いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

今度は福岡市長が禁酒要請を・・・これを冷笑するのは、また、インテリの欠点です。

2012年05月22日 21時06分37秒 | 日記

 きのうに引き続いて、きょうもまた、インテリの弱さの
話を書きます。

 福岡市の高島市長が、市職員に、1か月間、外でのアル
コールを慎むよう、要請しました。
 飲酒運転など、お酒を飲んで警察につかまる市職員が毎
月のように出ることに、業を煮やしたものです。


 何年か前、飲酒運転をしていた福岡市の職員が前の車に
追突し、前の車が川に転落、乗っていた3人の子供が死ん
だという事故がありました。この事故を契機に、飲酒運転
に対する批判が全国的に高まり、飲酒運転は悪いことだと
いう意識がかなり浸透してきました。
 ところが、福岡市では、市職員による飲酒事故が相変わ
らず続くのです。
 
 そこで、高島市長の「禁酒要請」となったものです。
 もっともなことのように思えます。

 しかし、きょう22日、テレビのワイドショーを見てい
ると、司会者やコメンテーターたちが、あまり賛成しない
のです。

 典型的だったのは、フジの小倉智昭氏です。
 彼は
 「これは、個人の資質の問題ですからねえ」
 と言うのです。

 小倉氏から振られたコメンテーターは
 「なんだか、小学校の先生が生徒を指導するような話で
すねえ」
 と、冷やかすのです。

 ほかにも、なんとなく、「そこまでしなくても」という
感じがあるようです。 

 これも、きのう書いた大阪市の職員の入れ墨の話と同じ
です。
 飲酒運転を「個人の資質ですからねえ」と言ってしまえ
ば、もう、話は、そこで終わってしまいます。
 「個人の資質ですから」と言うのは、それ以上の議論を
封殺するものなのです。
小倉氏は、どうして、それが分からないのでしょう。

 飲酒運転が個人の資質の問題だとすれば、道交法で飲酒
運転を厳しく取り締まる必要はなくなってしまいます。
 市職員の飲酒運転によって、3人の子供が死んでしまっ
たご両親の立場に立てば、この市職員の飲酒運転を
 「個人の資質」
 で切り捨ててしまうのは、絶対に許せないでしょう。

 「小学校の先生が生徒を指導するようなもの」
 もそうです。
 そうやって指導しなければならないほど、飲酒事故が多
いわけでしょう。

 なんで、こんなに、物わかりがいいのでしょう。
 大阪市の職員の入れ墨問題では、「物わかりの良いイン
テリの弱さ」ということを指摘しました。
 福岡市の「禁酒要請」を冷笑するインテリの場合は、「イ
ンテリの弱さ」というよりは、「インテリのニヒリズム」
とでも言う方がいいかもしれません。

 インテリって、本当に、だめですね。
 
 大阪の橋下市長の良さは、そうした
 「インテリの物わかりの良さ」
 「インテリのニヒリズム」
 を、ひとりで断固突き抜けて行くことにあるのです。

 インテリが何もできないのは、そう、物わかりが良すぎ
て、それが邪魔をして、なにかを断固突き抜けて行くとい
うことが出来ないからなんですね。