神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

貧乏暇無し

2020年05月16日 08時53分23秒 |  コロナ騒動

仕事がないから、閑が多くて体が退屈しているかと思えば

そうでもない

そもそも「仕事がない」という言い方は間違っている

「仕事はある」自分が動いているのは何かしらの仕事があるからだ

肉体労働だけが仕事というわけではない、頭脳労働もあれば

勉強することも、知人のところを訪ねておしゃべりするのも立場上

仕事といえる

そんなわけでなかなか忙しい身なのである

こんな時だからこそ家の中の片付けや、障子張りの続きなど

したいのだけれど仕事にかまけてなかなかできない

それに、これからの営業方針を決めて社員に発表するのも重要な

仕事なのだが、予約のお弁当や宅配料理を作るのも私がメイン

なので仕入れに下ごしらえ、料理作りと僅かな数でも半日かかる

料理作りというのは1人前だけ作るのが一番たいへんだ、茶碗蒸し

1ヶ作るにも、卵を溶き、カツヲ出汁をとり、蒸し器で蒸し、具だって

5~7種は入れるから,ロスが大きい

結局、茶碗蒸し1つでも5つでも手間は同じで、ロスを考えれば

5つ作る方が遥かに効率的なのだ

しかも後片付けは1ヶでも5ヶでもほぼ同じ量、同じ時間だ

仕事数は少なくてもかかる時間は同じだから、本当はこの程度なら

やらない方が(利益につながる)

ところが損得だけで計れないのが商売だ、仕事量をゼロにすると

社員がいらなくなる、解雇しないにしても会社に来る必要がなくなる

この2ヶ月はまさにそのような状況だが、社員には交代で1ヶ月7日ほど

出社させている、部屋が多いのでその掃除やトイレ掃除、雑草取り

などしなければ来客がなくても汚れが浮き出してくる

それに私の仕事の手伝いやご飯炊き、後片付けなどそれなりに

仕事はある、因みに1日6時間の仕事だ

これだけの出勤だが給料は基本給100%補償している、だから経営は

日々苦しくなってくる、収入ほぼゼロで経費はいつもと同じだからたまらない

でもここは踏ん張りどころだし、自分が神様や亡くなった親父殿に試されて

居るのだと思って励みになっている

日頃からの人脈が、こんなときにはありがたく感じる、随分と助けてもらった

これからはコロナ騒動でご無沙汰していたコンサルタントの先生にも

アドバイスをいただいたりして、まったく新しい営業方針を作っていく

 

今までの常識は通じない世の中になる可能性はある、とくに飲食業は

それが顕著になる、食事を楽しみながら感染ではシャレにもならないし

食事ならともかくコミュニケーション重視の会席が、離れて横並び

無言で手酌でやりなさい」では何の為の会席かわからない

こんなやり方が定着するのだろうか、そうなれば宴会と言う言葉も席も

忘年会、新年会、歓送迎会、お楽しみ会、懇親会、親睦会などとともに

消え去ることになる

クリスマスパーティも運動会も文化祭も同じ事だ、毎年感染が起これば

伝統のお祭りもイベントも消え去る

だが政府だって専門家だって、そこまで悲観的ではないだろう

しかし「まさか」は起こりうる、でもおこらないかも知れない、これは

感染者は隣に居ないだろう、我が町には居ないだろう

しかし「いるかも知れない」と同じで、そんな疑心暗鬼の世界が続く、

続かないかも知れない

??? いやな世の中になった

そんなに深刻に考えないで今まで通り突き進める人間が生き残る気がする

いろいろ制限はされるけれど守らないでやれる奴が強い、強制力がない

というのはそういうことなのだ

こんなブログを書いている私は弱い人間なのだ、「他にやることあるだろ」って

叱られそうだ、突き進む奴は笑っているだろう

 

ここを乗り切れば、何度か書いたが70歳頃の危難を乗り越えれば平穏な

人生を送られる」という手相見の言葉が現実におこっている

「乗り越えれば」であって、「乗り越えられない」もありえる

ここで負けるわけにはいかないのだ

 

 

 


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