神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

食欲旺盛

2024年08月04日 16時38分49秒 | 料理を作る・食べる
 ちょいとバテ気味なのか気分のせいなのか? ちょっと「らしくない」数日
考えてみれば手術後からずっと草食系の食事ばかりで、血肉となるものは消化が悪いということで禁食メニューだったが、手術から二か月半が既に経っている
さすがにもう解禁でも良かろう、よく噛み、量を少なめにしておけば良いかと、ラーメンから始め、体を確認しながら食べ始めた
胃腸の働きも良く、体重も増えてきてついに64㎏を突破した、逆にこれ以上太るのを阻止しなくてはならない。
とは言え、ここにきて暑さ半端なく、急に塩っぱい物を食べたくなった
筋子が食べたくて我慢できず、朝食前にスーパーへ買いに行ったが早すぎて筋子はなく、仕方なくタラコと糠イワシを買ってきた

糠イワシは私たちは子供の頃から「漬けどめイワシ」と言う
大振りのイワシの頭と内臓を取って、藁の菰に塩と米ぬかを大量に混ぜ合わせて、そこにイワシを放り込んでまぶして、木桶に漬物と同じように並べて詰め込んで大石で重しをして水分を抜きながら、イワシの漬物?を完成させる
魚屋だった時にこれを作って売ったものである、あの頃のイワシは二束三文だったが、今や一尾150円もする

糠は僅かに払う程度で、糠がついたまま焼く、イワシ脂を吸った焦げた糠の香りもまた香ばしくごちそうなのだ
ほぐして御飯にまぶして食べると、ぬか漬けの香りと香ばしさと塩分がたまらない、さらさらと行きたければ茶漬け、湯漬けで食べるのも良い
今日の朝食はこれで済ませた、昼は豚ロースを一晩下味をして寝かせておいたのをソティにして食べた
やはり肉を食べると元気が出る、しっかり筋切りもしたので柔らかいし、にんにくの香りも食欲を高める
副反応のひとつ、食欲不振も全くなく、むしろ食べたい気持ちを抑える方がたいへんな今の私である。






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (159) 長尾家 72

2024年08月04日 08時35分48秒 | 甲越軍記
 景虎勢は三条を攻め落とした勢いのまま、黒田和泉、金津伊豆が籠る黒滝、新山の城を攻め崩さんと出陣の用意をしているところに、府内の城より金津新兵衛が馬を走らせてやってきた。
「屋形兵庫頭殿、急病にして事は急ぐなり、直ちにご帰還をなさりませ」
景虎は驚き、黒滝の城の抑えに宇佐美駿河、中条越前、館四郎兵衛を置き
新山の抑えには色部修理、高梨源五郎、新津彦ニ郎、長尾備中を残してその夜急きょ陣を引いて府内へと向かった。

やがて屋形に会って、自ら看病をし、良き医師を主治医とし良薬を煎じ手を尽くさせた。
また府内の全ての神社仏閣に命じて回復の祈願祈祷を行わせた、されどもその行いの全てがむなしく、上杉兵庫頭定実公は黄泉の旅立ちと相なってしまった。
定実公は代々の主であり、姉婿であったから景虎の嘆きは尋常ではなかった
国中の驚嘆少なからず、各々喪に服した。
景虎は栃尾に置いて一宇を建立し、これを常安寺と号して浄安寺門察和尚を招いて開山とし数か所の寺領を寄進した
これは一つは兵庫頭定実公の菩提を弔うため、一つには景虎十三歳の時、門察和尚の介抱によって危うきを逃れたる恩返しという。

その頃、新山城の抑えとなっていた色部、高梨、新津、長尾備中は軍議を開き「ここで手をこまねいて無駄に日を過ごすより、ここは一当て戦を仕掛けて勇威を示そうではないか」と一致した。
そして時を定めて城に攻めかかったけれども、城中からは激しく鉄砲で応戦されて寄せ手の討死、手負いは多く成果は上がらない
近づくことも叶わず、再び遠巻きにして様子を見るだけであった。

城の大将、黒田和泉守は城内の兵の士気が衰えぬよう気を引き締めて、城内を見回っていたところ、二の丸のあたりで齢は二十を二つ三つ過ぎた女房を見かけた
女も大将に気づいて、あわてて近くの陣屋に入っていった
和泉守は女房を一目見るなり、その
艶やかさに目も心も奪われ心動いた、「今に至るまで、わが城の中にこのような美婦があるとは知らず、いったい彼の婦は誰の女であろうか」と常に傍にいる松山修理に問うと
「あれなる女は、山田源五郎の女房です」と答えた、和泉守は、その日はそれで去ったけれど、夜も日もあの艶やかなる女の姿が目に焼き付いて、悶々とする気持ちは抑えがたくいた
それを察した佞臣松山修理は「君、御陣周りの時に山田の妻女が目に留まったとお見受けしますが、自然御心にかかるならば何はばかることがありましょうや、城中にある者は全て日頃から君の御恩を受けていつ何時でも一命を投げうつものばかりであります、なんぞ一人の妻を君に捧げるを惜しみましょうや
すぐにでも召し寄せて今夜の伽を命じれば宜しい」と言えば
さすがに和泉守は諸将の手前それはなるまいと思ったが、劣情抑えがたく山田の妻女を呼び出した。
それを聞いた山田源五郎は驚き直ちに館を訪れて「戦に置いて御前で命投げうつは日頃より心がけておりますが、此度のことは馬前の一大事にも非ず、ただただつれづれの御戯れなれば、家臣たちの手前君の御名を汚すこととなりかねません、いかに卑賎の女とは言え某の妻であればどうかご容赦願います」と願い出た
黒田は心の中では怒りに満ちているが、それを抑えて「いかにもそなたが申す通りである、汝の妻であると聞いて何を所望するものか、今はつれづれの憂さを晴らさんと思ったまでである、せめて今宵だけ酒の杓を願いたいと思ったまでの事である、いかがであろうか」と言えば
山田源五郎も今宵限りと時を切って、この場を去った、去れども深夜になっても妻は帰らず、夜が明けて本丸に伺いに行けども番兵が遮って中に通さず、すでに十余日が過ぎてしまった。