江戸時代後期に起きた県内最大の農民一揆の犠牲者をしのぶ「天保義民165年祭」が10月15日、湖南市と野洲市で営まれました。
一揆は天保十三年(1842年)10月14日の深夜から16日朝にかけて、庄屋11人と農民1万2000人が幕府の不当な検地に抗議して起こしました。「検地10万日延期」の証文を取り付けましたが、首謀者8人が処刑されました。
湖南市三雲の顕彰碑前での義民祭(JA甲賀主催)では、犠牲者の子孫や社会見学の甲南第一小の児童ら120人が参列しました。子孫代表の黄瀬平治郎さん(84)が「あなた方の勇気を見習い、奉仕の心を子や孫に伝えていきたい」と挨拶を行い、出席者が献花しました。
野洲市三上の義民碑前では、子孫3人を含む約70人の住民が出席しました。一揆の指導者とされる土川平兵衛の子孫の挨拶と献花の後、近江むかで太鼓保存会の児童らが「義民太鼓」を演奏しました。
(10月16日付け京都新聞が報道)
一揆は天保十三年(1842年)10月14日の深夜から16日朝にかけて、庄屋11人と農民1万2000人が幕府の不当な検地に抗議して起こしました。「検地10万日延期」の証文を取り付けましたが、首謀者8人が処刑されました。
湖南市三雲の顕彰碑前での義民祭(JA甲賀主催)では、犠牲者の子孫や社会見学の甲南第一小の児童ら120人が参列しました。子孫代表の黄瀬平治郎さん(84)が「あなた方の勇気を見習い、奉仕の心を子や孫に伝えていきたい」と挨拶を行い、出席者が献花しました。
野洲市三上の義民碑前では、子孫3人を含む約70人の住民が出席しました。一揆の指導者とされる土川平兵衛の子孫の挨拶と献花の後、近江むかで太鼓保存会の児童らが「義民太鼓」を演奏しました。
(10月16日付け京都新聞が報道)