住んでいた頃は、何とも思わなかったけれど、久しぶりに帰ってくるといい街だなぁとしみじみ思う。
高校生の頃、よく遊んだ新京極の辺りは、新しい店も増え、大分景色が変わってしまっているけれど、多くの人たちが行き交う様は、ほとんど変わっていない気がする。
なぜだか、四条通りを歩いていると、中学生の時に、友達と一緒に、初めて喫茶店にドキドキしながら入った時のことをよく思い出す。
その後、祇園の辺りを散歩しながら、お昼を予約しているレストランに向かった。
途中、屋根の上にこんなやつらを見つけた。
鍾馗(しょうき)さんという、家を守っている魔除けみたいなもん。少し古い家が並んでいるところでは、結構屋根の上におり、それぞれ個性的な顔をして、睨みをきかせているので、それを見ながら歩くのも楽しいかも。
朝少し早めだったせいか、結構歩いたにもかかわらず、予約時刻の1時間前に着いてしまった。
時間があるので、レストランのすぐ横にある「八坂の塔」を見学。
聖徳太子の創建と伝えられ、塔の礎石も飛鳥時代のものとか。五重の塔自体は消失と再建を繰り返し、現在の塔は室町幕府の足利義教によって再建されたとのこと。
外からは何度も見たことがあるけれど、中に入って、しかも塔の2階に上がれるというので、せっかくだからと上がってみた。むちゃくちゃ狭くて、急な階段を昇る。
足元が板なので、底が抜けて落ちやしないかと、高所恐怖症の僕はかなり緊張。
階上から見た景色。
高いところは苦手なので、早々に引き上げようとするが、また下りの階段が傾斜きつすぎ。
写真ではあまりわからないかもしれないが、ほぼ垂直に近い状態。
なので、はしごを降りるように階段側に体を向けて降りないと、とてもじゃないが恐くて降りられない。
やっとのことで、塔を出た後、寺の敷地内にある木曽義仲(源義仲)の首塚を見る。
木曽義仲とは、北陸道から進攻し、平家を都から追いやった後、都に入り、征夷大将軍となり「朝日将軍」とも云われた源氏の武士。その後、政争に敗れ、野蛮な振る舞いで都人の人心を失い、最後は、同じ一族の源範頼、義経の軍勢に近江の粟津で討たれます。
そして、その首は六条河原でさらされた後、この近くに葬られたらしい。
朝日将軍と呼ばれ、一時は権勢を誇っていた義仲のお墓と知って見ると、この小さな首塚に、何だかある種の寂寥感を感じてしまった。