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一畑電気鉄道 一畑口駅普通入場券

昭和61年7月に一畑電気鉄道一畑口駅で発行された普通入場券です。


   


青色一畑電気鉄道自社地紋のA型大人専用券です。

本来であれば「一畑口駅」と記載されるべきところ、「一畑口」となってしまっており、「駅」の文字が抜けたエラー券となってしまっています。

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JR東日本 米沢駅発行 普通入場券

平成元年3月に奥羽本線米沢駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

国鉄時代の米沢駅で発行されていた乗車券類は新潟印刷場で調製されたものが使用され、国鉄末期に同印刷場が閉鎖となると民間印刷券が使用されていましたが、国鉄民営化以後は東京印刷場で調製されたものに切替えられており、東京地区のものと何ら変わらない、当時としては「面白みの無い」様式になっています。


この券は一番下の「発売当日1回限り有効」の文言が「発売日共1回限り有効」となってしまったミス券で、当時は一時的に高崎地区の券に多く発生していましたが、同時期に調製された他地区の券にも波及していたようです。

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新十津川駅発行 下徳富・南下徳富駅間ゆき片道乗車券

昭和59年7月に札沼線新十津川駅で発行された、下徳富・南下徳富間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。

この券は新十津川駅からの乗車券となり、当時160円で乗車できる区間は下徳富駅と南下徳富駅の2駅となります。そのため、厳密に言うと着駅表記の「下徳富・南下徳富ゆき」というのは間違いであり、下徳富・南下徳富ゆき」というのが正しいことになります。


現在、この区間は朝の一往復しか列車は走っておらず、国鉄から移管されたJR北海道は、近いうちに廃線にしたい旨の意思表明をしており、地元自治体と廃線についての協議が行われているようです。

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千歳空港駅発行 570円区間ゆき片道乗車券

正月3が日ですので、おめでたい名前の空港である千歳空港に因んだ券を御紹介いたしましょう。


   


昭和57年4月に千歳空港(現・南千歳)駅で発行された、570円区間ゆきの片道乗車券です。桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。


千歳空港駅は昭和55年に国鉄初の空港連絡駅として開業していますが、平成4年に空港旅客ターミナルが旧千歳空港から新千歳空港に移ると旧旅客ターミナルビルが廃止され、それに合わせて新旅客ターミナル側に新千歳空港駅が開業すると千歳空港駅は空港連絡駅としての使命を終えて南千歳駅に改称されています。


ところで、この券の発駅は千歳空港駅ですが、活字を並べ間違えてしまったようで「千空歳港」駅となってしまった残念な券です。

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JR東日本 横倉から越後鹿渡・越後田沢ゆき片道乗車券

前回エントリーに続き、飯山線の常備軟券の話題です。

平成28年9月に横倉駅で発行された、越後鹿渡・越後田沢ゆきの片道乗車券です。


   


桃色JRE地紋のA型一般式券で、大人・小児用券となっています。こちらの券はJR東日本の最新の、1枚づつ「耳」の付いた様式になります。ただし、乗車券箱の硬券ホルダーに刺してありますので、耳は付いていません。


   


前回エントリーの平滝駅発行のものを再度アップして比べてみましょう。綴り方の様式が異なるばかりではなく、字体もかなり異なっていることが分かります。

隣の平滝駅とは1.9Kmしか離れていませんので、越後鹿渡・越後田沢までの運賃は同じ320円です。ところが、字体が違うとかなり印象が異なってきます。


   


特に、着駅の字体は、上の平滝駅の旧様式よりも下の横倉駅の新様式のほうが字間が詰まっており、かつての特活のような感じです。


ここでひとつ気づいたことがあります。

越後鹿渡駅と越後田沢駅は隣同士の駅で途中に駅はありません。ですから、平滝駅発行分の「越後鹿渡・越後田沢ゆき」という表記が正しいのですが、横倉駅発行分の「越後鹿渡・越後田沢 間ゆき」は、両駅の間に途中駅が存在するときの表記方法であり、常備券としては表記ミスということになってしまいます。

購入した時は気づきませんでしたが、当日の夜に眺めていたらミスに気付いてしまいました。


   


横倉駅です。開業時からの旧駅舎は平成23年の長野県北部地震の際に被害に遭い、倒壊の恐れがあることから新しい現駅舎に建て替えられています。

同駅も長野県栄村が受託する簡易委託駅となっており、数口座の常備券が設備されています。一部情報では補充券の取り扱いがあるように書かれていますが、補充券の設備はないとのことでした。


受託者様の話に拠りますと、最近JR東日本の担当者がPOS端末を入れることか可能かどうか、出札窓口の採寸をしていったそうです。JR東日本では常備券を発売している簡易委託駅は飯山線の3駅と山田線の陸中川井駅および鹿島線の臨時駅である鹿島サッカースタジアム駅だけとなっているので、時代の流れには逆らえないような気がします。
しかし、1日20人に満たない利用客数で売り上げも5,000円前後ということで、利用料が発生するPOS端末を入れてまで村として簡易委託を受託し続けるのか、受託者様もまだわからないということです。

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茨城交通 勝田駅発行 殿山ゆき小児用片道乗車券

廃札券ですが、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)勝田駅発行の殿山ゆき小児用片道乗車券です。


   


橙色JPRてつどう地紋のB型一般式小児専用券で、山口証券印刷で調製されたものです。

この券は茨城交通湊線の那珂湊駅で、平成9年頃に廃札券として販売されていたものの中の1枚です。当時、木製の硬券箱が出札事務所に置かれており、廃札券を購入する客が自ら券箱に刺さっている券を引き出して購入するという方法が採られていました。今考えてみれば、一般の旅客を出札事務所に招き入れて、券箱から自分で券を抜き取らせるという販売方法はかなり斬新なものであったような気がします。


さて、御紹介の券ですが、現在でも勝田から殿山までの大人運賃が380円なので、小児運賃は半額の190円かと思われますが、何を由来としているのかわかりませんが、この券の運賃は750円と印刷されています。明らかに運賃部分が誤りのミス券となります。
別に明日が4月1日のエイプリルフールなので、よくきっぷ系ブログで見かけるような拵えた「ウソネタ券」ではありません。


廃札券として販売するなら問題ないですが、この口座の券は、実際に乗車券として使用されてしまっていたのでしょうか?

