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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(92) 長尾家 5

2024年05月07日 10時19分19秒 | 甲越軍記
 為景が越後に攻め込んだという知らせを越後府内で聞いた上杉顕定(あきさだ)は、憲房(のりふさ)を救おうと府内を発って兵部大夫憲房が籠る、椎谷の城に入り軍勢を集め始めた。

この時、出羽との国境辺りに蜂起する為景方を討伐するため、上杉勢の宇佐美駿河守、中条越前守など味方の諸将の多くが下越後に出張していて、顕定の陣に駆けつけることが出来ず、椎谷の城に集まった加勢は僅かであった。
そこに為景勢が潮の満ちるがごとく攻め寄せ、昼夜を問わず攻めかかるが、上杉勢は少しもこれを恐れず、矢石を飛ばし、厳重に防戦するので攻め手の死者、負傷者おびただしく攻めあぐんだ。

顕定は城中の勇士を選りすぐり、朝駆け夜討ちに不意を打って為景勢を混乱させた、それは神出鬼没で寄せ手を悩ませた
そんな攻防が三か月も続いたが一向に城は落ちる様子はなく、守備方の意気もますます高まるばかりであった。
しかし為景とて、手をあまねくばかりでなく、攻城の一方で越後国内の各地に使いを飛ばしたので日々為景に同心する諸将が増えて、ついには越後の大方が為景の味方となった。
攻城の為景方はますます勢いを増して、城に攻めかかるが城方は大木、大石を転がして抵抗を強めるので一向に状勢は変わらず、為景は歯噛みして城を睨むばかりであった。

信越国境の豪雪も溶けた六月上旬、為景が頼りにする高梨摂津守が大軍勢を率いて為景の陣に合流した。
数に任せての総攻めとなった、守備側は援兵の当てはなく、攻め方は新手、新手を次々と繰り出す
ついに城方は支えることも得難く、城門を開いて各々に為景軍へと討ち入り七十騎、八十騎と打ち倒すが雲霞の如き敵は新手を繰り出し、各所で城方は討ち取られていった
大将、兵部大輔上杉憲房も兵を率いて馬を走らせ、寄せ手の中に切り込めば、たちまち敵勢の数多を切り崩す、さすがの大将、寄せ手は引き、引いては寄せる采配で六度までも攻め寄せて大いに長尾勢を混乱させたが、いかにも敵は大軍でついには付け入る隙ができるようになった

大将、顕定は五百騎を率いて長尾勢のまん真ん中に「どっ」とわめいて切り込んだ、中にも森喜左衛門と名乗り、槍を馬の頭に引いて真っ先にかけて勇をもって突きまくれば、長尾勢は恐れて引き下がる
これを見た長尾勢の中より照田常陸介が馬を走らせて森の前に立ちはだかった
双方、共に名誉の勇者であれば上段に開き、下段に閉じ互角の腕前は譲ることなく激しく突きあう
ついに常陸介の槍が勝って森の内兜を突けば、滴る血が目に入り見えぬところを常陸介の二槍が森の胸板を貫き、どっと落馬した。

片島主税は本庄大和守と渡り合い討死、両軍互いに入り乱れて誰が敵か味方かも定かでなく、砂煙は天まで舞い上がり朧月夜の如し
互いに死ぬもの傷を負う者の数知れず、無勢の上杉といえども少しも多勢を恐れず切れども討てどもひるむ者は一人もない
しかし兵部大輔憲房は「今はこれまで」と手兵を円陣に備えて、敵のど真ん中へ駆け抜け、ついには天命を得て上州めざして落ち延びた。

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