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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(177) 甲越 川中島血戦 4

2024年08月22日 09時32分30秒 | 甲越軍記
  時は天文16年 8月24日辰の刻、 両軍は 互いに鬨を上げ、弓 鉄砲の打ち合うこと 激しく 矢玉は 雨の降るごとく、 顔を上げることもできない
そのような時 武田勢の中より曲淵正左衛門、 三科肥前守、 広瀬郷左衛門ら勇士一番に槍を上げて、真一文字に突入する
 村上勢の中からも、 原田十郎左衛門、八木宗七、松野一斎が出でてこれに当たり、火花を取らして戦うが、 武田の勢いは強く、原田十郎左衛門は 広瀬のために 槍を突き通されて 討ち死にする、松野一斎は あまりにも強く 打ちかかったので 槍の穂先は 折れて 太刀を抜かんとする時に、曲淵これにつけ入り討ち取る
八木宗七は三科のために 突き倒される、 八木の兄 、安中一藤太は弟の仇を討たんと大太刀を上げて討ってかかるを、 武田方の藤代七左衛門、安中と打ちあい討ち死にする
これより 両軍入り乱れ 喚き叫んで討ちあったが、 村上勢は義清が奮戦して一歩も下がらず 死骸を踏み越え激しく戦うけれども、 武田勢は矛先強く 村上の 先陣はどっと崩れて 逃げ出した、 武田勢は 今ぞと二陣にも攻めかかる、村上勢の二の備えもこらえきれず一同に敗走した
板垣駿河守は士卒を励ましてなおも追い打ちすること急なれば、 村上勢は引き返すこともできず 散々に敗れて逃げ去ったので
板垣 は ここで 人数をまとめ、 打ち取った 首の数を数えると、 150 余りだった
駿河守は去年一子 弥太郎が 晴信から歌を書いた扇子をもらったが、それを読んだ駿河守は歌の意味が、駿河守の慢心を戒めるものであることに気づき、それを遺恨に想い、時が来たら、晴信の面前で討死しようと心掛けていた
此度も味方を離れて、敵陣の目の前で首実検をすること誠に不敵であった。

村上勢の先手として討ち死にした八木宗七は上杉管領憲政の幕下で上野の安中の弟であった
浪人して去年より村上の配下となる、八木の兄、安中一藤太は弟を討たれたことを無念に思い、物見として板垣の陣まじかまで行くと、板垣陣は首実検の真っ盛りであった
安中は陣営に戻り、義清に「板垣駿河は味方より離れて、大胆にも陣の前にて首実検をやっている有様は傲慢にて、しかも油断あり、これを討つは今であるから某に御勢を貸してもらえば、板垣を必ずや討ち取ってみせます」と言えば
義清も「もっともなり」と言って、安中に士卒二手を与えた、一藤太は大いに喜び勇んだ、そして旗差し物を巻いて静かに板垣の陣を迂回しながら近づき、頃合いを見て一斉に鬨を上げて攻め込んだ
突然の敵襲に驚いた板垣勢は慌てふためいて右往左往とするところ、安中勢は切っては当たり、手先を回して討って回れば、板垣勢の手負い死人数知れず
板垣は慌てず、馬回りを四手に分けて四方に当たらせる
しかし味方陣より離れていたために小人数であったがゆえに防ぎかねて見えるところに、一藤太は屈強の若党十人ばかり引き連れて、板垣に打って懸かる
安中の士卒、左近丞は板垣の顔を見知っていたので、「これこそ板垣なり、討ちまらすな」と言えば、千介、甚介、上条織部、四方から槍をつければ、数か所の傷を負っている板垣は神心も乱れて、ついに討ち取られる。
村上勢は安中勢が板垣の首を上げたと聞き、勢いづき武田勢の二陣に向かって面を振らずに一気に攻めかけた。


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