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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 90 悩める前田利家

2022年12月11日 17時40分50秒 | 貧乏太閤記
「前田さま、お久しぶりでござる、お松様は息災でありましょうか」
「ははは、何年ぶりであろうか」
「さて10年は経って居りましょう」
「まことに珍しい、この大雪の中を越前から来られるとは、なんぞ危急の用でございまするか?」
「ズバリ申すが、親父殿(柴田勝家)からの言伝じゃ、『信孝様と信雄様の仲がただ事ではないが、これについて羽柴殿はいかが思われるか』、また親父殿は信孝様、羽柴殿は信雄様と懇意だが、『もしこの二人が跡目を争って戦にでもなれば、羽柴殿はどのようになさるのか』、それを聞いてまいれとの仰せである」
「ははは、それであったか。 たしかに言われる通り儂は信雄様、柴田様は信孝様と懇意である、それゆえ二人が仲よう織田家を守り続けることが第一と思うておる、ゆえにわれらは大人の役割として、それぞれに仲ようやる様に言い聞かせる義務があると思うておる、
序列から言えば信雄様が織田家の当主として、三法師様元服の儀をすませて織田信秀様となられたのじゃ
その信秀様を安土城に迎え入れたばかりである、すでに信雄様には御屋形を下りていただき今後は信秀様を殿とお呼びすることに決めたばかりであった、柴田殿にもそのようにお伝え願いたい
回りは織田家が内紛でいつ壊れるかと虎視眈々としておる、織田家が二つに割れて大戦争となればいずれが勝っても大きな痛手となるであろう、上杉家の二の舞よ、それだけは避けねばならぬ、そのように伝えていただきたい」
「承知仕った、そのように伝えもそう、それともう一つ言付けがあった」
「なんでござろう」
「親父殿は上杉の力が弱まったゆえ、越前は丹羽なり、佐々なり、儂に任せて、自分は畿内に戻りたいと申して居る、此度光秀退治ができなかったのも遠い越前にいたからで、これからは近くで信秀の殿をお守りしたいと申して居る、山城か近江か大和を一国でよいから代替え地としたいとのことである」
「ほほう、それはごもっともでありますな、お屋形様が討たれたのも都を手薄にしていたからだ、勝家殿の申されることごもっともでござる、丹羽殿と相談して回答いたすと伝えてくだされ」
「わかりました、どうかよしなにお願い申す」
「さあ、今宵は使者の皆様を歓迎いたす宴じゃ、ゆるりとお楽しみくだされよ」

その夜は秀吉、秀長も戻っていたし、官兵衛、蜂須賀家政、小六正勝、蒲生氏郷も加わって3人の使者をもてなした。
宴が終わると秀吉は「旧交を温める」と言って、前田利家を茶室に誘った
「又左殿、本音を申そう」「うむ?」
「もはや信雄、信孝の戦は避けられぬ、ゆえに儂と柴田も敵味方となって双方に味方して戦うことになる」
「なんと、それではさきほどの話は、嘘なのか」
「いかにも、金森らが居た故、柴田の耳触りの良い話をしただけじゃ、それに柴田とて、おぬしらを使いに出したのは儂を安心させて、その間に戦支度をしておるにきまっておる、嘘だと思うなら能登に帰る前に北の庄を探ってみればわかることじゃ」
「まさか・・・」「無理もない、だが見ればわかる」
「ふ~む、なれば儂とそなたは戦場で相まみえ槍を交わすか」
「そうじゃのう、お主は強すぎる、わしの細首などたちまちすっ飛んでしまうわ・・・ははは、それではうまい飯も食えんくなるでのう、くわばらじゃ」
「笑い事ではないぞ」
「そうさ、だからこそ前田殿に頼みがあるのじゃ」
「なんだ?」
「もし戦となったら、わしに味方してくれ、柴田を裏切ってくれ」
「なんと、わしに卑怯者になれと言うのか!」
「そうじゃ、あえて頼むのじゃ、織田家がこれからもこの国を従えるにはそれしかないのじゃ、儂か柴田のどっちが勝つか誰にもわからん、おそらく畿内、尾張、美濃、伊勢、越前、若狭以外の者共は静観して勝負の行方を見て、勝ち馬に乗ろうとするであろう、だが双方の力は拮抗しておる、謙信と信玄の川中島じゃよ、痛み分けしているうちに徳川、北条、毛利が力をつけてトンビに油じゃ、その二の舞はしておれぬ、素早く勝負を決めてしまわねばならぬ」
「・・・・」
「儂が勝てば、信長様の天下統一の夢が果たせる、お屋形様の夢が叶うのだ、権六や滝川の考えでは勝っても、また戦国時代に戻るだけじゃ、必然的に儂が勝たねばこの国は南蛮人の餌食になるであろう」
「いかにも」
「それに、このいくさで儂かおぬしのいずれが死んでも、お松さまも、ねねも悲しむことになる、二人とも生きることを考えにゃのう
勝家に義理を張るか、儂との友情を優先するか、よぉ~考えてみてくれ、いずれにしても儂か勝家の一方は死なねばならぬのじゃ、そのカギを持っているのは前田利家じゃ、命を預けようぞ」
「儂を困らせるか・・・・」
「そうじゃ、おぬしに儂の命はたった今、預けたのじゃ、儂を生かすも殺すもおぬしの胸一つじゃ、どうなろうと恨みはせぬ、儂がおぬしに願うのはただ一つ『ここが天下分け目』と思ったところで、お主の判断で動いてもらいたいということだけじゃ、それまでは柴田の与力でいかように働こうとかまわぬ、また柴田に義理を果たしたければ、それもよしじゃ、儂の運がなかったとあきらめよう、さあさあ話は終わりじゃ、儂の茶を味おうてもらおう」

翌朝、三人は雪の越前へと戻っていった
だが出発前に秀吉が利家にそっと言った
「帰ったら、柴田殿に『長浜の勝豊はすでに秀吉方に寝返った』と伝えてくだされ、真かどうか城下に立ち寄ればすぐわかる」

 使者として秀吉に会って、その帰り道、前田利家は秀吉か勝家かとずっと悩みながら歩いていた、長浜城下では秀吉が言った通り、城主の柴田勝豊は秀吉側についたとの話が本当だったと確認したし、北の庄城に勝家に報告に言った時、勝豊の裏切りには腹を立てたが、それ以外は上機嫌で
「まあ良い、おぬしらが秀吉に会って居った間に戦支度がかなり整った」と秀吉が言った通りだったので利家は秀吉の「見通す力」の確かさに舌を巻いた
そうとは知らず勝家は
「前田利家、そなたが先陣じゃ、二月末には出陣するから能登に戻り戦支度を急いでくれ」と言ったのだった。
 滝川の要請を柴田勝家は引き受けた、2月末になって国境の雪も少なくなり、近江に出るのが容易になったのだ。
 3月に入ると同時に勝家は前田利家に3000を預けて先鋒として近江に進出させた、そして自らも甥の佐久間盛政ら2万を従えて10日後に北の庄を発った





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