おかげさまで8年目に突入です。

ちょうど7年前の平成18(2006)年9月15日、あまりPCスキルのない私が試行錯誤を重ねてブログを立ち上げました。それから7年が経過し、今回のエントリーが1,061番目となります。
7年間の間にいろいろな記事や出来事がありました。だいたい隔日の更新ペースを維持し、これまで何とか運営をして参りましたが、自分のことながら、良くもこれだけ継続できたものだと自画自賛しております。これは偏に、御訪問者様がいらっしゃるからこそと思っております。

開設当初、拙ブログには1日あたり3~40名様のアクセス(御訪問)しかありませんでしたが、今では連日のように1,300名ほどの方にアクセスをいただき、本当に感謝しています。そして、この7年間の間に、開設当初にはまだ数えるほどしかなかったきっぷ系のブログが今やかなりの数になっており、同じような趣味を持たれている人口の多さに驚かされる次第です。

私はさほどの知識もないですから、拙ブログは専門的な難しい内容ではありませんので、決してすべての皆様に満足行くものではないかと思いますが、僭越ながら本日より8年目に突入いたします。

今後とも拙ブログを御贔屓の程、よろしくお願いいたします。



さて、1回目エントリーでは綾瀬駅の硬券入場券を御紹介していたようですが、前回まで、同駅を境に存在した東日本会社線乗車票について御紹介いたしましたので、「初心に帰り(?)」綾瀬関連である、国鉄時代の乗車票を御紹介いたしましょう。


   


見本券ですが、我孫子駅発行分の国鉄時代の乗車票です。A型無地紋の東京印刷場で調製されたものです。

JRのものと様式は同一であり、この様式が国鉄時代から継承されていることが分かります。また、昭和47年に発行された見本帳にあることから、同区間が複々線化された昭和46年当時より存在したものと考えられます。


   


JRになってからのものと比べますと、「国鉄線」の部分が「東日本会社線」に差し替えられ、「乗車票」の文字が明朝体になったこと以外、ほぼ原型を留めています。

「国鉄線乗車票」部分を変えるために元のスペースに活字を組み入れようとした際、ちょうど「東日本会社線」の特活が利用できそうだったので使ってみたら、乗車票の文字がゴシック体でバランスが取れず、「これでいいや」的に明朝体に差し替えたようなノリで改版されたような雰囲気です。


注目すべきは裏面です。


    (国鉄時代のもの)


JR化以後のものでは一番下の行に「この乗車」と記載されていましたが、国鉄時代のものは「この乗車」と記載されています。参考までに、JRのものも再度掲載します。


    (JRになってからのもの)


国鉄時代には、これはあくまでも乗車票であって乗車券ではないから、規則の厳しい国鉄という組織において、乗客に対して分かり難かろうと乗車券とすることが許されなかったのかもしれません。

もしくは、それは考え過ぎであり、JRになってからのものを作成するとき、「乗車票」とするところを単に「乗車券」としてしまっただけのミス券だったのかもしれません。


今後も拙ブログをよろしくお願いいたします。

                                                 管理人: isaburou_shinpei

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