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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 91 決戦 賤ケ岳

2022年12月12日 17時20分57秒 | 貧乏太閤記
 秀吉は昨年内に、柴田が無理押しで奪った長浜城を取り囲み柴田の養子、柴田勝豊を降参させて。そのまま味方として城を預けておいた、もともと柴田勝豊には勝家への不満がたまっていたのである、柴田勢は長浜より手前で立ち止まらざるを得ない。
柴田勢2万は余呉湖手前の高地に万全の陣形で立ち止まった
羽柴勢も余呉湖周辺の堂木山周辺に前線、東の大岩山周辺、後方の賤ケ岳、木ノ本と砦を築いて散開している
秀吉の本隊はここにはいない、北伊勢の滝川勢、東の信孝の岐阜城を信雄と共に牽制しているのだ、岐阜城にいた市と三姉妹は信孝が以前降参した時に、信雄が清州城に引き取ったし、同じく三法師信秀は安土城にいるから今度は容赦なく岐阜城攻めができる、とはいえ今回は柴田、滝川も同時に立ち上がったので岐阜城は簡単には降参しないだろう。
秀吉にとって簡単な戦ではない、利家に言った通り柴田か秀吉のどちらかの首が落ちる最後の決戦になりそうな雰囲気である。
柴田勢には「瓶割り柴田」の勝家はもとより、「槍の又左」の前田利家、「鬼玄蕃」の異名をとる佐久間盛政ら武闘派がそろっている、ただ百戦錬磨の佐々成政は富山城で上杉勢に備えていて参戦していない。

 羽柴軍の前線、余呉湖周辺の兵数は全部合わせても8千ほどしかいない、
それでも柴田勢が出てくるよりはるか先に防御陣地を構えて、厳重に守備しているので柴田勢も山岳戦ゆえ容易に攻める糸口が見つからず、互いに1か月ほど睨み合ったままである、
その間、秀吉本隊は滝川を攻めるが、滝川もかっては秀吉と争うほど手柄を立てた信長のお気に入り武将だから負けない、僅か6000ほどで分散して城に籠り、2万の羽柴軍の攻撃に耐え続けている。
一方、信孝が籠る岐阜城も険しい山の上の難攻不落の城だから、門をしっかり閉じて攻め寄せる信雄の軍に矢と鉄砲、大きな石を投げて抵抗するから、信雄軍の犠牲が増えるばかりである
そんな風に、勝負の行方は全く分からなかった。

 しかし戦線がついに動いた、先に動いたのは柴田軍であった
「伯父上、儂がこの戦を勝たせて見せましょう、兵を8000ほどいただけば、敵の陣の一つ二つ攻め落としましょ、さすれば一気に有利になりますぞ」
勝家もじれていた、そしてこの甥の佐久間盛政が鬼玄番と恐れられて幾度も敵を粉砕した実力も知っている
「よしわかった、お前のことじゃから間違いなく敵将の首の一つ二つはとるであろう、しかし首は取ってよいが落した砦に長くとどまってはならぬ、秀吉の本隊がまだおらぬから、それが来ればこちらは陣を固めなければ敗れるであろう、必ず元の陣まで戻る様に、それが条件じゃ」
「わかり申した、伯父上、大いに期待されるがよい」
真夜中まで待つと佐久間隊8000は闇に紛れて敵陣奥深くまで入っていった、そのあと1時間ほどしてから前田隊3000も南下を始めた、前田隊は敵陣最前線の手前で陣を敷いた
佐久間隊は羽柴軍の最深部賤ケ岳まで進んだ、真夜中の羽柴軍の砦はどこも寝静まっている、気づかれぬようにしながら羽柴軍の最重要地の砦、ベテラン中川清秀の大岩山砦、高山右近が守る岩崎山砦の中間から同時に双方へ攻めあがった、どちらの砦も500~1000で守っているから、気が付いた時には佐久間隊それぞれ3000が砦の門を打ち破っていた
ほとんど応戦する間もなく大混乱のうちに中川清秀の首がとられて大岩山砦は落ちた、一方の岩崎山砦は物音に気付くのが若干早かった、そのために「敵だ」の声に外を見るとものすごい数の松明が山を登ってくるのに気づいた
昼間ならともかく、夜の闇でしかも寝ていた兵が多かったからとても太刀打ちできそうもない、守将の高山右近は
「引け、引け、山を下りて木ノ本まで撤退じゃ」
高山隊500は、ほとんど犠牲を出さずに木ノ本まで逃げた、同じころ大岩山の裏手の賤ケ岳砦にいた桑山隊500は、寝ている間に敵が目の前を通り過ぎたことにも気づかず、物音を聞いて目を覚ますと目の前の大岩山砦は敵で溢れていることがわかったので、これも無傷のまま裏手から木ノ本へ撤退した。
同じころ、最前線の堂木山砦を守っていた柴田勝豊の家老は背後に前田隊の旗印を見ると再び柴田側に寝返って、目の前にいた羽柴方の掘隊800に鉄砲を撃ちかけた、戦上手な堀秀政は逆に鉄砲を撃ち返して、攻め寄せた柴田隊を追い払った、そして撤退せず、もう一隊と共に見晴らしの良い最前線を守り抜いた。

