普天間基地を抱える宜野湾市の市長選に際し、沖縄防衛
局の真部局長が、職員とその家族、親戚に、選挙に行くよ
う「講話」したという話は、日本政府に内在する根深い問題
を、改めて、示してみせました。
それは、政治とは別個に存在する官僚機構の問題です。
真部局長が「講話」したということが明らかにされて、
民主党の田中防衛相は窮地に陥っています。防衛相だけで
はなく、民主党政権がかなり厳しい状況に置かれています。
しかし、野党・自民党が、この問題で民主党を攻撃する
矛先が、どこか鈍いのです。
鈍いというより、攻撃を控えているようなところがあり
ます。
なぜなら、沖縄防衛局の局長が、選挙にあたって、職員
向けに「講話」するのは、少なくとも5年前から続いてい
たことが分かったからです。
そう。
5年前というのは、まだ、自民党政権、自民・公明の連
立政権のときです。
なんのことはない。
自民党は、この問題で民主党を攻撃すれば、その火の粉
が自分自身に降りかかってくるのです。
これを、いったい、どう考えればいいのでしょうか。
答えは、ひとつ。
官僚機構というものは、政党、政治とは関係なく、官僚
機構として独立した意識を持ち、独立した行動をするーー
ということです。
この局長は、普天間基地の移転で、防衛省に都合の良い
政策をとってくれる候補者を推したかったのです。
もっといえば、防衛省に都合のいい政策をとってくれる
候補者であれば、民主党でも、自民党でも、どちらでもよ
かったのです。
これまでの日本の政治の図式でいえば、普天間基地で、
なりふり構わず、米軍との約束を果たそうとするのが自民
党で、それを阻止しようとするのが民主党でした。
ところが、いまは、それが逆になっています。
民主党が、普天間基地の移転をめぐる米軍との約束をし
ゃにむに果たそうとし、それを、自民党が批判する。
まことにおかしな構図が出現してしまいました。
日本では、戦後長い間、「保守」と「革新」という言葉
がありました。もちろん、自民党が保守、社会党が革新で
す。社会党の流れをくむのは、本来、社民党です。しかし、
社民党は弱小政党になってしまったので、実態としては、
民主党が「革新」でした。
しかし、いまや、民主党が「保守」です。
とくに、沖縄の基地問題では、民主党は、保守そのもの
です。もはや、自民党以上の保守でしょう。
民主党に夢をつないできた人々は、がっかりしているこ
とでしょう。
政党、政治のそうした皮肉な混乱、収拾のつかない混沌
とした状況を、しかし、冷酷に眺めている集団がありまし
た。
それが、官僚機構です。
沖縄防衛局の歴代の局長は、自民党政権であろうが、民
主党政権であろうが、防衛省のやりたいことを実現してく
れる政党を支持してきたのです。ーーそれが、今回の局長
の「講話」問題で、明らかになってしまいました。
官僚は、確信犯です。
この局長は、国会に召還されて、与野党の議員からいろ
いろと質問を受けました。
しかし、この局長は、質問にたいし、ただの一回も、お
わびをいいませんでした。
局長は「反省している」と言いましたが、
「申し訳ない」と言ったのは田中防衛相でした。
自民党がこのまま攻撃を続け、田中防衛相がこの局長を
更迭すると、どうなるのでしょうか。
田中防衛相は、開き直って、
「局長を更迭しますが、でも、局長の講話というものは、
自民党政権のころから続いていたものです。局長講話を始
めたのは、民主党ではなく、自民党政権なんですよ」
といえばいいのです。
そうすると、自民党も、困ってしまいます。
振り上げた拳を降ろす場がなくなってしまいます。
民主党も自民党も、お互い、行き詰まってしまうのです。
身動きの取れない政党同士を横目に、官僚機構は、した
たかに存在を見せつけるのです。
今回の問題は、官僚機構のしたたかさを、もののみごと
に示しました。
この最強の機構と、どう向き合うのか。
それは、民主党にとっても、自民党にとっても、避ける
ことのできない第一級の難問なのです。