趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
京王井の頭線は小田急であり東急でもある!?
京王電鉄井の頭線は渋谷~吉祥寺間12.7km駅数17駅の比較的小規模な路線です。首都圏の路線としては珍しく、沿線に接続する路線はそこそこありますが、戦時中に小田急線との短絡線が存在した時期を除き、他線とは全くレールが繋がっていない孤立した路線になっています。
この路線はもともとは小田急系の帝都電鉄という路線として昭和8年8月に渋谷~井の頭公園間が開業し、翌年4月に吉祥寺まで全線開通していますが、その後素直に京王帝都電鉄(現、京王電鉄)になったわけではなく、ちょっと複雑な経歴の持ち主のようです。
まず、帝都電鉄は昭和3年に渋谷~吉祥寺間の免許を交付されていた渋谷急行電鉄を東京山手急行電鉄に合併させて東京郊外鉄道と社名が変更され、その後収益性が高いと見込まれた旧渋谷急行電鉄の路線が優先的に建設されることとなった際に、再度帝都電鉄に社名が変更されているようです。
そして昭和15年5月には小田原急行鉄道と合併して同社の帝都線となり、翌16年3月には小田原急行鉄道は鬼怒川水力電気と合併して小田急電鉄になっています。
その後、陸上交通事業調整法に基いて東京西南地区の私鉄は1つに統合される事となり、昭和17年5月に京浜電気鉄道(現、京浜急行電鉄)と共に東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(大東急)の路線となり、このときに帝都線から井の頭線という線名になっています。
これは昭和17年10月、吉祥寺駅で発行された小田急時代の乗車券で、PJR地紋です。裏面に「小田急 吉祥寺駅発行」と書かれており、小田急時代のものであることがわかります。
しかし、厳密に言うと「小田急時代」のものであったわけではなく、日付に誤りがなければ、昭和17年5月以降の発行ですので、東急になってからのものということになります。だとすれば、小田急時代の残余券が半年の間そのまま発売されていたということになります。
次は昭和19年8月に吉祥寺駅で発行された乗車券です。さすがに小田急からの残券ではなく東京急行電鉄になってからの新券に変わっています。
昭和19年と言いますと、戦局が悪化した時代となり、小田急時代のものと比べると紙質が若干悪くなり、印刷工程の簡素化が行われ、地紋の印刷が省略された無地紋券となっています。
この後、東京急行電鉄は昭和23年6月、東京急行電鉄の再編が行われ、旧京王・小田急・京浜の3社が分離独立し、それぞれ京王帝都電鉄・小田急電鉄・京浜急行電鉄として再出発しました。
このときも紆余曲折があったようで、京王電鉄の本線系統にあたる京王線はもともと京王電気軌道という会社で、帝都電鉄とは全く関係のない会社だったようですが、井の頭線は駅の過半数が京王線以北にあることと、明大前駅で京王線に乗り換える需要が多いことから旅客の運賃の負担を大きくさせないため、井の頭線は京王の管轄にすることが望ましいという理由で小田急に戻ることは無く、京王の管理下にされてしまったようです。