いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

大阪市の職員の入れ墨はおかしい・・・入れ墨に「文化の問題」と理解を示すのはインテリの弱さです。

2012年05月21日 21時06分57秒 | 日記

 大阪市役所で、100人を超す職員が入れ墨をしていま
した。
 橋下市長が怒るのは当たり前です。
 
 問題になったきっかけは、児童施設の職員が、自分の入
れ墨を子供たちに見せていたことだというのですから、こ
れはちょっとお話になりません。

 橋下市長が君が代を強制する限り、私自身は、橋下市長
を支持しにくいのです。
 しかし、入れ墨に関しては、全面的に、橋本市長を支持
します。

 先週、橋下市長が会見でこの入れ墨問題に触れた際、各
地の自治体の首長たちが、それぞれの会見で、報道陣から
大阪市の職員の入れ墨をどう思うか、質問されていました。
 
 それに対する首長たちの答えが、いかにも、ぬるいので
す。
 ぬるいーーというよりは、インテリの弱さ、物わかりの
良いインテリの弱さというべきでしょう。

 典型的なのは、仙台市の奥山恵美子市長です。
 奥山市長は、会見で大阪市の入れ墨について聞かれ、お
おむね、こう答えました。
 ーー入れ墨というとあれですけれど、タトゥーというも
のもあります。タトゥーというのはファッション的な感じ
もありますし、まあ、こういうのは、文化の問題という感
じがいたします。文化の問題であれば、あまり騒ぐのも・・・。

 これは、もう、典型的な、物わかりの良いインテリの弱
さというほか、ありません。 

 名古屋の河村市長も同じような発言をしていました。
 テレビで、自治体の首長の会見を見ていると、同じよう
に、「文化の問題」「芸術の問題」というような言い方をす
る人が多くて、驚きました。

 首長だけではありません。
 街角でテレビ局のインタビューを受けたサラリーマン
も、けっこうな人数が「文化の問題」「個人の問題」という
答えをしていました。

 どうして、こう妙に物わかりがいいのでしょうか。

入れ墨あるいはタトゥーを「文化の問題」ととらえるの
は、もうそれだけで、教養のあるインテリであることを示
しています。
 文化の問題だから、それは、良い悪いの問題ではないー
ーというわけです。

 しかし、入れ墨を、文化の問題と言い始めると、もう、
そこから議論が進まなくなります。
 
 いま、温泉地に行くと、
 「入れ墨をしている方の入場はお断りします」
 という張り出しが、100%、あります。

 では、入れ墨をしていて、入場を断られた暴力団員が、
 「おう、入れ墨は文化の問題じゃ。
  仙台の市長もそう言うとるやろ」
 と反論したら、奥山市長は、いったい、どう答えますか?

 日本では、長い間、入れ墨は、暴力団がするものでした。
 入れ墨=暴力団と、多くの人が思っているのです。

 だから、入れ墨をした人の入場を温泉が断るのは、入れ
墨を断る以上に、「暴力団お断り」ということでしょう。

 箱根や有馬で、ゆっくり温泉につかっているとき、背中
いっぱいに大きな入れ墨をした人が入ってきたら、だれだ
って、気味が悪いでしょう。
 背中いっぱいに入れ墨をした人は暴力団だという社会的
な認識があるのです。

 そういうときに、
 「いや、入れ墨は文化の問題でございますから」
 と言う人がいたら、おかしいでしょう。

 「文化の問題」と言ってしまうと、あらゆることを一般
論あるいは抽象論に置き換えてしまいます。
 
 しかし、大阪市の入れ墨問題は、
 「公務員が入れ墨をして、市民に不愉快な思いをさせて
いいのか」
 ということです。
 極めて、具体的な問題なのです。

 インテリは、知識と教養があるだけに、妙に物わかりが
いいのです。
 そして、それは、インテリの決定的な弱さです。
仙台の奥山市長の発言は、そのひとつの典型です。

 大阪市の市職員が、児童施設で、子供たちに自分の入れ
墨を見せていた。
 それが、文化の問題であるはずがないでしょう。
 
 ごみの回収に来る市職員の腕から、入れ墨が見えた。
 普通の市民が、ごみ回収で、何か頼もうと思っても、そ
んな入れ墨をした市職員に対して、モノが言えますか?

 それを、「文化の問題」だとか、「個人の問題」だとか言
ってはいけません。
 
 インテリの弱さというのは、困ったものです。