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JR北海道 〇簡 石狩太美駅発行 あいの里教育大・釡谷臼間ゆき片道乗車券

平成3年1月に札沼線石狩太美駅で発行された、あいの里教育大・釜谷臼間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色JR北地紋のB型一般式大人専用券です。

発行駅である石狩太美駅は昭和9年に札沼南線の駅として開業した駅で、国鉄時代の昭和59年に無人・簡易委託化され、JR化後の平成11年に完全無人化されています。そのため、発行箇所名の先頭には簡易委託駅であることを示す「〇簡」の符号が冠されています。

「あいの里教育大」は7文字で釜谷臼と同じ長さには入りきれないため、特活は使用せず、ポイント数の小さい活字を組んであります。

この券の最遠着駅とされる釜谷臼駅は現在のあいの里公園駅で、平成7年に駅名改称されています。


ここで、札沼線の交流電化区間の駅を順に確認してみましょう。
桑園・八軒・新川・新琴似・太平・百合が原・篠路・拓北・あいの里教育大・あいの里公園(旧・釜谷臼)・石狩太美・石狩当別・北海道医療大学、という順になります。すると、ご紹介の券は何か不自然なことがあることがわかります。

駅順からして「石狩太美からあいの里教育大・釜谷臼間ゆき」というのはあり得ないことで、しかも、釜谷臼駅とあいの里教育大駅の間には駅が存在しないことから、「石狩太美から釜谷臼・あいの里教育大ゆき」とするか、「石狩太美からあいの里教育大ゆき」とするのが正当であるミス券であるということになります。

ミスがあることに気づかれているのかいないのかわかりませんが、ミス券のまま、普通に使用されていたようです。

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JR東日本 印発機発行 自由席特急券誤発行券

平成元年にJR東日本管内のある駅で発行された、100kmまでのB自由席特急券です。


   


緑色JRE地紋の印発機券で、一番上にJR東日本発行であることを示す「口東」の符号があります。

現在でも自由席特急券の料金帯はキロ程によって区分されておりますが、初期のマルス券では距離で表示されておりましたものの、現在では区間表示となっており、このようにキロ表示のものは見かけなくなりました。


ところでこの券は100kmまでのB自由席特急券として発行されておりますが、発駅が「口区 東京都区内」となってしまっており、ミス券となってしまっています。「東京」としたかったのでしょうか、キーをまちがえてしまっているようです。

当時の印発機では操作盤の上部には各駅ごとに設定された口座ボタンがあり、首都圏の駅では都区内の特急停車駅からの自由席特急券の口座のほか、発駅名の部分が「___」と空白になって手書きで追記する「記自特」口座がありましたが、当然ながら東京都区内からという自由席特急券の口座は設定されていなかったハズであり、どのような経緯でこのようになってしまったのか不明です。


きちんと「ある駅」の特徴的な入鋏がなされ、「口ち」の検札鋏までが入れられており、幾重の検札があったにも拘わらず、そのまま素通りしてしまっています。

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備中高梁駅 硬券入場券

前回エントリーで広島印刷場のアンダーラインの位置がおかしいミス券を御紹介いたしましたが、同じく広島印刷場の80円券でまた違ったミス券が発見されています。


   


昭和54年2月に発行された、備中高梁駅の硬券入場券です。白色無地紋のB型券となっています。


アンダーラインは正当な位置となっていますが、「普通入券場」となってしまっています。恐らくこのミス券もアンダーラインのミス券と同じように他にもゲリラ的に発生しているものと思われますが、あいにく手元にはございません。


この券によって分かることですが、「普通入場券」という部分は1本化された一つの活字となっているものではなくひとつひとつ活字を拾って印版が作成されていたことが推察できます。

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新見駅発行 硬券入場券

昭和54年3月に発行された、伯備線・姫新線に属する新見駅の硬券入場券です。


   


白色無地紋のB型硬券で、広島印刷場にて調製されたものです。


国鉄の入場料金が80円であった時代は昭和53年7月8日から100円に値上げされた昭和54年5月8日までの11か月余りと短い期間でしたので、この券は運賃改定から8カ月くらいの時に発行されていますが、この券が発行されてから約1か月後には料金改定となってしまっているということになります。


良く見ますと、本来であれば駅名と「普通入場券 80円」との間の行間にアンダーラインが入る筈なのですが、印刷場で版を組む際に何らかのミスがあったのでしょう、「普通入場券」の下にアンダーラインが引かれてしまっています。広島印刷場の80円券においては他に鴨方駅や南岩国駅のものも同じ印刷ミスのあるものが確認されていますので、おそらく、アンダーラインのミスに気づかないまま、駅名部分のみ活字を交換して印刷が進められてしまったものと考えられ、他にも同じミスを犯してしまった券が存在していることが考えられます。

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