鉄道省 横須賀駅発行 田浦ゆき乗車券

昭和19年5月に横須賀駅で発行された、田浦ゆきの乗車券です。


   


桃色GJRてつだうしゃう地紋のB型券で、相互式となっています。


相互式券は現在の感覚では発駅が左側・着駅が右側というのが普通ですが、時期によっては発駅が右側に記載された時期があり、戦前から戦後にかけて、何回か繰り返しています。

これは入鋏する際、「鋏の位置は発駅の下」という原則に基づいたものであると聞いたことがありますが、発駅が右側ではややっこしいためか、毎回左側に改められて現在に至っています。


この原則に倣ってか、国鉄時代末期の改札氏には、発駅の下に鋏を入れるため、わざわざ切りにくい左下に入鋏する方も居られました。また、流鉄(旧・総武流山電鉄)でも、相互式硬券に対して左下に入鋏をしている出札氏が多いように感じますが、この原則に倣っているのかもしれません。


この券の発行された昭和19年は戦局が不利になってきた時期で、軍港のある横須賀地区は戦時色一色だったと言われています。明治時代の軍歌「敷島艦行進曲」にも、「隧道つきて顕わるる 横須賀みなとの深緑 潮に浮ぶ城塞は 名もかんばしき敷島艦」と、横須賀線のこの区間を歌われているくらいです。

列車は田浦のトンネルを出ると日除けを下ろし、車窓から見える軍事施設を部外者に見せないようにしたり、線路脇にコンクリートの高い塀を建てて車窓を遮ったりしたと言われるほど、防諜策のためにベールに覆われた地域であったようです。


そのような戦時体制下の横須賀近辺への不要不急な旅行は制限されていたからでしょうか、当時の乗車券はさほど残されていないのか、あまり見かけないような気がします。

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