好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

与板 徳昌寺 NO1

2008-08-06 19:38:10 | Weblog
徳昌寺 文明11年直江兼続の曽祖父が開基
慶長3年上杉家 会津移封に伴い 直井家と共に 米沢に移る
1部は与板に残る

その後領主 井伊家 豪商三輪大阪屋帰依を受け 有栖川宮のご祈願所に、

良寛さんの父 以南の実家 新木(あらき)家の菩提樹でもある。

良寛さんの親友三輪左市 維経尼(いきょうに)の墓碑もある、

維経尼(いきょうに)宛書簡
天寒自愛 (てんかんじあい)
君蔵経を求めんと欲し遠く 故園の地を離れ 吁磋(ああ)
吾何をか道(い)わん 天寒し 自愛せよ
十二月二五日 良寛

維経尼(いきょうに)は与板豪商、大阪屋の娘 夫の死後徳昌寺に
入り 大蔵経の資金を求め江戸で托鉢する
維経尼を気づかったもの。

三輪左一 と並んで墓碑がある。

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与板 徳昌寺 NO2

2008-08-06 19:22:51 | Weblog
文政11年11月12日 三条を中心とする大地震が起こり
被害は死者1600人余人 傷者2500人余人とも伝いられ大惨事であった
良寛さんが各地の友人に見舞い状出され 慰めたり 励ましたりしました、
もつとも親しい友人、与板山田社皐(やまだとこう) 良寛さんの遠い親戚
に宛書簡の末尾の 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候

死ぬ時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがる々妙法にて候
との有名な言葉が書き添いられている。

幾ら親しくても 災難に逢う節は 逢うが良く 死ぬ時節は死ぬが
良く とは  自然の運命に任せなさいと言う事ですか、
下手に災難を避けようと逃げ惑うと却って災難に逢うとの教訓でしょうか。

写真は三条地震の歌碑と説明

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