【 rare metal 】

此処 【 rare metal 】の物語や私的お喋りの全部がね、作者の勝手な妄想ですよ。誤解が御座いませんように。

白系露西亜人 

2008年08月03日 02時22分17秒 | トカレフ 2 



満州歴 康徳12年7月
大和歴 昭和20年7月

世界は 1945年7月 
   



白系露西亜人 (狼狩りの名人:教授)


「悟られないように物見に出かける際には、賢い狼を狩るときのように相手に感づかれたらいけません。
 あんがい生き物の何かを感じる感覚は、あんたらが想う以上に鋭いもんですよ。人も同じですからね。」


っと、もうすぐ大陸独特の蒸せる夏が来ようかとする時期に、帝政露西亜時代の肩章が剥ぎ取られた
着古した冬季用将校服と革長靴で身を固めた、老いた白系露西亜人の狩人が物静かに喋りだします。
その語り慣れた口調、懐かしくて深く頭を垂れ聞き入ると、随分昔な感じで想い出す、
今のヤサグレタ生活なんか想いもつかなかった頃の、某学び舎で外国人教授の講義を聴いているようだった。

露西亜人の老いた狩人は話を中断し、肩から襷に提げた長年月風雨に晒され、
元の茶色な革染料の色も判りにくいほど褪せ落ちた古革の鞄から、
凝った繊細な彫り物が施された海泡石のパイプを取り出した。

其れは長年月、老狩人が愛用し、程よく煙草の脂(ヤニ)と手脂が染み込んで、綺麗な飴色艶をしていた。
パイプを掌の中で弄びながら、もう片方の手で上着の懐から煙草の葉とパイプ用燐寸が入った、
此れも元は綺麗な金糸で刺繍がされ、今は金糸も抜け落ちて襤褸に近い布袋を取り出す。
狩人、此方にと向けた視線を逸らすことなく、傍らに置いた袋を一度も見もしないで、
中から煙草の葉を三つ指で摘まみパイプの火皿に詰め始め、
指先の感覚だけで煙草の葉ッパを火皿の奥にと、程よい硬さになるようにと押し込んだ。

燐寸の軸が普通の燐寸よりも長いパイプ用燐寸で、煙草の葉全体に火が回るよう時間をかけ、
露西亜人特有の高い鼻梁の鼻と、パイプを銜えた唇の隙間から幾度も紫煙を吹かし火を点ける時、
狩人の鋭い眼差しは、少しの揺るぎもなく此方の目の奥を覗くような感じで、だった。
此方は、恐ろしい感じで迫る鋭い視線を外したいのを我慢し、負けじと瞬きもせず逸らさないで受け止める。
あぁ、自分は今、此の方に試されてるッ! だから外せなかった。 心して受け止め続けた。

紫煙が夕方近く吹き出す風に乗り、此方にと棚引いてきたとき煙の臭いは、パイプ専用煙草の芳しい香りじゃぁなかった。
自分らが手巻きでよく吸う、支那煙草のイガラッポイ匂いに近い香りがした。
此のご時世、本物のパイプ煙草には滅多とお目に掛かれなかったので、支那煙草で間に合わせているのだろう。

先に視線を外したのは、狩人だった。
皺深い顔が横を向きながら、薄く開けた唇から青い煙を吐き出し二度頷いた。
再び講釈が始まった。 口調は、先ほどまでの説教紛いの調子がなくなっていた。
自分には、地味深い親しみが籠っているように感じられ、心の中で感謝の念が湧いてきていた。
此の方は自分が内地に居たとき、若さゆえに他に目もくれず学んでいた某学び舎の、
あの尊敬していた異国の教授と同じ種類の方なんだと。
自分の胸内の感謝の念は、喜びの感覚に変わり始めてくる。


斥候兵は、ケッシテ音も立てずにと静かにし、生き物に為る事を拒みなさい。
其処に生えてる草木や、獣道があれば其の獣道と同じ気持ちになりなさい。
四つ脚の獣のようにと歩けば、直ぐに見つかりあなたは狩られますからね。
用心しなさいよ。

ぇッ、じゃぁどんな風にって? フムッ だからね、地面を這うんですよ。

地面に張り付く苔のようになりながら、喰おうとする獲物に忍び寄る蛇のように音ナク進むんですよ。
其の時に肝心なのは、時間なんか気になさらない方がいいかな。
気持が逸ってしまい焦りますからね。 
意識の持ちようなんですよ。
焦る心は観えるものが視えなくなり危険だよ、命取りだね。

目指す目的地にアナタ方が辿り着いたらね、息もしないで無口にお為りなさい。
喋るのなら、其処の風よりも静かにして話しなさい。
あなたが、そぉぅッと囁やくように呟いてもね、アンガイ遠くまでと渡ります。
其れを人の耳の鼓膜は、自然が発てる音と人がなす音とにですよ、ケッコウ聞き分けられます。

