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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (162) 長尾家 75

2024年08月07日 08時44分28秒 | 甲越軍記
 新山城落城に先立つ日の事、黒田和泉守、金津伊豆守の勢いは次第に衰えて来たので、越中の諸将に対して援兵を催促したけれども、景虎は先手を打って越中、越後の境界の市振に砦を築き、上田修理進を将と定め置く。
越中勢は無理押しもならずむなしく日が過ぎるうちに、新山城は陥落し、大将の黒田和泉も自決して果てる、これにより黒滝城の金津伊豆守は力を落し周囲には味方も無く孤立の様相となった。

ここに黒滝城を包囲していた宇佐美駿河、中条越前、館四郎兵衛の三将は高梨源三郎らが新山の城を攻め落としたと聞き地団太踏んで悔しがった
我らもいつまでここにこうしておられようかと心焦らせ、三将軍議に及び、速やかに黒滝の城に押し寄せて金津の首をねじり取ろうではないかと意気込み早速に支度に入った。

ところが間もなく、陣内に疫病が蔓延して死する者も出た、宇佐美駿河までもが病を得てしまった
これがためにむなしく包囲のまま月日が去り、ようやく夏に至って病は消え去り天文十八年五月二十四日、中条越前、館四郎兵衛とともに五千余人で黒滝の城攻めを始めた。
中条越前守が先陣を承って城に攻めかかれども城中より激しく矢玉が降りそそぎ、寄せ手はこれに阻まれて身動きすらままならず、討たれるもの多し
中条越前守は悔しく思い、自ら馬を走らせて先頭に立つも敵は鉄砲だけでなく、大木、大石を転がして寄せ手を拒む
中条勢の死傷は累々と城門前に重なり身動きもならぬ、進退窮まった中条越前守に、宇佐美は使者を走らせて「急ぎ後方まで引き上げるべし」
中条越前は悔しき思いにかられたが、いかにもならずしぶしぶ後方に陣を移した。

これより宇佐美駿河は、いたずらに死者を出さぬために城際に寄せることを禁じ、やや後方より鉄砲を撃ちかける作戦に変えた。
その様子を城方は見届けて「さては府内勢は攻めあぐみ、遠巻きにして我らを兵糧攻めにする気らしい、されども敵陣を見るに兵士らは甚だ退屈の体に見える、士気も緩んでいるようだから今宵は夜討ちを仕掛ければ必ずや敵は混乱するに違いない」と勇み立った。



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