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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 109 後陽成帝の行幸

2022年12月30日 17時27分07秒 | 貧乏太閤記
 秀吉の側室は、ほとんどが大名の娘か公家の娘である
そのことを大坂や京の富裕層の町人たちは知っている、そしてこう陰口をささやく
「関白も、元をただせば百姓であったそうな
卑しき身分ゆえ、高貴な身分で生きてきたお公家や大名にはたいそう憧れていたそうじゃ、それでも信長公が存命のうちは、その欲望を隠して居った
だが、信長公が死んで、天下が転がり込んできて一気に抑えていた欲望が爆発したのじゃ、信長公の姪さえも側室にしたとか」
「なるほど、そうかもしれぬ」
「今、関白が望むことでできぬことはないであろうよ、関白もそれに気づいたのじゃ、下賤な育ちゆえ、その気持ちは信長公などとは雲泥の差じゃ」
「そうじゃのう、努力しなくても当たり前に得ることができる者と、力を誇示しなければ得られない者の違いじゃの」
「その通りだ、関白は力で押し通す、一方関白に狙われた姫は逃げる術がない、その親にしても蛇に睨まれたカエルじゃ、一族皆、自害の覚悟がない限り拒むことはできない、だがそれは高家の者にとって屈辱でしかないからのう」
「関白から見れば、それは喜びじゃのう」
「いかにも、そうじゃよ、かっては自分を虐げていた気位が高い相手程、関白にとっては楽しいはずじゃ」「嫌な性格じゃのう」
「仕方あるまい、田の泥にまみれて生きてきた関白だからこそ、高貴な者を汚すことで溜まっていた鬱憤を晴らすことになるからのう」
「わかる気もする、儂ら庶民にはのう、儂もそんな身分になれば何をしでかすかわからぬからのう」
「まさに、その通りじゃ、高貴な姫君と一夜を過ごしてみたいものよ、ぬかみそ臭い女房とは雲泥の差であろうのう、何とも言えぬ香木の香が全身から薫るのであろうか・・関白様が羨ましいわ」
「ははは、我らには無理な話じゃ、ぬかみそを味わうしかあるまい」

 徳川家康. 三河の小大名の嫡男として産まれた家康は、20代まで人質として育った、これも苦労人である
人質時代に今川家の中堅武将の娘を正室として娶らされた
その正室、築山殿はずっと家康を見下し、家臣に接するような態度を貫いた、最期は謀反の疑いで家康が斬り捨てた、それ以後、秀吉の妹、朝日を押し付けられるまで正室は持ったことがない
もちろん側室は秀吉に負けぬほどいる、秀吉との違い家康には男子だけで11人産まれた、その母親たちは何人かいるが、ほとんどが身分が低い武士の娘であった、中には出産経験があった者や、百姓の娘も居たという
だから秀吉の妹、朝日も昔は百姓の娘であったから、家康には何となく合う部分があったのだろう。
秀吉と家康の側室の好みが対照的で面白いから、時々、小説でも取り上げられる。

 聚楽第の生活もようやく落ち着くと、秀吉はかねてから考えていた天皇の聚楽第への行幸を実現させようと動き出した
そして来年の4月に行うことを正式に決めたのである。
織田信長が献身的に保護した106代正親町(おおぎまち)天皇は昨年、古希を一期に皇子の誠仁(さねひと)親王に譲位するつもりであった
親王は34歳であったが戦乱が続き、親王宣下を受けることなく、昨年薨御(こうぎょ)なされたのであった
その為、親王の皇子、15歳の和仁(かずひと)親王が107代後陽成(ごよううぜい)天皇となられたのであった、

ところが秀吉は聚楽第完成の喜びを来年まで待つことはできなかった
10月に北野天満宮で野点(のだて)の茶会を開催することにした、
松原美しく北野松原とも呼ばれる自然あふれ渓谷美も備えたここは、全国12000天神社総本社、村上天皇947年に夢お告げから造営された
ご祭神は、学問の神様菅原道真公(北野天満宮HPより)
京だけではなく畿内および周辺、博多までも触れを出した
秀吉が駿河以西の平定を成し遂げ、北条、伊達など全国の大名に戦争をやめるよう命じた国家統一を祝った催しなのだ
町人、庶民まで誰でも自由に参加して良いという歴史始まって以来の大盤振る舞い、しかしさすがに平民は恐れ多くて参加する者はなかった
だが一定の財を成した者、名声を得た者、公家、大名、大商人などがご機嫌伺いも兼ねてやってきた
社殿には中央に豊臣秀吉が黄金の茶室を構え、堺の大商人で茶の道の大家、千利休、津田宗及、今井宗久がそれぞれに茶室を構えて来客をもてなした。
境内では茶道に名高い名士も思い思いに茶室を設けて、茶をふるまった
この日、来場した人々は1000名ほどだったという
秀吉主催にしては拍子抜けの少ない人数であった、気難しい京都ならではかもしれない、それにメインメンバーが堺の商人と言うのも気に召さなかったのかもしれない
大成功とはならなかったが、秀吉の威厳を示したことは間違いなかった
来年には本番の正親町天皇の聚楽第行幸を控えている