 「敵が動いた」の知らせは12里南の大垣城にいた秀吉本隊に早馬で知らされた、秀吉は驚いたが「動いたか」と満足そうに言った
すぐに織田信雄に「われらは柴田との決戦に向かうので、信雄様は岐阜城と桑名城を取り囲んで追撃させぬよう頼みますぞ」
信雄も15000を二手に分けて防御態勢に入った、しかも山は雨が降ったのか岐阜城の前の長良川は反乱するほど水かさが増して濁流になった、これで岐阜の兵がこちらに来る心配が無くなったので、主力を伊勢方面に投入することができた、大和の筒井順慶も兵を出して滝川を牽制した。
 秀吉は使者を馬で数十騎先駆けさせた
「5里先からの街道の村人を起こして握り飯と替えわらじの用意をさせよ、松明(たいまつ)も用意させよ、兵は皆走りに走れ、途中百姓から握り飯を貰って食べて走れ、わらじが切れたら百姓が用意してあるから履き替えよ、松明が消えたら松明ももらえ、よいか木ノ本まで6時間でつくように死に息で走れ、騎馬隊は3時間で木ノ本まで行き、隊列整え足軽を待て」
秀吉本隊2万が動いた、闇の中を松明の炎が延々と連なって走った。

 勝家のもとに佐久間玄番が敵の大岩山、岩崎山の砦を落したことが伝えられた、勝家は報告に満足した
「さすがは玄番じゃあっぱれ」とほめそやした
一方、大岩山の佐久間はもう一人の大将で実弟の柴田勝政に賤ケ岳を襲うよう指示した、しかしそこは既に逃げ去ってからになっていたので勝政はそこを占拠して防備を固めた、佐久間は
「思ったより羽柴軍は手ごたえがない、秀吉は滝川殿と三七殿にてこずって大垣から動かれまい、この隙に一気に木ノ本も攻め取れば秀吉を袋のネズミにできるであろう、われらは木の本に攻め下るゆえ、前田殿には前進して大岩山に入るよう伝えてくれ、また親父殿には本隊を堂木山砦まで進めるよう注進するように」と伝令を走らせた。
これを聞いた勝家は青ざめた、「馬鹿者が、数で劣る我らが戦線を長くのばせば、秀吉が戻ればたちまち分断されて各個撃破されてしまう、すぐに大岩山を捨てて戻ってくるように伝えよ」
またもう一人伝令を受けた前田利家は「木ノ本へ下るなど危険この上ない、親父殿が言われた通り、すぐに引き返すよう申せ、わしはここでとどまっておる」と伝令を𠮟りつけた。
しかし勢いづいている佐久間玄番盛信は若く血気盛ん、手柄を立てたくてうずうずしている、「すでに手柄は立てたから戻りましょう」と言う古参の家臣に耳を貸せず「ここまでくれば勝ったも同然じゃ、一休みしたら列を整えよ、勝政の隊と共に一気に下って木ノ本を占領するぞ」
勝家はいよいよ青ざめ、今度は真っ赤になって怒り出した、「馬鹿者が、これではわれらは負けてしまう、何が何でも引き留めよ」



田舎暮らし

2022年12月12日 07時50分46秒 | ライフスタイル
この頃は毎日寒い、外に出るのも嫌だが、歩く癖がついて小雨なら傘をさして歩く、少し強ければやめる
天気予報を見ると、見事に北陸、越後、北信濃は雨曇小雪、それ以外は晴れマークが広くついている
どうも冬は、というか冬の香りがしてくるだけで私の心は萎えていく
スキーを楽しんだ20代までは冬も楽しい季節だったが
仕事漬けになってからは雪は邪魔者以外の何物でもなくなった
高齢になって除雪は苦痛だ
雪はハンディであり、経済活動が3か月停滞する
雪国の社会は、無雪の社会に比べると30%は生産性が低い
大都市に比べると生産性も収入も売り上げも50~60%だと思う
よくも、このような土地に70年以上も暮らしてきたものだ
そしてこれからも死ぬまでここで暮らすことになるのだろう
意気地なしなのだ、結局
ここにいると安心で、冒険しなくても生きていかれる
そう、生きていかれる
かっこ悪くても生きていかれる
ほんと、かっこ悪いけど、生きている
それだけが田舎暮らしの特権かな