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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(178) 甲越 川中島血戦 5

2024年08月23日 09時15分11秒 | 甲越軍記
(yottin評 武田晴信(後の信玄は甲斐(山梨)の守護大名で、長野県を佐久地方から侵略して、中山道も北上して諏訪を攻め滅ぼし、佐久からは上田地方を狙って、信州でも一二の豪族、村上義清と上田で戦いを始めた
諏訪からは塩尻峠を越えて松本平を狙っているが、松本には信濃守護の名家、小笠原長時が強敵である、武田はオール山梨であるから結束が固く命令系統も統一されていてプロ集団である、一方信州勢は個々は強いけれど、皆おやまの大将で結束できず、個別では兵数で武田に太刀打ちできないから次々に打ち負かされてしまう、これが今にも続く盆地だらけで個別の経済圏で生きる信州の県民性である、因みに越後新潟県も信州同様広くて群雄割拠していたが、長尾景虎という武田信玄に負けないカリスマが現れたために統一された、そう言う意味では信州にはカリスマ豪族が現れず、互いにけん制し合ったために武田に併合されてしまったのである)

 村上勢は 武田家の 重臣 宇佐美駿河守を 討ち取って大いに意気が上がった さらに 勇み立ち勢いを盛り返さんとするところに 武田家の二陣飫富(おぶ)兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)、小山田備中守、同 左衛門尉 、武田典厩 (てんきゅう=晴信の弟)これを見て総掛かりで 村上勢に 立ち向かう
武田勢の精鋭 勢い強く 村上勢は再び切り崩された ここに大将 村上義清は味方の二百余騎に屈強なる 歩兵二百人を添えて これに武器を持たせ一騎に 一人当て従う、 戦となれば槍を 主人に渡すべし、 また力ある足軽 百人に 長身の 槍を持たせ義清の馬の前後に進ませ精兵百人に矢を竹エビラに背負わせ また足軽 50人に鉄砲を持たせ、弓隊と鉄砲隊は 助け合い 相互に それを放つ 都合六百余人 味方の敗走を横目に見て 晴信の旗本めがけて進み出た
弓隊には 敵を弓の的と見立てさせ 一矢も外すべからず 鉄砲隊には 三発撃ったなら 刀を抜き騎馬に従って槍脇を固めよ、騎馬隊は敵の騎馬に向かって突き進み 敵の馬をついて敵を落馬させよ ここを墳墓として 命を惜しむな敵を 絶滅させよ と二つの目玉 血に染めて 兵に伝えれば みなみな必死の 形相で武田方に攻め込む この勢いに武田方の第二陣といえども これに討たれる者多く たちまち崩れて敗走となった 
村上勢が本陣に進み来る中 晴信は「敵に後ろを見せるな 討ち死に を心がけよ一歩も下がるな死力を出して戦え」 と叱咤激励するが 村上の勢いは ますます激しく 武田方の手負い増えて 再び 切りくずされた
ここに後ろ備えの 馬場民部少輔、内藤修理正が 備えを押し出し横筋から突きかかり両将、兵に下知し「君の御大事 この一戦にあり 討ち死にして恩に報いよ」と叫ぶ、 自ら大身の槍を引き添えて 東西に馳せ、南北に駆け三度合わせ兵士らも 心を一つにして戦えば、村上勢は勇ましく戦えども 敵の新手に当たりがたく、 乱れたて 見えたけれども 大将 村上義清は勝敗に目もくれず 晴信の 首を取んと八方に目を配り、敵中に割って入り 探し回れば 遥か彼方に大将晴信とおぼしく 卯の花縅の鎧に 諏訪法性の兜をかぶり 黒き馬の太く逞しきに金覆輪の鞍おかせ、紅の厚房をかけてうち乗り士卒を 下知してあるを見て、すわ時は来たり大将義清高らかにうち笑い、真一文字に 切ってかかる 
大将 晴信 心得たりと 同じく太刀を向き合わせ ちょうと 受けてはっしと打ち二人が太刀打ち合うが 双方ともに高名の名刀なれば 勝敗はつかず その間に 晴信の 馬廻りが驚いて集まり、窪田助之丞槍を上げて義清の馬の首 ただ一突きにした 、たちまち 馬は立ち上がり 横に倒れれば大将義清たまらず 真っ逆さまに 落ちたところへ 村上勢十余騎 歩兵五十騎 余り集まり大将義清を馬に 助け乗せ村上勢ここに引き退く
この時、脇備えにあった 真田弾正忠 、諸角豊後守、浅利式部丞は 敵の 逃げ道を早回りして大将義清を 討ち取らんと 坂城の道を塞ぎ待ち構える
大将義清らは城への道を塞がれ城に入ること叶わず、 命あってこそ いつかは この屈辱をはらさんと 猿が馬場の峠の下 桑原へ 打ち出て そこから 古市を渡り 深き山に分け入り峰をよじ登り 谷を下り 越後の国へと 落ちていった 
今日辰の刻より 申の刻までの 戦いに 武田方が取った首は二千九百十九級、武田方の 打ち取られた者 七百あまり大将 晴信 も 2カ所の傷を被った。


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