたしたち姉弟は父方の父系の親類とはほとんど面識のないまま育ってきたのだが・・・。

自分のルーツにはとても興味のあるわたし。
何年も前から、何にも残してくれなくていいから、人生の集大成として、
わたしたち子孫に真実を伝えるために自分史を書くよう、父に勧めてきた。

近頃また病気をして少々気弱になってきた父。
先日、一年ぶりに大阪から上京してきた父は、やっと自分史を書き始め、中学時代まで進んだ、と報告してくれた。
今では書くのが楽しくなってきた とも。 ほらね。 きっと父のためにもいいと思ったんだヨ。

そして、唯一今でも親交のある父系の長老、93歳の大伯母を父と姉とともに訪ねることに。

父は鳥取出身だけれど、生家はもう今はなく、親類のほとんどが関東に散らばっている。
父の伯母、(わたしの大伯母)は、うちから小一時間ほどの世田谷区在住なのに、今まで訪問する機会はなかった。
大伯母とは結婚式などで数度会っているけれど、大伯母の家族、父の従兄弟たちとは初対面だ。

父の父系の祖先は、とある蘭学者。
父だけは、あのようにアウトローな人生を送る自由人だが、(学生時代はバイオの研究者だったらしいけれど・・・)
父の従兄弟たち、そしてその子どもたちの学歴・経歴には目を見張るほど。同じDNAを持つとは思えないほど異次元の別世界だ。

な~んでわたしたちはこうもフツーなのか?? やはり環境の影響は大、だな。

祖父は、父が3歳のころにハルビンで病死している。まだ戦前のハナシ。
この度、わたしの家にやってきたブロンズの馬の像。。。。
この馬は、祖父が満州鉄道に於けるロシアとの協定交渉にロシア語の通訳として参加した際、記念に贈られたものだという。

祖父の妹にあたる大伯母が兄の形見としてずっと大切に保管してくれていたのだそうだ。
「やっと持つべきひとの手に渡ったねえ」と、馬を磨いて包んでくださりながら 父の従兄弟が言う・・・。

そうかあ・・・。
この馬の存在は全然知らなかったのに、なぜか昔から「馬」と「ロシア」には知らずに惹かれるところがあったんだよね。ほんと。
祖母が昔、ロシア語の手遊び歌を唄って遊んでくれていたっけなあ・・・なんてことも懐かしく思い出しちゃった。

やっと繋がりました。
今まで、祖父の手に触れたものが何一つなかった我が家にやってきた祖父の形見。祖父のロシアの馬。

モノに固執しない姉も弟も口を揃えてわたしが持つべきだと言うし、我が家でたいせつに後世に残していきましょう。
  (ムスメは、これを見るなり、「リカちゃんに使える!」と喜んでおりましたがっ。)
それにしても、台座の木も結構デッカイし、さて、どこに置きましょう~?

そして、93歳の大伯母。「アラ、わたし、120歳くらいまでは生きるわよ」と、たいへんお元気。
「わたしたち、せっかくがんばれるDNAをもらったんだから、がんばりましょうね!!」と肩をたたいてくれた大伯母さん。

元気の源は、祖先を敬うココロにあり、と見た!
お馬さんとともにパワーを貰って帰りました。

 



 


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