小田急電鉄 大根から100円区間ゆき片道乗車券(小児用)

前回エントリーで小田急電鉄大根駅で発売された100円区間ゆき大人専用片道乗車券を御紹介いたしましたが、小児専用券もございましたので紹介致しましょう。


   

1986(昭和61)年11月に発売された、大根(現・東海大学前)駅から100円区間ゆきの小児専用片道乗車券です。桃色PJRてつどう地紋のB型金額式券で、井口印刷で調製されたものです。
様式的には大人専用券と同一ですが、小児用券を示す「」の影文字がある他、右端の「円区間」の位置が一段高くなっており、空いたスペースに小児運賃の表記がある点が異なります。
印刷時になんらかのミスがあったのでしょうか、影文字が若干左に寄ってしまっているように感じますが、誤差のうちの範疇でしょう。


   

再掲しますが、こちらが大人専用券になります。


小児専用券も小田急電鉄で発売された金額式硬券乗車券の一般的な様式ですが、やはり、一部駅にはシンコー印刷で調製された券が設備されていました。

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小田急電鉄 大根から100円区間ゆき片道乗車券

1986(昭和61)年11月に小田急電鉄小田原線大根(おおね。現、東海大学前)駅で発行された100円区間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色PJRてつどう地紋のB型金額式大人専用券で、井口印刷で調製されたものです。
ご紹介の券は小田急電鉄で発売された硬券末期の金額式券としては一般的な様式ですが、他にシンコー印刷で調製された券も数駅に設備されていたことがあり、様式的には同じでしたが、活字が異なるために様相がかなり違っておりました。

同社では各駅に券売機が設備されておりますが、当時は「非常用」として最短区間用の硬券乗車券の大人専用券および小児専用券が各駅に設備されており、希望すれば発売してもらうことができました。しかし、通常発売の券ではありませんので在庫されている時期が大変長期に亘っていたため、日焼けやたばこのヤニなどによって状態のあまり良くない券が散見されておりました。
同駅でも硬券乗車券は通常発売用ではありませんでしたが、近隣にある東海大学の入学試験や学園祭などの多客期に臨時発売を行うことがあるため発売枚数の実績が多く、比較的券の状態は良かったようです。


大根駅は小田急線の開業時に開設された駅で野菜の「だいこん」と同じ字を書きますが、ここはかつて神奈川県中郡大根村というところに開業したために名付けられた駅名です。
しかし、近隣に東海大学湘南キャンパスがあることから、この券が発売された約4か月後の1987(昭和62)年3月に現在の橋上駅舎に建て直された際、東海大学前駅に改称されています。

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鐵道省 萬世橋駅発行 御茶ノ水・飯田橋間ゆき片道乗車券

今からちょうど90年前の今日、1930(昭和5)年12月7日に萬世橋駅で発行された、御茶ノ水・飯田橋間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色GJRてつだうしやう地紋のB型矢印式大人・小児用券となっています。


   

裏面です。券番の他、発行駅名の記載があります。
発行されたから90年が経過していますが、比較的変質せず、状態良く残っています。


萬(万)世橋駅はかつて中央本線の神田~御茶ノ水間にあった駅で、かつては中央本線の始発駅として1912(明治45)年に甲武鉄道という私鉄によって開業されておりますが、甲武鉄道は1889(明治22)年に国営化され、鉄道省の前身である鉄道院中央本線の駅になっています。

同駅の初代の駅舎は東京駅と同じ辰野金吾の設計による赤レンガ造りで、一等・二等待合室や食堂・バー、会議室等を備えている駅舎で、日露戦争の英雄である広瀬武夫と杉野孫七の銅像が建っていた駅前広場には、東京市電(現・東京都電)の乗場もあり、多くの人で賑わっていたと言われています。
しかし、1914(大正3)年に中央停車場である東京駅の開業後、中央本線は1919(大正8)年に万世橋~東京間が延長されると、万世橋駅は途中駅になってしまい、かつての賑わいは失せてしまいます。

これに追い打ちをかけるように、徒歩圏内に神田駅や秋葉原駅が開業し、現在の山手線や京浜東北線の電車が走る上野~神田間の路線が出来たことで東京以南や上野・浅草方面からの東京市電乗換駅としての需要がなくなり、乗客数は激減してしまいます。さらに、駅前の須田町交差点が移転し、以後は東京市電が駅前を通らなくなってしまい、同駅はターミナル駅としての役割を終え、食堂の営業も廃止され、1936(昭和11)年に東京駅から同駅へ移転してきた後の交通博物館の前身である鉄道博物館に併設された駅となり、駅舎は解体縮小されてしまっています。