 足利義昭が毛利領から京に戻ったのは、それからしばらく後であった
茶会に間に合わなかったことを彼は大いに悔しがったが、秀吉が義昭の為に新築した京屋敷にたいそうな満足を示した
秀吉は更に隠居料として義昭に1万石を与えた、義昭の手足にあった鋭い爪は跡形もなくなっていた、生涯義昭は秀吉のお伽衆となって穏やかに暮らした
翌年1月には征夷大将軍を自ら朝廷に返上して入道した、名前も昌山道休とした。 朝廷からは道休に公家の中でも最高位の准参を授けた
また秀吉も道休を家臣の最高の地位を贈った、それは徳川家康、前田利家ら五大老よりも上の地位であった。

 4月、後陽成天皇の行幸の行列は、都に住む人々にとっても、これほど大掛かりなものは初めて見る
甫庵太閤記によれば、華やかなる行幸と言えば延喜(えんぎ)年間の醍醐天皇、天歴年間の後村上天皇、室町幕府三代足利義満への後小松天皇、六代義教の時の後花園天皇の行幸より凡そ二百八十年ぶりである

 行幸、その豪華で華麗なる大行列は、滅多に驚かぬ京の人々を感嘆させた
烏帽子の武士団が先駆けで、続いて華やかな輿の天皇の生母と、輿に乗った高位の女官たち、さらにお車や輿の左右に警護の武士たち、既に通りの左右には6000人の警固の武士たちが並んでいる
そのあとを前関白と右大臣、内大臣、大納言ら高位の公家、皇族の行列、さらに護衛や傘持ちなど御付きの従者ら、その後には中将、少将、大将などの公家衆が50名ほど、そのあとを楽人が安城楽を奏でながら続き、後陽成天皇の輿が見えた、それに次いで左大臣近衛公、内大臣織田信雄公、続いて烏丸大納言、徳川大納言など大納言、中納言が20名ほど、そのあとに関白豊臣秀吉の輿が見えた。
そのあとを石田三成ら馬上の武士が70名ほど続く、その後には随身など様々な、お役目の者たちが500名続き、そのあとからは加賀少将前田利家など主だった大大名が二列に並び50名ほど、それに従う武士たちの数しれず
馬上の武士のきらびやかな装いは京の景勝地の春の新緑、秋の紅葉を見るような見事さであったという。
その行列の長き事は、天皇の輿が聚楽第の門をくぐったとき、関白の輿はようやく御所を出たばかりであった



第三の人生、二年目に入る

2022年12月30日 07時39分48秒 | ライフスタイル
  71歳7か月で、私の新しい人生が開かれた
それから364日が過ぎて、あと1日で新しい年を迎えようとしている
過去に経験したことが無い不思議な生活、それがこの一年だった
人間関係がどうなるんだろう、生活形態がどうなるんだろう、何もかもが新しい経験
新しいと言ったって「New」ではなく「First time」
親の稼ぎで養ってもらっていた18年間が最初の人生で、それからはずっと働きずくめでやって来た人生、それが第二の人生なら
71歳7か月からの人生は第三の人生なのか
もう「夢とか希望」を持っても意味がない歳になった・・・と言いたいところだが、もう一度夢と希望を持つのも悪くないかな
体力的にも金銭的にもできなくなったことはたくさんあるが、できることもそれと同じくらいあるはず
 断捨離に苦労している私には、もう物はいらない
叶うことが無いだろう夢を見て楽しむ、たどり着かぬ希望を持って楽しもう

 でも第二の人生では、やりたくてもできなかったことが、第三人生の今ならできる、それは時間を自由に使える人生が始まったから
例えば、玄関を出て、そのまま気の向く方に歩き出し、どこまでも時間が許す限り歩き続けることができる。
朝、目が覚めたら、そのまま夜まで寝ていることもできる
いろんな人から「うちで働かない」と誘われたけど「時間に縛られ、今よりおいしいものを食べられる人生」より、「粗食でも自分の思い通りに時間を使える人生」の方が良い 物欲の為に時間を失いたくない

 私の社会的レベルでやれることは、だいたいやり尽したし、なかなか体験できないレアなことにも出会ったから悔いはない
仕事だって十分働いてきた、大谷君みたいに年収数十億円も取れなかったけど、明日食べる米が無いほど貧しい生活でもなかったし
何といっても健康で過ごしてこれたことが一番のご褒美、まだしばらくこの元気があるうちに、やれることをやる
来年の目標は立てる、夢もいっぱい書く、一年後「やれなかった」としても腐らず、落ち込まず、またチャレンジすれば良い
誰かに言われて始めることじゃない、自分が決めたことだからパスしても、誰に迷惑かけるわけでもないし
新しい年が始まる、去年よりは少しだけ心の余裕が増えているだろう
今年よりは少しマシな一年をすごせたら「ハッピー」

たまに16時半ころビールを飲みながら思うのです
「おれ、今ビールなんか飲んでいていいのだろうか? なにか仕事を忘れているんじゃないか」と、もう365日目になるのにね