横浜スローライフ -- My slow life in Yokohama

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ゴーストタウン化の衝撃

2006年08月18日 00時33分55秒 | スローライフ
私の実家は名古屋市東部にあり、私が生まれた年に造成された住宅地にある。その住宅地は駅からバス便ではあるが、緑地公園を背後に100坪前後の広めの敷地にゆったりと一戸建てが建ち並ぶ良質な住宅街である。私が子供の頃はあちらこちらから子供の声がして、夜になれば習い事のピアノの音が響いて結構賑やかだった。

それから30数年が経ち、当時は綺麗だった家も、あるものはそのまま放置され廃屋状態となり、あるものはリフォームや建て替えられ、またあるものは売却分筆されて複数戸の住宅として分譲され、街の様相がかなり変貌してしまった。

もともと成功したサラリーマンが好んで住む住宅地だったこともあり、その子の世代も大学から大企業に進み、転勤族となって戻ってこない。母親に聞いてみると、当時社会の第一線だった人たちは70~80代になって、伴侶を失った一人暮らし世帯が急増しているらしい。小中学生はまず見かけられない。人口が急減しているため、日中でも1時間に6本あった路線バスも4本に減り、人口構成はまるで山村か離島そのもののようで、ゴーストタウン化している。

一方、わずか数キロ離れて、10年ほど前に新しく造成された宅地は、1区画が小さいこともあり手ごろな価格で、若い家族が大挙して押し寄せている。でもそれはほんの例外に過ぎない。

世の中は圧倒的に若い世代が減っている。今私の住む横浜の小学校も、1学年2クラスを維持するのに必死である。最盛期は8クラスもあったのに。

大学の卒論で、私は名古屋市都心部のインナーシティ問題を採り上げ、フィールド調査と分析を行った。その時は主として旧来住民の高齢化と郊外への移転、その穴を埋める”匿名型”マンション住民の急増によるコミュニティの緊張が大きな問題としてクローズアップされていた。私の実家は都心から人がやってくる「郊外」にあたったのだが、その「郊外」が今や静かに機能停止を待ちつつある状態だ。減りつつある人口を埋める人はどこからも来ないから、コミュニティは崩壊である。

日本の人口が減少し始めた。私の実家のある地域は、その未来を象徴しているように思え、重たい気持ちになった。

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2 Comments

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Unknown (のりちゃん)
2006-08-18 19:08:17
郊外NTの衰退に伴い発生する住民のQOL維持のための社会的コストを誰が負担するのか、というとても難しいお題の調査、昨年、今年と取り組んでおります。



担税力のある住民は当面少なくなる一方なので、あまり期待できないので、地域コミュニティが知恵を出し、役務を供出して補うしかないだろう、というごく当たり前の結論になりそうです。



そのとき行政がなすべきことは、地域コミュニティがきちんと機能するために、また行政サービスを効率的に提供するために、高齢化、分散化した世帯の住み替えによるコンパクト居住を誘導することではないか、と考えております・・・
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Unknown (のりちゃん)
2006-08-18 19:15:01
推敲中に投稿ボタン押しちゃいました。



「担税力のある住民は少なくなる一方なので行政にはあまり期待できず、地域コミュニティが知恵を出し・・・」



ですね。すんません。
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