極意? そんなものはありゃぁせん。ほぉっほっほっほほぉぅ

老人が唇を窄めて笑うと、窄めた唇から支那煙草の小さな煙の輪が連続して生まれた。

いゃッ 笑ろぉてごめんなさいな、そぉだなぁ、ぅ~んぅ。
あるとするなら、最後の最後まで、誰にも見つからないことなんだよ。
戻ってきても、あなたが何処かに往っていたなんて、マッタク想われないことかなぁ。

其処に居たと悟られないで、誰にも感づかれずに見られたと思われない。
要するに、誰にも判らずに黙ったまま盗んで必ず戻ってくるんです。
自分が眺めて見届けたものをね、全部盗んで必ず帰ってくるんだよ。
 
だからね、あなたはね、人じゃぁなくなるんですよ。ただの写真機か映写機にね、おなりなさい。
ご自分のふたつの眼で観たものを、ケッシテ絵に描こうなんて想わないことだよ。

タァネェ(大姐) アンタには息子たちが世話になってる。だから儂が行ければいぃんだろうけどなぁ。
今はもぅ、時期がわるい。皆にはすまんことよ。
向こう(国境の北側)じゃぁ、儂も散々悪さをしすぎて今度見つかれば此れもんだろうから、チト具合がわるい。
それになぁ、ダイタイ儂の躯がもぉぅ、満足にゆうことを聞いてくれんようになった。

っと、誇り高き老いた狩人は、陽に焼け筋張った首筋を、大きく無骨な手指を揃えた手刀で、
ボンの窪み辺りを後ろから切る真似をして、仄かに笑いながら喋っていた。

少し前屈みで和式の床几の端っこに腰かけ其の傍らには、口径が今まで観たこともない大きさで、
銃身が丸棒じゃぁなく八角柱のような、よく手入れされた古い狩猟用の銃が置かれていた。
其の銃身は普通の銃よりもヤケニ長く、銃床や機関部等の銃の操作に邪魔にならない要所には、
赤や青色など奇麗に輝く宝石が埋め込まれ、露西亜皇帝の紋章、双頭鷲が彫り込まれた装飾が施されている。
だけど何箇所かは宝石が無くなり、石が嵌め込まれていた浅い穴が穿たれていた。


「此れが国境から、向こうまでの絵(地図)じゃよ。」

別れ際に教授、済まなさそうな顔をしながらだった。

「それじゃぁ、お気をつけて、おやりなさい。」 ット、老獪そうな雇われ狼狩の猟師が言いました。

「じぃさん、もぅ此の土地には戻らんのか?」 仲間の一人が歩き始めた狩人教授の背中に訊いた。

「そぉさなぁ、時期が悪いのはアンタらも承知しておるんだろぉ、違うか?」 歩みを緩めないで背中をむけたまま言う。

「此の国の雲行きは、昔から悪かったさッ!」 


沈む夕陽を背に猟師は立ち止まる。振り返った。


「タアネェ アンタは賢い、お互いに身の振り方には気をつけねばな 」

「お達者で、ジィ様 」

「息子たちを頼むよ、タァネェ ッ!」


立ち去る後姿は可也な歳とは思えぬシッカリとした足取りで、背中には銃身が馬上槍のように長い、
古式な猟銃を袈裟懸けに背負い、手には後ろから着いてゆく驢馬の轡の革紐を巻きつけていた。

暫く先ほど教えられた事を、胸の中で反芻しながら遠のく驢馬と人の後姿を見送くっていると、
地平線の向こうまでもと続く開墾畑に沈みかける夕陽が、人と驢馬の影を赤色に包み込んで呑みこんでしまいそうだった。

遠のくじぃさん此方にと、驢馬と揃いの長い影を引きながらぁ でした。


「あの爺さん、今は雇われ猟師ですけどな、昔は此処ら辺りの軍閥に請われ、軍事顧問としてケッコウな待遇で雇われていたと聞いとります。
 ナンデモ蒋介石の国民党軍にも一時は関わっていたそうですわ 」

「そぉかぁ、だから下の息子が赤(ソビエト軍:赤軍)から脱走したお陰で、協力してくださったのか 」

「じぃさんの絵が手に入らなかったら、今度の計画はドオニモならんとこでした 」

「じゃぁ、イッパイ呑んで今夜に備えて寝るか 」

「じぃさんにも、一本土産で持たせてやればよかったですね 」

「ぁあ 」


生返事をしながら片目を瞑り、赤い石を瞳にくっつくかと近づけ、地平線に沈みかける夕陽に翳すと、
目の前の視界が視たこともないような、綺麗過ぎるほどの赤く煌めき輝く、途轍もない紅(クレナイ)色一色に染まった。
自分の今までの、ロクでもない生涯のケジメの最後は、キットこんな色の最後になるのかも知れないなぁ。


石は、狩人教授が自ら愛用のナイフの切っ先で、銃の引き金上部の機関部に嵌め込まれていた
濃い赤色の宝石を外し、お礼だといって手渡してくださった。
眼から、宝石を下ろすと夕陽は地にと沈み、辺りには残り茜色が薄らとぅ だった。


戦後、大陸からの引揚者は口々に言います。 大陸の夕陽は、沈む際が特に美しかったと。 綺麗だったと。




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