その後1943(昭和18)年11月に不要不急であるとして駅は休止となり、実質上廃止のような状態となって、駅舎は交通博物館部分を除いて取り壊されてしまっています。しかしながら、同駅を正式に廃止とした書類は無いようで、現在でも休止状態になっているようです。交通博物館が大宮の鉄道博物館に移転した後、同駅駅舎の遺構は解体されてしまっておりますが、線路上にホームの跡と構内側線の跡は残されており、現在でもホーム跡はカフェとなって使用されています。

同駅で使用されていた駅務機器の一切が、休止日に開業した東海道本線の新子安駅に転用されたと言われており、その関係でしょうか、ご紹介の券に入れられている万世橋駅の鋏痕と、新子安駅の鋏痕は同じものになっています。

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周遊券表紙 国鉄発行分と旅行会社発行分の相違

しばらくの間、国鉄周遊券に付けられていた表紙を御紹介いたしてまいりました。連載期間が長くなってしまっておりますので、今回で一旦終了にしたいと思いますので、もう少々お付き合いください。ワイド周遊券の他にもミニ周遊券用などまだまだ種類はたくさんありますが、ワイド周遊券だけを観察しても、国鉄の駅で発行されたものと旅行会社で発行されたものとでは、少々様式が異なっていたようです。


   

再掲になりますが、国鉄の窓口で発行された道南周遊券の表紙です。右下に「日本国有鉄道」という名前が入れてあります。


   

こちらは近畿日本ツーリストで発行された道南周遊券の表紙です。右下には近畿日本ツーリストの名前があります。


   

道南周遊券ではありませんが、日本交通公社で発行されたものであれば、このようになります。


   

国鉄の駅で発行された、道南周遊券の表紙裏にあるご案内文です。
ここでは、⑸ の項目において、「詳細は、もよりの国鉄線の駅、日本交通公社、日本旅行又は近畿日本ツーリストの各営業所でお尋ねください。」とあります。


   

近畿日本ツーリストで発行された、道南周遊券の表紙裏にあるご案内文です。
ここでは⑹ の項目において、「詳細は、もよりの国鉄線の駅又は当社の各営業所でお尋ねください。」とあり、日本交通公社や日本旅行の窓口については言及していません。また、国鉄で発行されたものには無い内容として、⑸ の項目において、「この周遊券をご利用のお客様には、当社のサービスとして10万円の交通障害保険をおかけしてありますので、裏表紙の内側にご氏名等を御記入ください。」とあります。


   

近畿日本ツーリストで発行された、道南周遊券の裏表紙裏にある、交通障害保険関連の記入欄になります。


   

ちなみに、国鉄で発行されたものについては特段の記載はなく、「ご旅行メモ」という空欄になっています。

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国鉄 九州北周遊券の表紙

永らく続いた周遊券の表紙シリーズですが、これでネタが尽きてしまいますので。もう少しお付き合いください。
今回は九州北周遊券を御紹介致しましょう。


   

九州北周遊券は福岡県・大分県・熊本県・長崎県といった、九州北部を周遊エリアとする周遊券です。北海道の周遊券でご紹介いたしました、道南周遊券の九州版になります。


   

見開いた状態です。
九州周遊券のように縦に長い周遊エリアではありませんので、観光案内略図は横書きになっています。


    ⇒ クリック、クリック。

日豊本線から九大線を経由して鹿児島本線に至る、九州北部の路線が自由周遊エリアになります。

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国鉄 九州周遊券の表紙

続いております周遊券の表紙シリーズになりますが、今回ご紹介いたしますのは九州周遊券になります。


   

九州周遊券は九州地方全体が自由周遊エリアになっており、北海道周遊券の九州版といった形になります。


   

見開いたところです。ピンク色の表紙になっており、これは現在のJR九州のコーポレートカラーである赤に通ずるものがあります。


    ⇒ クリックして大きくしてみてください。

九州という地形が縦に長い形をしているからでしょうか、九州周遊券の観光案内略図は縦長になっています。やはり、現在となっては廃線になってしまった線区が数多く掲載されています。

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