晩飯には少し早かったけど、ママぁが近くの大衆中華の店から、出前をとってくれた。
自分、番外地で饂飩を喰っていたけど、口直しがしたかったので、アリガタク奢って頂いた。
仕込が粗方終わった厨房、大きな俎板を前に、ママぁは丸椅子に座り、
自分はビールケースを裏返しにして、二段重ねで座った。
調理台の上には、今夜、店で出す料理と、まだ調理してない他の材料が載っていた。
それらを掻き分けるようにして隙間をつくり、ふたり肩を並べて喰った。
マルデ何処か場末の店で、意地汚く喰ってるような気がした。
手の空いた若いボンさん(スタッフ)たち、指示しなくても勝手に薄暗いフロアーで、
テーブるのセッティングや、ピアノの横のスタンドマイクの音量調整などして、開店の準備をしている。
酒屋の若い衆が数人、頼んでた酒類を配達に着たり、珍味屋が注文の品を届けにきてた。
契約してる花屋の若い女の人が活花を換えにきて、ボンさんらと話す声が時折聴こえる。
麺を啜る間、覆面パト後部座席の、松屋の大将を思いだし厭な気分になってた。
パトのドアガラス越しに此方を見ていた、松屋のタイショウの爬虫類の瞬かない眼。
凄い嫌悪感を伴った厭らしさ丸出しの眼ぉ、想いだすと如何にもぉぅ・・・・
「松屋の大将、縄澤に怒鳴られてたでッ 」
「何処で?」
「駅前 」
「なんやの?」
「覆面パトに乗せられてたわ 」
「なんしたん?」
「知らん、駅前のロータリーの舗道でな 」
ママぁ、ご出勤時間はいつも、モット晩い時間やった。
今日は昼の用事が早く終わったので、早めに店に着たと言う。
そぉかなぁ、っと自分。 想いました。
「ママ、人に遭へゆわれたわ 」
「誰?」
「ワイやがな 」
「チャウ、誰がゆうねん 」
「ガイチ(番外地)のバァさん 」
「ぇッ姐さんッ?がッかぁ・・・・何方はんにぃやねん?」
「知らん 」
ふたりが麺ぉ啜る音、なんかぁモノ静かな感じの音、してました。
サッキから、一定間隔で水が滴り落ちる音、気になっていた。
流しの蛇口の栓、パッキンがチビて閉まりきらず、ユックリと水滴が垂れ下がり、落ちる。
厨房内、静かなので、古い業務用冷凍冷蔵庫の、温度調節のスイッチが音立てゝ入っては切れ、
その度に壊れかけのコンプレッサー、モーターの音、重々しく唸って煩く響いてた。
その音、静かな部屋では大げさなくらいで、ケッコウ聴こえている。
「冷蔵庫、ソロソロめげる(壊れる)んとチャウんかぁ?」
「せぇやな(ソゥヤナァ)」
「ママ、今度は中古やのうて、サラ(新品)にせなアカンで 」
「せやな 」
「今年で何年モッタんやったかな 」
「真二が居らんように為る前やから、八・九年くらいとチャウかぁ?」
「もぅ、そないに為りますんかぁ 」
「時間なんか、ぁッ!チュウ間ぁやなぁ、ウチも歳ぃいくわぁ! 」
「九年も、モテばえぇやんか、ママ 」
「よぉけ儲ぅけもせぇへんかったけど、食うに困らんかったさかいな 」
「・・・・ママ、店の話やないがな 」
「・・・・判ってる 」
ふたりとも、箸を止めていたので、麺、のびてしまってた。自分、汁だけ啜りました。
ママぁ、流しに汁だけ捨て、業務用ゴミ箱の黒色ナイロンの袋に、丼を傾け麺を捨てゝいました。
「ママ、ワイが誰に遭うんか知ってるのとチャウん?」
ママ、聴こえない振りしてました。
背中を丸め丼を、ザットッ蛇口の水の勢いで洗いだします。
「ぁんたのん、貸しんか 」
「えぇがな、自分で洗うさかいに 」
ママの背中、何を背負ってますんやろなぁ、っと想いながら後姿を眺めていました。
「ァテの背中ぁ、ケッコウ色っぽいやろ、なッ!」
頭の後ろにぃ眼ぇ、在りますねん。 このお方ぁ!
「ママぁ、何方ハンがそないにぃ、オッシャイマスんやろ?」
「真二ぃ、言いよったわ 」
「(ッチ!)古い話しぃやな }
「そやな、もぅ古い話しぃやな 」
ママ、煙草を取り出し、業務用ガスコンロの点火用ライターで火を点け、ユックリト一服吸いました。
細い顎を上向け、唇を窄め、煙を細く噴き上げます。
有線のスイッチ、誰かゞ入れたのか、開けっ放しの扉から演歌が流れたきた。
厨房には、スピーカーはなかったけど、カナリ聴こえてる。
ふたりとも、互いにぃなんとなく黙ったままが益々やった。
言葉が、会話に為り難い雰囲気が、狭い厨房内に充満していました。
煙草の煙、部屋の中に濃いく漂いだしたので、換気扇の電源を入れました。
ファンが勢い良く廻ると、煙は四口のガスコンロの上、天井からの換気扇フードの傘の中に、
何かに導かれたように漂い、吸い込まれる。
壊れかけの冷蔵庫の、唸る音。
換気扇が空気を風として、勢い良くカキ廻す音。
開け放たれた扉の外からの、ド演歌。
大きな音は、水の滴るような小さな音。簡単に消して隠します。
ワイの身の周り、何かの大きな出来事で、何かゞ隠れているのかもッなぁっと。
ママぁ、半分までになった煙草を前歯で噛んで、両手で丼を重ねて持ち、厨房から出て行った。
自分、後姿に舌打ちしたかったけど、地獄耳のママぁに聴こえるかも。ッと我慢しました。
営業用の倶楽部衣装に着替え、眉毛もない能面顔に、綺麗に化粧を施したたママ、
指に細長い洋モク挟んで、再び厨房に入ってきて言います。
「ぁんたぁ、火ぃや 」
ワイ、業務用点火ライターぉ、突き出すようにしてやりました。
「ホィ、コッチ 」
華奢な首を少しぃ傾け、火ぃに煙草を近づけた。
長い付け睫毛の先、橙色の火ぃで燃えそうやった。
小刻みに三回吸って、四回目に、旨そうな表情して肺に溜めていた。
ッデ、ユックリト紫煙を小さな鼻孔と、薄きに開けた唇から吐きながら言います。
「あんたぁ、かわったわ 」
「ワイがですんか?」
ママ、返事の代わりに、顔を伏せるようにして煙を吐き出した。
ワイ、俯いたママに釣られ、視線をママの足元に落とした。
細い踝の下の小さな踵が半分乗っている、赤いサンダルの先が、
濡れた土間コンの床には不釣合いやった。
黒い小さな網目のシルクのストッキング、先ッポ、濡れ床の水に浸かって濡れていました。
「明日ぁ、暇かぁ?」
「バァさんと逢いますんやけど 」
「ウチも付き合うさかいにな 」
「えぇけど、ナンでゞすねん 」
「ウチにも責任あるさかいにな 」
「責任?ッテ、なんの?」
「コナイナ騒動にぃ為るとは想わんかったんよ 」
「今のですんか? 」
「ほぉやぁ(ソウデス)」
「スキにしたらぇえけどぅ 」
ママぁ頷くと蛇口を捻り、水で煙草の火を消した。
消えた煙草を指で摘むように挟んで、厨房から出掛けに振り返りました。
「もぉぅ、松屋に助っ人せぇへんでえぇさかいにな 」
「行かんかったら、不味いんとチャイますの?」
「サッキ電話いれといたさかにな 」
「なんて?」
「アンタは悪党やから、アホちゃうかって、チィフが言うてるでッテ 」
「マッママッ!ナッナニ言いますねんッ!」
「嘘やがな、言うかいなそないなこと 」
「・・・・・・ッタクぅ!(ッチ!)」
「アイツ(タイショウ)留守やったから、番頭のイッチャンに言伝しといたわ。暫く休むゆうて 」
「あのまゝ、縄澤に引張られてたらえぇのになぁ 」
「駅前でかぁ?」
「そぉや 」
「無理やな、ショボイ交通違反じゃぁヒッパレンわッ 」
「縄澤かてド素人相手とチャウさかい、如何にかしよるやろぉ?」
「その玄人やから、如何にもアキマセンねん 」
「玄人相手なら、素人とチャウやろぉから終わらせ方も、堅気やないようにぃっと違うかぁ?」
ママぁ、返事の代わりにぃ、真っ直ぐワイの目ン玉覗き込んで、静かに一回頷きました。
ワイ、その仕草を視て、ァレッ?ママぁ、ケッコウ美人やなぁ・・・・ッテ
如何にも為らんもんなら、如何にか出来ないものかと足掻くより
流れのままに身を任せると、如何にかなるかもなぁ・・・・・
今夜、真っ直ぐアパートには戻らん方が、身の為やでッ!
ナニが待ち構えてるか、判らんさかいにな。
ドッカ、寝倉を探さんと、アカンなぁ・・・・・
ッデ、何処にやッ?